4話 ちいさなよすが

 気がつくと都波は、寝具に寝かされていた。

 そばには少女が座っていて、何かを繕っていた。ぼんやりと手の動きを眺めて、それが都波の持ってきた織布だと気がついた。

 椿から繊維を取り出した白妙の布に、椿で染めた糸を織り込んだ織布は、司が織ったものだ。旅の間にほつれていたのかもしれない。


「ねえ……」

 声がうまく出ない。

 その布のほころびは、颯矢太と一緒に旅をして来た証だった。

 都波の声にびっくりして、少女は手を止めて都波を見た。織布を横に置いて、身をかがめて、優しく微笑んだ。


「お加減はいかがですか。ひどい熱で、まる一日眠っておられたのですよ」

 都波のことはまだ、巫女姫と扱われているようだった。けれどそんなことよりも、彼女は何と言った。

「いちにち、ねむっていたの?」

 ぼんやりとして鈍かった頭を、その言葉が目覚めさせた。


 都波は体にかけてあったふすまをどかして、起き上がろうとした。だけど体に力が入らず、うまくいかない。

 うずくまってしまった都波を、少女があわてて支える。元のように横にならせて、分厚い布をかけなおした。

 ふかふかとしたふすまは、きっと絹綿を詰めて縫い合わされたものだ。暖かいはずなのに、体が震える。


「颯矢太は? 颯矢太はどうしてるの? 颯矢太に会わせて」

 まる一日。ひどい扱いを受けて、血を流していた颯矢太の身を里長がどうにかするには、十分すぎる長さだった。

「申し訳ありません、わたくしは存じ上げないのです」

 口止めされているのか、本当に知らないのか。少女は眉を寄せた。


「何か口にされたほうがいいでしょう。暖かいものを持ってきます」

 優しくなだめるように続ける。都波が応えずにいると、少女は「すぐに戻りますね」と告げて出て行った。


 都波はなんとか身を起こし、少女が置いて行った織布を取って、体に巻きつける。這うようにして、部屋の戸までたどり着いた。壁にすがって立ち上がり、扉を押し開く。


 まろび出た場所は、板木の廊下だった。途端に冴えた空気が体を包み込む。都波の体に、ぞくりと大きな震えがはしった。

 ――颯矢太を助けに行かないといけないのに。

 目の前には庭のようなものがあって、雪が静かにふっていた。


「おい、どこへ行く!」

 厳しい声がかかる。都波は扉の横に立っていた兵を見た。

「ここ、どこなの?」

「里長の屋敷だ。さっさと戻れ」

 珠纒の里長の屋敷。塀の中にたくさんの建物が連なっていた。そのどこかなのだろう。


「ねえ、颯矢太は、わたしと一緒にいたトリはどこにいるの?」

 兵は口を閉ざす。

 都波は織布を握りしめていた手を離して、兵にすがりついた。布が床に落ちる。寒気が体をさいなむけれど、気にならなかった。


「お願い、教えて。颯矢太は無事なの?」

「里長が追放したと聞いている。離せ!」

 兵は大きな声を出すが、殴ったりはしなかった。巫女を乱暴に扱うのはためらわれるのか、都波を引きはがして離れる。

 途端に支えを失って、都波は座り込んでしまった。


 神垣の外に追放された。本当なのだろうか。本当にそれだけなのだろうか。

 確かに、里長は殺さないと言った。あの里長の言うことが本当か分からなかったけれど、それにすがるしかなかった。

 立ち上がりたいが、体に力が入らない。


 都波は雪の庭を見て、外の吹雪を思った。

 颯矢太の血が、雪の中に滴り落ちて、赤い染みを作っていた。それは雪の中で、傷を負って、真っ白な顔で座り込んでいた鋼牙を思い出させた。

 怪我のせいで、雪から身を隠すこともできずに、そのまま凍りついてしまう。


 怖気に体が震えた。でも、きっと大丈夫。都波は自分に言い聞かせる。颯矢太は雪人で、トリだもの。大丈夫。

 神垣に閉じ込められてひどい扱いを受け続けるより、外に出ることは、颯矢太にとってはいいことだ。


 ――池野辺の蛇神、雪人を加護するという日の神。どうか颯矢太を守って。

「まあ、巫女姫!」

 少女の声と、駆けつけてくる足音が聞こえる。

 それきり、都波は気を失っていた。



 喪心と疲れがどっと体に襲いかかり、なんとか保っていたものが崩れてしまった。起き上がりたいけれど、体が言うことを聞かない。

 ほんの少し食事を口にして、また気を失うように眠るのを何度か繰り返すうち、なんとか起き上がれるようにまで回復した。都波が珠纒にやってきてから、三日は経っていた。里長は姿を見せない。


 三日目の夜、都波が眠っていると、戸の開く気配がした。そっと足音を忍ばせて、誰かが歩み寄ってくる。

「だれ?」

 身を起して闇の中に問いかける。


 都波の身の周りを世話してくれていた少女ではない。闇に浮かぶ白い衣を着た女性だ。色糸の織りこまれた肩襷と帯をしている。巫女の装束だった。

 都波の寝具のそばに駆け寄ると、膝をつき、焦れた様子で都波の横に腰を落とす。


「巫女姫、このような時刻、まかりこした無礼をお許しください」

 囁くような声は切羽詰まった響きがあった。どう見ても、里長の許しを得ているようではない。

 巫女は都波の寝具に手をついて、すがるように言った。


「どうか、咲織さおりの姫をお助けください」

 思わぬ言葉に、都波は目を瞬いた。

「今どこにいらっしゃるか知っているの?」

「この神垣の外に、かつて水の神を祀った宮があります。そこには枯れず凍ることもない泉があるのだとか。咲織の姫は、身の潔斎のために、毎朝そこへ行かれるのです」

 火無群の神垣でそのような話を聞いた。皆が恐れる外へ自ら出かけていく巫女姫に会いたかったのを、思い出す。随分と前のことのようだ。


「ひとつき前、禊に行かれたまま、お帰りにならない。玉垣の桜がいっせいに咲いたのは、その朝です。姫と出掛けたトリも戻りません。姫が助けを求めておられるように思えてならないのです」

 神垣の皆に敬われる巫女姫が、ひとつきも戻っていないのか。


 花は警告ではないのか、と。池野辺でそういう声もあった。

 実りを祝う以外で、花の咲くことに意味があるのなら、そうなのだろうか。

 ――それともまた、都波を騙そうとしているのだろうか。

 疑う心が澱のようによどんでいる。


「里長がトリを嫌うのはそのせいもあるんです。ここからお逃げください。あなたの先触れで来たトリがいます」

 思いもよらない言葉に、都波は思わず声が上ずった。

「大駕? 大駕はまだここにいるの? 無事なの?」

「ええ。あなたを案じて、巫女の社へ訪ねて来ました」

 都波一人では、逃げ出したところで、外に出たら凍え死ぬだけだ。でも大駕がいるなら、颯矢太を探しに行ける。


「ここにいらしては、あなたの身にもよくないことがあるかもしれない。近頃里長は様子がおかしいのです。そしてどうか、咲織の姫を助けてください」

 大駕が来たから、巫女は都波に一縷の望みを託すことにしたのだろう。

 都波は頷いて、枕元に置かれていた織布を手にする。衾を跳ねのけて、立ち上がった。

 まだ体はふらつくけれど、歩ける。颯矢太を探しに行ける。




 廊下に出ると、雪明かりすらかすかな闇夜だった。いつも分厚い雲の向こうで儚く光る月すらもない。

「見張り番には、里長が呼んでいると言って、はずしてもらいました。巫女姫がよく眠っていらっしゃったから、問題ないだろうと出ていきました。きっとすぐに戻ります」

 巫女の後ろに従って、里長の館の、たくさんの建物をつなぐ廊下を忍び歩く。


「わたくしたち巫女は、あなたが凍つる桜に触れた時、隠れて見守っておりました。あの桜は、里長が勝手に我がもののように扱っていいものではありません。ですから、事の次第を見ていたのです。すぐにお助けできず申し訳ありません」

 前を歩きながら、そっと巫女が言った。


「ごめんなさい。わたし、巫女姫の許しなく凍つる桜に触ったわ」

「いいえ、あの状況であなたを責める者などありません。それに――椿の巫女姫。わたしくしたちも、もしかしたら、と思っていたのです」

「でもわたし、桜を咲かせられなかったわ」


「ええ、ですがあの日以来、凍つる桜の結界の中に、雪が降らないのです」

 巫女の言葉に、都波は目を見開く。

「小さな神変しんぺんですが、身過ごせるものではありません。あなたはほんとうに、春を先触れる椿の愛子まなごでいらっしゃる。里長がそれに気づいているかどうかは、わかりません。ですが、気づいていないことを祈ります」


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