第23話
時計は十一時五十五分を示している。あと五分で最後の試験が終わりだ。周りはまだ答案用紙に向かっていたり、机に突っ伏して寝ていたりそれぞれで、教室の中は静かだった。
ぺらりと伏せた答案をめくり、書いた内容をぼんやり見返す。最後の科目は情報だった。出題範囲はコンピューターの仕組みやインターネットの仕組みといったところで、このところずっとCTFに時間を費やしていた二海には易しい内容だった。答案を早めに埋め終わってからはうとうととしていて、先程自然に目が覚めた。もう一度寝ようにも時間が半端なので、ぼうっと教室の中を眺めていた。
ふと、二海の目が窓際の席の生徒に留まった。さっき、寝る前にもふと見たら、もう手にシャーペンを持っていなかった生徒だった。いかにも退屈を持て余したようにして、たぶん染めているのだろう、やや茶色めの髪をいじっている。
終わりのチャイムが鳴ると、クラスじゅうがはじかれたように騒がしくなった。あー、終わった。だめだ、再テかも。四問目どうなった? この後遊びいこうよ。どこがいー? お腹へった。二海はざわめきを聞きながら、後ろから回ってきた答案の束の上に自分の答案を乗せ、前に送った。
テスト期間中、二海はだいたい毎日同じようなスケジュールで過ごしていた。昼前にテストが終わり、家に帰る。昼食――たいてい途中で買ってきたパンかなにか――を食べてから、四時ころまで眠る。それから眠気覚ましのシャワーを浴び、コーヒーを飲んでから技術書を読むか、CTFの問題を解く。夕食をはさみ、九時くらいになってから翌日の試験科目のノートを広げる。眠気覚ましにコーヒーを飲みながら、一応試験範囲全体をざっとさらう。終わるころには日付はとうにかわっていて、二時過ぎになっていることもあった。照明を消してベッドに入り、朝まだ眠り足りない頭で学校に行く。
一番つらかったのは世界史の試験前日だった。線文字AだのBだのを発見したのがだれか、何文明が紀元前何世紀に栄えていたか、というようなことを古代ギリシアもローマもごっちゃにしながら詰め込んだ。一夜漬けもいいところで、試験の終わった今となってはクレタ文明もヘレニズムもペロポネソス同盟もどこかにいってしまっている。
その世界史と同じ日が試験日だった古文もひどかった。あやしの意味も動詞の活用も行きの電車の中で覚えたはずなのに、いざテスト用紙を前にしたらぜんぶがごたまぜになっていた。わからないところを当て勘で埋めたので、あれは最悪再テストもありうる。
それでも試験は終わったという開放感に溢れ、二海は足音軽く階段を降りた。真っ昼間の日差しを受けた床がぴかぴか白い。
コンピューター室には既に桃がいた。
「試験おつかれさま! やっと終わったね」
「おつかれさま。疲れたね」
「二海ちゃん、ほんと疲れてるね。隈ができてる」
「え、ほんと?」
二海は自分の顔をぺたぺた触った。そうしていると、桃がいきなり笑いだした。
「え、な、なに?」
「いやだって、……触ったってわからないでしょ」
「あ……そうだね」
「二海ちゃん、割と天然?」
くっくっと笑う桃につられ、二海も笑いをこぼした。
試験最終日の今日はまたコンピューター室でクラブ活動の予定だったのだが、最後に来たゆあんの意見で、まずはじめに昼食をとることになった。三人は近くのコンビニでそれぞれカップラーメンだのおにぎりだのパンだのを買い、学校に戻る途中にだれもいない公園を見つけ、学校でなくそこで食べることにした。ベンチに二海と桃が座り、ぶらんこにゆあんが座った。
「ゆあん、テストどうだった?」
桃はおにぎりの包装をむきながら、カップラーメンを食べているゆあんに声をかけた。
「わかんない。返ってくればわかる」
「達観してるねえ」
「だってもう終わったことだし。それに現代文とかいらないじゃん、今後の人生で」
そう言いながら、ゆあんは箸でぺらぺらのナルトをつまんだ。
「いるかもよ?」
「いらないって。あと、古文も」
「えー、私は地学のほうがいらないと思う。使わないじゃん」
「いるでしょうよ」
最も不要な科目についての二人の議論を聞きながら、二海はウィンナーパンをかじった。空がほんとうにきれいに晴れていて、しげった木の葉の音がしずかにしていた。ほかにだれもいない公園で、明るい日差しが差している。まだぎりぎり夏になる前といったところで、半袖の夏服なら暑いとまではいかないくらいの気温だった。黄色と水色にぺたぺたぬられたシーソー、せまい砂場、ぎいぎいときしむぶらんこの音、低くて足のつっかえるベンチ。どれもが、二海にはとてもいいものに思えた。
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