第42話

「ねえ」


 どさんと前の席の椅子に座り、二海の机に手をかけたのは優だった。二海はチョコレートデニッシュの、チョコレートがたっぷりはいった最後の一口を楽しみに食べようとしていたのだが、その顔を見て味わうどころではなくなり、あわてて残りを口に放り込んだ。


 優をコンピューター部に連れて行った日から二日経っていた。その間、優からのアプローチは何もなかったので、二海の方ではこの問題は一旦解決したものと思っていた。それが今になっていきなり目の前に座られたので、焦ることも焦った。


「あの、……えっと」

「コンピューター部っていつやってるの?」

「コンピューター部? えっと、CTF部のこと……」

「何でもいいから。この前のやつ」

「基本的には毎日だけど……」

「あ、そう」


 それだけ聞くと、優はがたんとまた音を立てて席を立った。その後ろ姿を見ながら、二海はまだ混乱の中にいた。なんでそれを聞きにきたのだろう。


 その疑問は、放課後コンピューター室に行ったときに解けた。


「パーフェクトだから。点も満点だったし」

「これ見せにわざわざ? 暇だねー」

「暇じゃないのにわざわざ来たの」


 ゆあんの机の脇に、腕を組んだ優がいた。二人は二海には目もくれず、備え付けのコンピューターのモニタを見ている。行っていいのかどうか迷ったが、同じ部屋にいるのにそれに気づかないふりも不自然だと思い、二海は二人のそばに寄っていった。


「……何してるの?」


「ああ」今になって気づいたというふうで、優が二海を見た。優は背が高いので、二海は少し見上げる形になる。「前の情報の授業でやったプログラミング」


 二海は画面を覗き込んだ。黒いコンソール画面上に、『じゃんけんゲーム』と白い文字で表示されている。『グー、チョキ、パーのどれかを入力してね』と次の行に書かれ、入力待ちの状態だった。


 キーボードに手をかけていたゆあんが、『グー』と入力してエンターキーを押した。


『わたしは グー !アイコだよ、もう一回!』と表示される。次にゆあんは『パー』とまた入力した。


『わたしは チョキ! わたしの勝ちだよ!』


 とコンソールに表示され、入力待ちの状態が終わる。そういえば、と二海は前にやった情報の授業での実習を思い出した。たしか、『入力された文字を表示してみよう』だった。大半の生徒はそれまでにテキストに出てきたコードをそのまま入力し、それを提出したはずだ。二海もそうだった。それでもこの課題はそれなりに時間がかかった。C言語という馴染みのないプログラミング言語だったし、コンパイルだのなんだのという何のためにやるのかわからないことをしなければならず、少しでもミスがあるとすぐエラーになってしまうのだ。それに、じゃんけんプログラムを作る方法などテキストには載っていなかった。優は自分自身でこれを調べ、作り上げたのだろう。すごい、と二海は思った。


「じゃ」


 ゆあんが操作を終えたのを見届け、優は立ち去ろうとした。


「え、佐々岡さん?」


 二海は思わず呼び止めた。


「何?」

「あの、……このクラブにきたんじゃ……」

「違う違う。前にムカつくこと言われたから、違う証拠を見せに来ただけ」


 言いながら、優はじろとゆあんに目をやった。そのゆあんは優の視線に気づいた様子を見せず、じっとモニターを見ていたが、急にキーボードを叩き始めた。ものすごく素早い。


「二海ぃ」


 ゆあんが、キーボードを二海のほうへ押しやってきた。モニターを見ると、また『グー、チョキ、パーのどれかを入力してね』と表示されている。そしてその入力として、『グー』や『チョキ』ではなく、記号や英数字や、なんだかおかしな文字列がずらずら入れられていた。


 ゆあんは無言でキーボードを指し示した。やれ、ということなのだろう。二海はエンターキーを人差し指で押した。


「あれっ」


 『hacked!』と、さっきの『わたしは グー』のかわりに表示された。見ると、ゆあんはこれ以上ないくらいの得意顔をしていた。


 二海の声に反応して、優もモニターを覗き込んだ。


「えっ。何してるの」

「ハッキング」

「壊した!?」

「壊してない」


 ゆあんはなにかのコマンドを打ち込み、画面を示した。しかしそれが何を表しているのか、二海にも、表情から推測すれば優にも、わからなかった。


「次のプログラミング課題では、脆弱性に気をつけたほうがいいよ」


 にやにやとしながらゆあんは言った。

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