第6章 春を告げる花
1話 襲撃
その共鳴は、ただならない気配を持って、神垣を包み込んでいた。
都波たちはなんとか
「
誰も答えなかった。答えられない。そんな彼らに苛立ったように、門番は怒鳴る。
「お前たちが咲織の姫を禊に連れだしてから、姫がもどっていない。お前たちが連れ去ったんだと言う噂もあるぞ!」
「俺たちがそんなことするわけないことくらい、あんた分かってるだろう」
都波は押し問答を始めそうな彼らのそばへ駆けだした。
「言い争ってる場合じゃない。一刻を争うの。神垣のみんなを逃がさなきゃ」
突然、雪人の群れから飛び出した黒髪の少女に、門番は面喰ったようだった。
「池野辺の巫女姫? 里長の御館にいらっしゃるものとばかり」
それには構わず、都波は門番に詰め寄った。
「外の松明見えるでしょ? 喧嘩してる場合じゃない」
少しでも早く備えをして、神垣の人たちを逃がさないといけない。どこに、どうやって逃がせばいいのか分からなかったけれど、とにかく揉めている場合でないのだけは確かだった。
そのとき、雪人たちの後ろの方から、誰かが声を上げた。
「おい、どうしたその怪我は」
押し寄せてくる松明の群れを背にして、吹雪の中を歩いてくる人影があった。
杖にすがって、一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりと向かってくる。雪人の一人が駆け寄って、手を貸した。
――颯矢太?
気持ちが高揚して、駆け寄ろうとして、すぐに違うと気づく。
「
門をくぐったトリに、都波は思わず大きな声を上げた。
大駕は肩を支えようとする雪人の手を断って、一人で歩いてくる。毛皮は赤黒い染みを作って、凍っていた。
門番に手の甲の八咫烏を見せる。気圧されたように門番は何も言わない。
大駕の手にあるのは、颯矢太が都波に持たせてくれたはずの杖だった。
「都波か」
駆け寄ると、なぜかあきれた顔をして、大駕が言った。
「これも巡り合わせかな」
「どうしたの、何があったの。神喰なの? 颯矢太に会ったの?」
「お前は、ほんとうに、愚かだなあ」
口の端から血をこぼしながら、大駕は笑った。
唐突にそんなことを言われて、都波は面喰ってしまう。頬をふくらませて、でも大駕は酷い怪我を負っていて、どうしたらいいか分からなくなる。
力無い文句だけが出てきた。
「なによ、大駕まで拓深みたいに意地悪になったの」
はは、と声を出して大駕は笑う。
「お前があんまり開けっぴろげでのんきだから、俺がバカバカしく思えてくるよ」
言いながら歩いていく。止まったら歩けなくなるとでもいうかのように。
「颯矢太を池野辺に連れて行って良かった」
その声は、なぜか晴れやかだった。
「お前に会わせて、良かった」
外から大地を揺るがすような声が響いた。敵を威嚇し、自分たちを鼓舞する、戦の声だった。
歩いていく大駕と入れ違うようにして、神垣の中から兵たちが駆けてくる。
「何をしている、早く門を閉めろ!」
誰かが叫んだ。問答をしている場合ではない。
雪人たちが中に入ると、兵は門を閉めた。柱のように太い木を数人で抱えて閂をかける。ふいに、風を切る音がした。
「逃げろ!」
篝野が都波の腕を掴んで走りだした。小さな明かりがいくつも土塀や門を飛び越えて飛んでくる。
周辺に音を立てて矢が突き刺さり、都波は息をのんだ。火矢だ。――池野辺と同じだ。
じゅ、と短い音を立てて、雪の中で火は消える。
「急げ、ここは危ない」
そばを駆けながら、直杜が言う。
火矢が次々に塀をこえて降り注いでくる。
振り返ると、土塀にはしごをかけ、兵たちがよじ登っている。弓を構えて雪の中に放つ。その彼らが、火矢を受けて転げ落ちるのが見えた。
恐怖と驚きに、都波は声をあげた。その腕を篝野が強く引く。
「後ろ見てる場合か、走れ!」
叱責されて、都波は震える足をなんとか前へ出して駆ける。
走っているせいだけじゃなくて、涙をこらえて息が苦しい。冴えた空気が喉の奥を刺すようだった。
あまりに簡単に人が死んだ。だけど今立ち止まれば、もっとたくさんの人が死ぬ。
火矢は次々に降り注ぎ、門のそばのトリの駅舎が黒煙をあげはじめた。
「
「先に警告を出した。誰もいないはずだ」
直杜が言う。雪原の中の道を真っ直ぐに進み、板塀の門に辿り着く。
「一体何事だ!」
門番が叫んだ。板塀の内側に人が集まっている。そこに起居する人々は、ただならない空気に混乱し、外にも内にも行けずに戸惑っていた。
「神喰が来てる。雪人が神垣の外に誘導してくれるから、みんな逃げて!」
都波の声にも、神垣の人々は顔を見合わせる。
「しかし外に出てどうするんだ」
「あんたたち、死にたいのか」
ぐずぐずと動かない人々に、篝野が憤慨して声を上げる。その後ろで、土塀の門を破るための轟音が鳴り響く。
神垣の人たちに困惑が広がるのが分かった。
外に出てどうする。そういう声が聞こえるようだった。何もかも、池野辺と同じだ。
戸惑って、神垣から出るのを恐れて、火に巻かれるのを待っている。外に出ることよりも、命を落とすことの方がよほど恐ろしいことのはずなのに。外の吹雪が、炎の群れが、また余計に人を
咲織の姫なら、皆を諭すことができただろうか。
「里長からは何も言われていない」
「そんなはずはない、報せを出したのに」
雪人の誰かが困惑した声を上げる。
「直杜さん! 里長が!」
桜の玉垣の方から里長が兵を引き連れてくる。
里長を守る兵たちは、他の兵とは違っていた。物々しい鎧は全身を覆い、頑健だった。彼らは周辺に集った人たちを追いやり、雪人たちと対峙する。
里長は悠然と構えていた。
都波が初めて会った時のように、彼は若々しく、自信と力にあふれていた。誰もが信頼するに足る長に思える。
都波は里長に駆け寄って叫んだ。
「みんなに逃げるように言って!」
都波を驚いた顔で見て、里長は微笑んだ。自信に満ちて、優しい笑みだった。
「椿の巫女姫、ようこそお戻りになった」
こんな時にどうして笑える。都波は困惑して、思わず後ずさる。
里長は兵や周囲の人々を振り返り、見回して声をあげた。
「咲織の姫をさらって隠した雪人の流言に惑わされるな」
ざわざわと皆が騒ぎだす。
やはり、という声がする。お姿が見えずおかしいと思った。目をかけてくださる姫の御恩に対してどういうつもりだ。対して、雪人達が、騙されるな、と大声を上げる。俺たちに罪をなすりつけるつもりだ、と。
里の人間の動揺と、雪人の怒りの声を受けて、里長は続ける。
「あれは、珠纒を襲うために来たものではない」
「何を言ってる!? 今まさに、矢を撃ち込まれてる。あの火が見えないのか!? あんたの兵が殺されたんだぞ、さっさと行って見て来い!」
激昂した篝野を見て、里長は不穏に眉をしかめた。
「お前、見た顔だな。取り押さえろ。この危機に皆を動揺させてどうするつもりだ」
里長のそばにいた兵が動き出す。
都波の隣にいた篝野を取り押さえようとして、都波は前に出た。
「争ってる場合じゃないわ!」
止めようとした都波の腕を、里長が掴んだ。容赦ない力で引きずり寄せて、皆に喧伝する。
「神変を起こす巫女姫が守ってくださる。咲織の姫と同じように、花の祝いと共に生まれた巫女姫が、珠纒に来てくださった。何があろうとも、このような者ども恐れるに足りぬ」
その時、土塀の門の内側で、唐突に喧噪が湧いた。
門が破られたのだろうか。
振り返ると、土塀の門は火を放たれ燃えあがっているものの、まだ開いてはいない。
だけどその内側を、四方から松明を持った人たちが駆けてくる。声を放ち気勢をあげ、雪を蹴りあげて。
門を守る兵たちの後ろから襲いかかり、こちらにも押し寄せてくる。
「埋み門からも入って来たのか。何故だ」
愕然と直杜が声を上げる。秘されているはずの門から、どうして。
――もう外には逃げられない。
閉じ込められたまま、焼かれてしまう。
「みんな、逃げて!」
どこでもいい、身を隠せる場所に。
里長が都波を捕らえた手に力を込めた。叫ぶ都波を諌めるように、指が食い込むような強い力に、都波が悲鳴を上げる。
「逃げる必要はない」
都波を引きずるようにして、板塀の門へ向かう。
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