第8話
次の日の放課後、二海はコンピューター室に向かった。昨日と同じくらい緊張していた。ただ、程度は同じだが理由が違った。昨日の緊張は先に何があるのかわからないところから来ていたが、今日の緊張は先に何をやるかわかっているところから来ていた。
昨日、夕食の後も、二海はCTFについて調べ続けた。CTFでやるのと同じような問題がオンラインで解けるサイトがあり、いくつか問題を見てみたが、一つとして解けるものはなかった。『UDBFGHAAGFUEQRWXLQ』もそうだったが、他のものも同じかそれ以上に意味不明だった。ログイン用のIDとパスワードの入力フォームだけがあり、そのパスワードを取得しろというものや、赤と青の二色に塗り分けられた画像が表示されているだけのもの、ダウンロードリンクが示されてはいたが、そこから取得したファイルはどのアプリケーションでも開けないもの。どう解くのかの手がかりすらつかめない。『CTF 解き方』で検索してみたものの、出てきたページには『pwn』だの『TCP/IP』だの『Segmentation fault』だのの英語の難しい専門用語がずらずら並んでいて、何を書いているのかさっぱりわからなかった。
自分にCTFは無理だ。二海はそう思った。桃の言っていた大会というのがどういうものかはわからないが、それに出場したとしても足手まといになるだけだろう。そのことをちゃんと言わなければ、と二海は考えていた。
それでも昨日の桃の様子を思うと、二海は辛くなった。昨日の喜び方から推して、メンバー探しには苦労したのだろう。それでも、どこか途中で使えなさがバレるよりは、自分から申告したほうが少しはましだと二海は勘定した。ましだといっても、がっかりはされるだろう。気まずい思いもするだろう。桃のリアクションはそう予想できる。ゆあんは? どうだろう。我関せず、の態度かもしれない。それともバッサリと斬ってくるかもしれない。そういう、ちょっと怖いタイプのようだから。
重い気持ちで、二海はコンピューター室の階までの階段を降りた。するとコンピューター室の扉の横、壁に寄りかかって一人の生徒がいるのが見えた。足元に置かれたリュックサックと長い髪から、ゆあんだとわかった。
「……あの」
ゆあんは分厚い本に目を落としていたが、二海の言葉に顔を上げた。
「ああ。えーと……昨日の」
「あの、……上原さんは?」
「鍵取りに行った。ここまで来てから思い出すんだ、あいつ」
「あ、そうなの」
そこで一旦会話は途切れた。気まずい。ゆあんはまた本に目を通し始めたが、二海は落ち着かなくて仕方なかった。何か話の糸口になるようなものはないか、二海は頭の中や周りの様子を検索した。目に留まったのは、ゆあんの読んでいる本の表紙だった。
「あの。三石さんって、動物が好きなの?」
「は?」
ゆあんの『意味わかんない』と言っているような口調に、二海はびくついた。しかし会話を切るわけにもいかず、考えていた言葉を予定通り口にした。
「あ、その、表紙の絵がそれだから」
ゆあんはページの間に親指をはさみ、表紙を見返した。そこには白黒の、写実的に描かれたりすがいた。写実的なのにあまりかわいく見えないのが不思議だった。
「いや、これ動物の本じゃないから。技術書」
「あ、そうなの」
「何でかわかんないけど、この会社の本だいたい動物が表紙なんだよ」
「ああ、そうなんだ……」
そこでまた沈黙。他に何か、と二海が一所懸命に考えていると、
「おまたせー」
という声とともに桃が階段を走り降りてきた。昨日と同じキャメル色のカーディガンを羽織っていて、その裾がぱたぱた揺れている。
「待った、待った」とゆあんは本を閉じてリュックサックにしまう。
「おー、二海ちゃん! 早いねー。ごめんね、おまたせでした」
「私のほうが待った」とゆあんが口をはさむ。
「はいはい、ゆあん様。申し訳ありません」
言いながら、桃は鍵を扉にさし、コンピューター室に入った。ぱちぱちぱちと全体の電気をつけ、ひょいと教壇に上がる。
「じゃーどうぞ、前のほうへ」
桃は腕を振り、二人を席へと誘導した。ゆあんは昨日と同じ壁際の席につく。しかし二海は中に入ったものの、入口近くに立ったままだった。あの、自分がCTFに向いていないという話をするためには、座らずに立ったままのほうがいいだろうと思ったのだ。すぐ部屋を出られるから、それだけ気まずい時間が少なくてすむ。
「あれ、座らないの?」と桃が、自分の鞄からノートパソコンを取り出しながら言った。薄いピンク色のカバーの、可愛らしいパソコンだった。
「あの、……言わないといけないことがあって」
二海は思い切って口を開いた。喉が、とても乾いていた。
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