6話 神無き国の信仰

「わたしたちが連れてきたの……?」

 燃える家々の中に立ち尽くして、都波は呆然とつぶやいた。人々が逃げまどい、森のほうへと駆けて行く。


「そんなはずない。鋼牙のことは、拓深さんが目を配ってたし、追われていないか気をつけてた」

 神喰は神垣を取り囲み、火矢を射かけて玉垣や家を焼く。

 逃げ場を無くして、神垣の内側へ逃げていく人たちを追いつめ、殺していく。それが常套手段なのだろう。


「お前たち何やってる、神垣の奥へ逃げるんだ。身を隠せ!」

 篝野が戻ってきて怒鳴った。けれど颯矢太が怒鳴り返した。

「森へ逃げても追ってくる。神垣の外へ出ないと! 取り囲まれても隙はあるはずだ!」

 池野辺に神喰が来たとき、玉垣の回りに見張りはいたけれど、外に出ることはできた。

 神垣の中に逃げて追い詰められるより、外へ出たほうが逃げられるかもしれない。


「簡単に言うな。とにかく来い!」

 ここは知らない土地だ。むやみやたらに外へ飛び出るのもためらわれたのか、颯矢太は都波の腕をとって、篝野に続いた。


 その道の先から、幾人かの男たちが集落へ駆けてくる。都波たちを見咎め、声を荒げる。

「なんだお前たちは!」

「里長」

 篝野が声を上げる。

 集団の先頭を来るのは、壮年の男だった。今までどの神垣でも、駅舎で疲れきって眠ってしまっていたので、よその神垣の里長に会うのは初めてだった。

 里長と言えば池野辺の里長のような老人ばかりを思い描いていて、それだけで都波は驚いてしまう。

 里長は他の男たちを先に行かせると、都波のほうへ向かってくる。


「先触れのトリが来ていた。巫女姫か」

 里長は、都波の腕を掴んで、憤怒の表情を浮かべて叫んだ。

「この神垣は襲わないと、約定を交わしたはずだ。そのために貴重な食料を渡したのだぞ!」

 突然投げつけられた言葉の意味が分からない。都波は腕をとりかえそうともがきながら、怯えた声を上げた。


「約定? なんのこと? 誰と交わしたの?」

「しらを切るのか!」

 怒鳴りつける里長を、颯矢太が突き飛ばした。無事な手は都波の手を握ったまま、怪我をした方の手で。

 不意を突かれて、里長の手が離れる。


「都波は巫女姫だ! この神垣の巫女姫でなくても、巫女姫に対して無礼な行いは許されない!」

「守るべき場所を持たないトリが偉そうな口をきくな!」

 言い争う間にも、炎の手は広がっていく。

「こんなところで争っている場合か! その守るべき神垣をなんとかしろ!」

 篝野が怒鳴る。喧騒がその声にかぶさっていく。神垣の門から神喰たちが押し入ってくる。


 都波は里長に掴まれた手をかばいながら、つぶやいた。

「わたし、また何もできないの……?」

 皆が助けを求めているのに。まだ失っていないのに。いまなら、間に合うのに。

 神喰は必ず、神垣の奥に足を踏み入れ、巫女の社を襲うだろう。神々を祀る巫女を殺し、この神垣を守る神の残り香を壊していく。


「都波、ここには蛇神はいない。助けてもらえない」

 都波の手を引く颯矢太の手。反対側の腕は、傷を負ったのに、まだきちんと手当てができていない。

 自分のせいで怪我をさせてしまった。それなのにまた、都波のために無茶をした。怪我がどうなっているか心配で恐い。これ以上、颯矢太に大変な思いはさせられない。


「わたし巫女の司に会う!」

 都波は反対に颯矢太の手を引いて、神垣の奥へと駆けだした。



 巫女の社へと続く森の入り口には、木枠の簡素な門がある。

 神域とされる神垣の中でも、この奥は侵してはならない場所だ。神垣を守る御神体への敬意とは別に、実りを与えてくれる森へ、感謝をもって足を踏み入れるための、境目だ。


 門をくぐると、雪をかぶった木々の下に道が続いている。薄く積もった雪を蹴り上げ、都波は駆け続けた。

 都波のよく知っている巫女の社。池野辺とは少し違うけれど、同じように、木で建てられた背の高い建物がその先にある。


 木の扉を開け放つと、たくさんの悲鳴があがった。暗い部屋の隅で、少女たちが身を寄せ合っている。

「あなたは誰です」

 強い声が間近で聞こえた。巫女の衣装を着た女が立っている。額の飾りの帯は、巫女の司の証だ。

 この神垣の司も、都波の知っている司よりも随分若い。三十をいくつかこえたくらいだろうか。驚いた目で都波を見ていた。


「騒々しくしてごめんなさい」

 都波は一緒に駆けてきた颯矢太の手を放し、司に向き直った。椿の杖を握りしめる。追いついてきた篝野が、都波を見ている。


「この神垣の、神の依代は何?」

「突然何なんです。外は何の騒ぎなの。――里長」

 神経質に司が言い立てる。都波の後ろに向けて。


「神喰が押し入ってきた。そちらは、池野辺の神垣の巫女姫だそうだ」

 都波を追いかけてきた里長は、吐き捨てるように言った。息を殺すような沈痛な悲鳴が、少女たちからあがる。司も青ざめたが、都波に向けて厳しい声で言った。

「神の依代を知ってどうするの。神喰は神垣の宝を壊していくと聞いたわ。神喰の罠でないと、どうして言えるの。あなたが巫女姫であると、どう証をたてるのです」


 ――身の証なんて。

 これを言われるのは何度目だろう。

 都波はただの、池野辺の神垣の、親なしの子供だ。司に守られていただけで、何もしてこなかった。

 何の証明もできない。神垣を出てから、神変は何も起こらない。


 神垣の巫女たちが、離れたところで身を寄せて都波を見ている。

 果歩たちを思い出した。特別に仲が良かったわけじゃない。少女たちも、親に倣うように都波を遠巻きにした。ただ同じ場所で寝起きをするから、少し話をしたりしただけだ。

 でも決して嫌っていたわけじゃいし、嫌われていたわけでもないと思う。どうしたらいいのか、わからなかっただけだ。

 今どうしているだろう。池野辺は、どうなっただろう。


 考えて、都波はすぐにそれを追いやった。今はこの神垣をなんとかしなければ。

「わたしが何者かなんて、証明できない。わたしだって、わからないもの」

 自分のことを知りたいと思って旅に出た。だから問われたってわからない。

「でも森に逃げ込んだって、神喰はやってくる。追いつめられるだけよ。神垣を守る御力におすがりするしかない」


 都波の言葉に、里長が吐き捨てるように言った。

「それで救われるなら、どの神垣も滅びたりはしない。この国にもう神はいないんだ!」

 司の眦が吊り上がる。

「神垣の中で、巫女の前で、そのようなことを言うなど! 神々がいなくなった国であっても、ここは神垣、神のお力の残余で生かされているのを、お忘れになったのですか。神垣の守りを当然として、傲慢になってはいけません」

 その剣幕に、里長は口をつぐんだ。


 池野辺が襲われた時と同じだ。いつも助けられているのに、不安になれば疑い、すがり、とても身勝手だ。

 そして巫女の司もやっぱり、池野辺の司と同じだった。誇りと信念を持って、神々に仕えている。


 都波は里長を振り返った。

「でもわたしたち、いつも祈っているわ。神意は人の勝手で動くものじゃない。何も変わらないかもしれない。でも、いつも祈っているわ」

 神はいない。それでも、祈りを捧げ、願うのはなぜ。

「わたしたち、神々を捨てた国で、神々のご加護を失って、それでも生きてきたわ。神々の恵みの残り香にすがって。かつて失い、捨てたかもしれないけれど、でもわたしたち、わずかでも祝福めぐみを残してくださった神々に感謝して、畏れて、生きてきたわ。その思いが本当なら、きっと助けてくださる」


 国が生き返るのを人々が望み、その願いが都波を生んだのだと、蛇神は言った。

 都波が蛇神を呼んで、その声にこたえてよみがえったのだと言った。

 そして、女神が帰ってくるのを待っている神垣があると言う。


 ――ここは、いわいの国。

 この国にはかつて、多くの神がいた。万物に神がいた。思いの込められた物にも、魂が宿る。言葉にすら魂が宿った。神とはそういうもの。

 人が願い、祀り、敬うのなら、答えてくれる。


 司は、探るように都波を見た。

 都波の白妙の織布も、巫女の白い衣装も旅の間にくたびれて汚れてしまったけれど、鮮やかに織られた文様は色あせていない。魔除けの肩帯をかけているのは、巫女の証だ。


「わかりました。おすがりしてみましょう」

 司は外を指さした。

「どうぞ。ご案内いたします」

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