第7話

 扉を開けて中に入っても、家の中には人の気配がしなかった。鞄を置き、自分のストライプのスリッパをラックから取って履き、ローファーをたたきの端に寄せた。リビングに入ってぱちぱちと全部の灯りをつけ、買ってきたお弁当をビニール袋ごと食卓の上に乗せると、二海は自分の部屋に向かって階段を上がった。


 制服をハンガーに吊るし、Tシャツとハーフパンツという部屋着に着替えて手を洗うと、ノートパソコンを鞄から出して二海はリビングに戻った。食卓の上にノートパソコンを置き、お弁当を台所のレンジの中に入れ、あたためボタンを押す。


 うぃーという静かな音と一緒に、レンジの庫内がオレンジ色に明るくなり、中でお弁当のロコモコ丼がゆっくり回りだした。二海は台所からリビングに戻り、食卓の椅子に座ってノートパソコンを開いた。


 二海はまずFTPソフトを起動し、桃から教えられた『old』ディレクトリの中身を確認した。見覚えのある名前のファイルたちがそこにはあった。中身をすべて元の位置に戻し、ブラウザで確認すると、元通りの『two-oceans.xyz』のページが表示された。


「あー……」


 その時ちょうど、ぴーっぴーっとレンジが音を鳴らした。絶妙のタイミングだったので、二海は一人で少し笑ってしまった。一旦席を立ち、少し熱すぎるくらいに温まったロコモコ丼とカレー用のスプーンを持って、もう一度食卓についた。


(そうだ、フォームも削除しないと)


 目玉焼きにスプーンを入れながら、二海はFTPソフトに表示されているファイルの一覧を眺めた。やはり少し温めすぎたようで、目玉焼きの黄身は固まってしまっている。半熟が好きな二海には残念だったが、ソースのかかったハンバーグはおいしかった。


 ごはんやトマトを一口スプーンで口に運び、それを咀嚼している間にキーボードを叩き、トラックパッドをなぞる。一旦ファイルをコピーしてバックアップをとってから、フォームの部分のタグを消し、プログラムをサーバー上から削除する。


「ん」


 スプーンが弁当容器の底に触れた。見ると、もうほとんど中は空だった。二海は一口ぶんの残りを綺麗に食べきってから、更新したファイルをサーバーにアップした。ブラウザをリロードすると、フォームだけがページ上からすっと消えた。


 これで一旦完了、と二海は椅子の背中にもたれた。そうしていると、学校が終わってから今まで、ずっと考えないでいたことがもやもやと浮かんできた。つまりは、今日の出来事についてである。


 コンピューター室に行った。ゆあんがいた。桃が来た。クラブにめちゃくちゃ勧誘された。攻撃を実際にやるところを見た。


「あ」


 思い返していると、ふと二海はあること、しかもかなり重大なことに気がついた。今まで二海は『two-oceans.xyz』を誰にも見せたことがない。家族にはもちろん、学校の誰それにも話したことはなかった。それを今日、何の準備もなく、いきなり知られてしまったのだった。学校の帰り道に撮った猫の写真だの、中学生のころに修学旅行の電車の中で書いた文章だの。急に恥ずかしさが襲ってきて、二海はブラウザのタブを閉じた。この件について考え続けるとドツボにはまりそうなので、二海はあわててブラウザのURL欄に『CTF』と打ち込んだ。他のことを考えて自分の気を逸らさせるためだった。二海は検索結果のトップに出てきたページを急いで開き、無理やり書かれている文章を読んだ。


『CTFは、Capture The Flag(旗取りゲーム)の略称です。セキュリティ分野におけるCTFは、ハッキング技術を競うコンテストで行われる競技で、暗号、セキュリティ、ネットワーク技術、プログラミングの知識と技能を問う問題が出題され、その解けた問題数に応じて得点が与えられます。制限時間内に得点を多く獲得したチームが勝利します。毎年ラスベガスで開催されるコンピューターセキュリティカンファレンス『SEC CON』の余興として行われたのが発祥ですが、現在では世界中で同様の大会が開催される人気競技となっています。中でも『SEC CON』で行われるCTFは、世界中から凄腕のハッカーが集まり注目を集めます。日本でも毎年『AJSEC』や学生向けの『AJSEC Junior』などのイベントが開催され、優秀な成績をおさめたグループにはSEC CON CTFの予選出場権が与えられます。参加者は年々増加しており、今もっとも熱い技術イベントの中の一つです』


 最初のうちは意識して注意を文に向けていたのだが、読み進むにつれてだんだん内容が面白くなってきた。知らない単語も多いのだが、それは二海には目新しく、何かわくわくするようなもののように思えた。


 二海はページを読み進めていった。ページの半ばほどに、『練習問題(初級)』というリンクがあった。実際どんな問題が出るのか、二海はリンクをクリックした。初級と書いてあるし、今日桃がやるのを見たことでもあるし、今までサーバーを使って色々してきた経験もあるし、もしかしたら解けるかもしれないと考えていた。


 その練習問題のページには、『UDBFGHAAGFUEQRWXLQ』とだけ書いてあった。二海はページを上下にスクロールしてみようとしたが、それだけだった。

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