3話 咎め雪、清め雪
「そんなはずがないわ」
咲織の姫は驚き、思わずのように声を上げた。
「埋み門は、限られた人しか知らないものなのに」
「誰かが教えたんだ」
拓深は咲織の姫の手を引き、その方角へ向かうのをやめた。
中に入るには、明かりの群れを避けて、土塀をよじ登るしかない。雪が幸いした。気配を消してくれる。
「颯矢太、先に行け」
雪の積もる外から見ると、珠纒の土塀は頭よりも少し高い程度だ。
颯矢太は壁に手をついた拓深の背を踏み台にして、塀の上によじ昇った。
不思議なあわいに阻まれて、塀の上で雪は途切れている。ここはまだ玉垣の内側ではないはずだったが、やはりわずかでも神垣の守りの力が働いているようだった。
上から中を見ると、松明の火を掲げた神喰たちが、四方八方から板塀へと押し寄せているのが見えた。
板塀の向こうには、遠く桜の玉垣が見える。
あれは池野辺と同じで、雪や寒さから人々を守ってくれても、神喰の暴挙からは守ってくれない。
「咲織の姫」
塀の上にまたがって、手をさしだした。
「しっかり掴まれよ」
拓深が咲織の姫の膝を抱えあげる。
咲織の姫は驚いた声を上げたが、すぐに颯矢太に手を伸ばした。
颯矢太は咲織の姫を引っ張りあげると、一度塀の上におろす。
それから腕を支えて、塀の内側に降りるのを手伝った。
「拓深さん」
再び神垣の外へ手を伸ばす。拓深は塀を蹴って飛びあがると、颯矢太の手を掴んでよじ登った。
中に入ったところでどうしたものか。
咲織の姫は、神喰たちを固唾をのんで見ていた。埋み門から雪崩れる神喰たちが、板塀へ向けて隊をなしている。
「お前ら、何やってる」
雪を蹴散らす足音と声がして、颯矢太は慌てて身構える。拓深が咲織の姫を背にかばった。
神喰たちの意識は神垣の内側に向いているものと思っていたが、群れを離れて向かってくる姿があった。
手に剣を持ち、顔に神喰の紋様を施した少年。
「鋼牙……?」
拓深と一緒にいるものだと思っていた。頬を腫れあがらせた鋼牙は、拓深を睨みつけた。
「こんなところで何をしてる」
「お前こそ、何やってる」
「お前を逃がしたせいで後衛に回された」
それは鋼牙にとっては不名誉なことだろう。
だが拓深は眉を片方あげて笑う。
「良かったじゃないか。せっかく俺が助けた命を粗末にするなよ」
「黙れ」
鋼牙は憤慨して声を荒げたが、拓深は取り合わない。
咲織の姫は、自分をかばう拓深の後ろから進み出て、鋼牙に言った。
「あなたたちは、なぜ珠纒を襲うの。何が目的なの」
鋼牙の眉がつり上がる。巫女姫を睨みつけて、低く抑えた声を出す。
「なぜだって?」
咲織の姫の纏う衣装を見る。
「おまえは何だ。珠纒の巫女か」
「そうです。皆は咲織と呼びます」
拓深が、やめろ、と止めたが、巫女姫は止まらない。
神喰に巫女姫の身を明かすなど無謀でしかなかったが、身に恥じるところのない巫女姫は、少しも怯まなかった。
「咲織の――巫女姫か」
鋼牙の声が、さらに低くなった。不穏で怒りにまみれた声だった。目に殺気が宿る。
「神喰が何を目的としているか、まさか知らないわけじゃないだろう。神の残り香を取り除く。我々を苦しませるものを」
「神々のご遺志は、人を苦しめたりしない。人の勝手で動かせはしないけれど、私たちを故意に苦しめたりしない」
「苦しめているじゃないか! この雪が、俺たちを苦しめて、飢えて死に、凍えて死に、奪い合って死んでいる。罰を与えられ、我々はいつまでも苦しみ続けなければならないのか。抗って何が悪い!」
まるで鋼牙の声に応えるように、ひときわ大きな音と声が聞こえた。正門が打ち破られた。
怒号を上げてまた神喰がなだれ込んできた。
神垣の兵たちが取り囲まれて、追い詰められている。ここにとどまるのは危なかった。
咲織の姫は、苦しそうにそれを見る。
自分が行っても何もならないのが分かっているのだろう。拳を握りしめてこらえる。
ただ、鋼牙に向かって言った。
「日が出ないことは、罰かもしれない。だけど、それだけではないわ」
思わぬ言葉に、颯矢太も咲織の姫をみる。罰なのだと、誰もが考えていた。そういう風に聞かされてきた。
それだけ、この世界は過酷だった。
だが咲織の姫の声は、ただまっすぐ鋼牙に言った。
「これは清めの雪よ。
「清めだって……?」
鋼牙の声は驚きよりも、怒りをはらんでいた。渦のような赤い紋様を施した顔が凄味を増していた。
鋼牙は、怒りで自我を保とうとしているように見えた。
「なぜそんなことが言える」
「雪人がいる。わたしたちを雪で迷わせないために、導きの
咲織の姫は颯矢太を見て、拓深を見上げた。
導きの鳥、
池野辺の蛇神も、颯矢太をそう呼んだ。
雪人は、国が雪に閉ざされてから、寒さに強い体を持つようになった者たちだと言われている。だけど同時に、日の神の祝福をうけた者たちだという声もあった。
神垣が神の残り香に守られて奇跡のうちにあるように、雪人もまた残された奇跡のひとつなのだとしたら。
本当に、巫女姫の言うように、この雪は罰ではないのか。
「雪の後は春がくるものよ。かつては、大雪の後には、豊作がやってくると言われていたそうよ。雪の中に椿の花が咲く。春を先触れて、赤く白くともしびがともるわ。そうして雪がとけて、桜が咲くの。稲穂の神霊を宿らせて」
やがてこの
「それは、いつなんだ。俺たちはこんなにも苦しんでいる。お前が清めだと言う、この雪のせいで! 一体いつ、春が来るというんだ!」
鋼牙が激しく問う。それには咲織の姫も答えられなかった。
「いつかは分からない。わたしたちはまた、繰り返そうとしている。奪い合い殺し合うことが、わたしたちの変わらない罪であることは、否定ができない」
巫女姫は、悲しげに目線を落とした。
神喰たちがまさにそうではないのかとは、咲織の姫は言わなかった。
神喰が特別なのではない、凍える雪の中にいても、恵まれた神垣にいても、そういった感情は育ってしまう。
池野辺の人たちが、満秀を責めたように。珠纒の里長が、あの御神体の桜の前でさえ、颯矢太を害したように。
「だけど罪穢れは、祓うことができる。雪によってではなく、わたしたち自身の手でも、止めることができるはずよ。同じことを繰り返してしまっても、同じ結末にならないよう変えることが出来るはず」
「でも、王は!」
鋼牙は叫ぶ。だけど二の句を継げなくなって、息を飲み込み、そっと吐き出した。白い息が流れる。
「それなら、俺たちは」
続けた声は、力を失っていた。
――何のために。
そう言う声が、聞こえるようだった。
「あなたは、そのように言い聞かせられてきただけ。本当は、奪って傷つけることが、人も自分も苦しめることを、わかっているはずよ。そうでなければ、わたしに問うたりしない。迷ったりしない」
「迷ってなどいない」
否定する言葉を、多分誰も信じなかった。
鋼牙は唇を歪め、怒りで自分を支えるのをやめた。
「俺には、清めも罰も同じだ。苦しみには違いない」
未だ清めは必要なのか。
雪は降り続け、人々は閉じ込められ、まだ耐え続けなければならないのか。自ら犯した過ちのために。
「お前たち、神の残り香を取り除くと言ったな。珠纒の御神体を狙うつもりか」
拓深の言葉に、うなだれていた鋼牙は頷いた。
「凍つる桜を焼く。珠纒と同時に、池野辺をもう一度襲う」
「なんだって?」
思いもよらない言葉に、颯矢太は声を上げた。
「水が俺たちを襲った池野辺の神変を、誰かが王に伝えた。王は、池野辺は危険だと判断したんだ」
誰がそれを伝えたのか。颯矢太は唇を噛みしめた。
神喰は国がよみがえるのを願いながら、よみがえりの片鱗を削ごうとしている。
自分たちの思いに固執しすぎて、本当には何が目的なのか、分からなくなっているようだった。
気がつくと、周囲の喧騒がひいていた。雪が音を吸いこんだかのように。
神喰たちの気勢に変わりはないが、シンと静まり、薄く降る雪の中、燃え落ちる門や駅舎だけが音を立てている。
塀の中の門に神喰たちの向こう、板塀のなかの門に、男が姿をみせた。神喰たちにひるむことなく堂々と、堅牢な門の下に立ちふさがる。
男のかたわらに、白い衣服の人の姿があった。身にまとう織布がひるがえる。赤い色糸の織りこまれた白い織布だった。
「都波」
颯矢太は息を飲む。雪人の目のおかげなのか、神喰の群れの向こうでもはっきりと分かった。見慣れた姿を、間違えたりしない。
「拓深さん、俺は都波を助けに行く」
「それはいいが、どうやって行くつもりだ」
颯矢太は言葉に詰まったが、すぐに強く言った。
「顔と髪を隠せば、まぎれこめるかもしれない」
「むちゃくちゃだ」
平気で無茶をする拓深がそんなことを言うなんて、本当に無謀だった。そんなことは分かってる。それでも。
「都波を取り戻す。必ず一緒に、池野辺に帰る」
「だから、それは分かってる。お前の命を捨てるような真似をしないで、他の手立てを考えろって言ってるんだ」
「神喰に取り囲まれているのに、他の手立てなんて」
頑として言い張る颯矢太に、鋼牙が唐突に言った。
「連れて行ってやる」
颯矢太は鋼牙を振り返る。
何故、と誰も言わなかった。鋼牙はもう怒りにかられるのをやめて、迷うのもやめているように見えた。
鋭い眼はただ、颯矢太を見ている。
「どうせすぐ戦闘になる。お前ひとりならまぎれこめるかもしれない。ついてこい」
颯矢太はうなづいて、頭巾を目深に引き下げた。
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