第6章 春を告げる花

1話 襲撃

  珠纒たまきの門番たちは、板木を打ち鳴らしていた。力任せに打ち鳴らされた音が危機をつたえている。神垣の内側で、応えるように次々と警音が鳴る。

 その共鳴は、ただならない気配を持って、神垣を包み込んでいた。


 都波たちはなんとか神喰かみくらよりも先に珠纒にたどりついていた。門番のひとりがたくさんの雪人を見て驚き、板木の音に負けじと叫んだ。


篝野かがの直杜なおと、帰って来たのか。お前たち、ひとつきどこにいたんだ。咲織さおりの姫はどうした」

 誰も答えなかった。答えられない。そんな彼らに苛立ったように、門番は怒鳴る。


「お前たちが咲織の姫を禊に連れだしてから、姫がもどっていない。お前たちが連れ去ったんだと言う噂もあるぞ!」

「俺たちがそんなことするわけないことくらい、あんた分かってるだろう」


 都波は押し問答を始めそうな彼らのそばへ駆けだした。

「言い争ってる場合じゃない。一刻を争うの。神垣のみんなを逃がさなきゃ」

 突然、雪人の群れから飛び出した黒髪の少女に、門番は面喰ったようだった。

「池野辺の巫女姫? 里長の御館にいらっしゃるものとばかり」


 それには構わず、都波は門番に詰め寄った。

「外の松明見えるでしょ? 喧嘩してる場合じゃない」

 少しでも早く備えをして、神垣の人たちを逃がさないといけない。どこに、どうやって逃がせばいいのか分からなかったけれど、とにかく揉めている場合でないのだけは確かだった。


 そのとき、雪人たちの後ろの方から、誰かが声を上げた。

「おい、どうしたその怪我は」

 押し寄せてくる松明の群れを背にして、吹雪の中を歩いてくる人影があった。

 杖にすがって、一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりと向かってくる。雪人の一人が駆け寄って、手を貸した。

 ――颯矢太?

 気持ちが高揚して、駆け寄ろうとして、すぐに違うと気づく。


大駕たいが!」

 門をくぐったトリに、都波は思わず大きな声を上げた。

 大駕は肩を支えようとする雪人の手を断って、一人で歩いてくる。毛皮は赤黒い染みを作って、凍っていた。

 門番に手の甲の八咫烏を見せる。気圧されたように門番は何も言わない。

 大駕の手にあるのは、颯矢太が都波に持たせてくれたはずの杖だった。


「都波か」

 駆け寄ると、なぜかあきれた顔をして、大駕が言った。

「これも巡り合わせかな」

「どうしたの、何があったの。神喰なの? 颯矢太に会ったの?」


「お前は、ほんとうに、愚かだなあ」

 口の端から血をこぼしながら、大駕は笑った。

 唐突にそんなことを言われて、都波は面喰ってしまう。頬をふくらませて、でも大駕は酷い怪我を負っていて、どうしたらいいか分からなくなる。

 力無い文句だけが出てきた。


「なによ、大駕まで拓深みたいに意地悪になったの」

 はは、と声を出して大駕は笑う。

「お前があんまり開けっぴろげでのんきだから、俺がバカバカしく思えてくるよ」

 言いながら歩いていく。止まったら歩けなくなるとでもいうかのように。


「颯矢太を池野辺に連れて行って良かった」

 その声は、なぜか晴れやかだった。

「お前に会わせて、良かった」




 外から大地を揺るがすような声が響いた。敵を威嚇し、自分たちを鼓舞する、戦の声だった。

 歩いていく大駕と入れ違うようにして、神垣の中から兵たちが駆けてくる。


「何をしている、早く門を閉めろ!」

 誰かが叫んだ。問答をしている場合ではない。

 雪人たちが中に入ると、兵は門を閉めた。柱のように太い木を数人で抱えて閂をかける。ふいに、風を切る音がした。


「逃げろ!」

 篝野が都波の腕を掴んで走りだした。小さな明かりがいくつも土塀や門を飛び越えて飛んでくる。


 周辺に音を立てて矢が突き刺さり、都波は息をのんだ。火矢だ。――池野辺と同じだ。

 じゅ、と短い音を立てて、雪の中で火は消える。


「急げ、ここは危ない」

 そばを駆けながら、直杜が言う。

 火矢が次々に塀をこえて降り注いでくる。

 振り返ると、土塀にはしごをかけ、兵たちがよじ登っている。弓を構えて雪の中に放つ。その彼らが、火矢を受けて転げ落ちるのが見えた。


 恐怖と驚きに、都波は声をあげた。その腕を篝野が強く引く。

「後ろ見てる場合か、走れ!」

 叱責されて、都波は震える足をなんとか前へ出して駆ける。


 走っているせいだけじゃなくて、涙をこらえて息が苦しい。冴えた空気が喉の奥を刺すようだった。

 あまりに簡単に人が死んだ。だけど今立ち止まれば、もっとたくさんの人が死ぬ。

 火矢は次々に降り注ぎ、門のそばのトリの駅舎が黒煙をあげはじめた。


駅舎えきは平気なの? 燃えてしまう」

「先に警告を出した。誰もいないはずだ」

 直杜が言う。雪原の中の道を真っ直ぐに進み、板塀の門に辿り着く。


「一体何事だ!」

 門番が叫んだ。板塀の内側に人が集まっている。そこに起居する人々は、ただならない空気に混乱し、外にも内にも行けずに戸惑っていた。


「神喰が来てる。雪人が神垣の外に誘導してくれるから、みんな逃げて!」

 都波の声にも、神垣の人々は顔を見合わせる。

「しかし外に出てどうするんだ」


「あんたたち、死にたいのか」

 ぐずぐずと動かない人々に、篝野が憤慨して声を上げる。その後ろで、土塀の門を破るための轟音が鳴り響く。


 神垣の人たちに困惑が広がるのが分かった。

 外に出てどうする。そういう声が聞こえるようだった。何もかも、池野辺と同じだ。

 戸惑って、神垣から出るのを恐れて、火に巻かれるのを待っている。外に出ることよりも、命を落とすことの方がよほど恐ろしいことのはずなのに。外の吹雪が、炎の群れが、また余計に人をすくませる。

 咲織の姫なら、皆を諭すことができただろうか。


「里長からは何も言われていない」

「そんなはずはない、報せを出したのに」

 雪人の誰かが困惑した声を上げる。

「直杜さん! 里長が!」


 桜の玉垣の方から里長が兵を引き連れてくる。

 里長を守る兵たちは、他の兵とは違っていた。物々しい鎧は全身を覆い、頑健だった。彼らは周辺に集った人たちを追いやり、雪人たちと対峙する。


 里長は悠然と構えていた。

 都波が初めて会った時のように、彼は若々しく、自信と力にあふれていた。誰もが信頼するに足る長に思える。


 都波は里長に駆け寄って叫んだ。

「みんなに逃げるように言って!」

 都波を驚いた顔で見て、里長は微笑んだ。自信に満ちて、優しい笑みだった。

「椿の巫女姫、ようこそお戻りになった」

 こんな時にどうして笑える。都波は困惑して、思わず後ずさる。


 里長は兵や周囲の人々を振り返り、見回して声をあげた。

「咲織の姫をさらって隠した雪人の流言に惑わされるな」

 ざわざわと皆が騒ぎだす。


 やはり、という声がする。お姿が見えずおかしいと思った。目をかけてくださる姫の御恩に対してどういうつもりだ。対して、雪人達が、騙されるな、と大声を上げる。俺たちに罪をなすりつけるつもりだ、と。

 里の人間の動揺と、雪人の怒りの声を受けて、里長は続ける。


「あれは、珠纒を襲うために来たものではない」

「何を言ってる!? 今まさに、矢を撃ち込まれてる。あの火が見えないのか!? あんたの兵が殺されたんだぞ、さっさと行って見て来い!」

 激昂した篝野を見て、里長は不穏に眉をしかめた。


「お前、見た顔だな。取り押さえろ。この危機に皆を動揺させてどうするつもりだ」

 里長のそばにいた兵が動き出す。

 都波の隣にいた篝野を取り押さえようとして、都波は前に出た。


「争ってる場合じゃないわ!」

 止めようとした都波の腕を、里長が掴んだ。容赦ない力で引きずり寄せて、皆に喧伝する。

「神変を起こす巫女姫が守ってくださる。咲織の姫と同じように、花の祝いと共に生まれた巫女姫が、珠纒に来てくださった。何があろうとも、このような者ども恐れるに足りぬ」

 その時、土塀の門の内側で、唐突に喧噪が湧いた。


 門が破られたのだろうか。

 振り返ると、土塀の門は火を放たれ燃えあがっているものの、まだ開いてはいない。

 だけどその内側を、四方から松明を持った人たちが駆けてくる。声を放ち気勢をあげ、雪を蹴りあげて。

 門を守る兵たちの後ろから襲いかかり、こちらにも押し寄せてくる。


「埋み門からも入って来たのか。何故だ」

 愕然と直杜が声を上げる。秘されているはずの門から、どうして。

 ――もう外には逃げられない。

 閉じ込められたまま、焼かれてしまう。


「みんな、逃げて!」

 どこでもいい、身を隠せる場所に。

 里長が都波を捕らえた手に力を込めた。叫ぶ都波を諌めるように、指が食い込むような強い力に、都波が悲鳴を上げる。


「逃げる必要はない」

 都波を引きずるようにして、板塀の門へ向かう。

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