第54話

「お菓子ー」


 とんとんと階段を上がってきた里々が、おぼんを和室のちゃぶ台の上に置いた。時計を見ると四時前になっている。


「あ……」


 おぼんには、グラスに麦茶の入ったジャー、それにお菓子入れに入れられたクッキーや一口羊羹が乗っていた。その中には、二海が持ってきたドライケーキも入っている。


「『おもたせですが』って」


 いいのかなあ、と二海は手を伸ばしにくかった。持ってきたものを自分で食べても失礼ではないだろうか、と考えた。


 しかし、今ちょうど脳は糖分を欲しているところだった。ドライケーキの横にあった、チョコレートがけのクッキーを放り込むと、甘さがすみずみにしみた。


「やったー」


 桃と優も、ちゃぶ台の横に座った。


「あー」


 優は麦茶を一息に飲み干すと、ショートパンツからすらりと伸びる足を前に投げ出した。桃は羊羹を口に運んでいる。


「これおいしーね」


 里々はそう言いながら、ドライケーキをかじった。


「里々さん」


 二海は里々のそばに寄り、「あの、お菓子、春子さんのぶんもあります?」と聞いた。


「あると思うよー。ていうか、たぶんぜんぶはおばさんひとりじゃ食べきれないと思うし」

「あ、そうか。……そうですよね」

「でもけっこう甘い物好きだから、喜んでると思う。あんまこういうのって自分じゃ買わないじゃない?」

「そしたら、よかったんですけど」


 二海は麦茶を一口飲んだ。冷たくて濃くておいしい。


「あー。気になるな」


 ドライケーキをかじりかけのまま、里々がぼそっと言った。


「さっきのですか? 離散……ウェーブレット変換?」

「そう。今は時間無いからだけど……消化不良って感じ。終わったらちゃんとやらないと」

「すいません、聞いちゃって……」

「ぜんぜん、てか楽しいし。でも、わかったら教えるね」

「よろしくおねがいします」


 そうしているうちに、麦茶もお菓子もどんどん減っていった。しかし、ゆあんは自分の椅子に座ったきりで、こちらにこようとしない。


「取っておいたほうがいいかな」


 二海と桃が相談していると、優が立ち上がった。そして、ゆあんの肩に手を置く。


「おやつの時間だよー」

「ん」


 ゆあんは腕組みをといたけれども、「今はいい」と短く言った。


「なんで。休憩しときなって、先は長いし」

「考え中」

「何を」

「言ってもわかんない」

「また。いいから言ってみ」


 優はそのままモニターをのぞきこんだ。二人の声が低くなり、モニターを指さしたりキーボードを叩いたりしながらの会話が続いた。


「え、これ、ポーカーじゃない?」


 しばらくしてから、優の声が響いた。そろそろCTFに戻りかけていた三人は、そろってそちらの方を見た。


「え?」

「だって、プレーヤーとコンピューター側の手が五枚のカードで表されて、その五枚のカードの組み合わせで勝ち負けが決まって、ほらここはワンペアとノーペアだからワンペアのほうが勝ちになってる」

「え? で、ワンペアだったら勝ちなの?」

「いや、他に色々手があるの」


 優は荷物置き場へ足早に向かい、自分のバッグをさぐった。そしてもう一度机に戻ったときには、手にトランプを持っていた。


「なんでそんなの持ってるの」

「あのバッグ修学旅行のときに使っててさ、ポケットに入ってた。帰りの電車で使うかなーと思ってたんだけどね」


 優はそう言いながら、トランプを机に並べる。


「この、同じ数字の組み合わせが一つあるのがワンペア。二つあるとツーペア。三枚と二枚の組み合わせがフルハウス。四枚がフォーカード。こうやって、一、二、三、四、五、みたいに数字の並びになるのがストレート。で、全部同じマークだとフラッシュ」


 しばらく、優がゆあんにポーカーのルールを教えていた。


「何の問題なんだろ」

「ね」


 二海と桃はそう話した。二人でゆあんの後ろに回ってみると、何個ものウィンドウが同時に立ち上げられ、コードやターミナルが開かれている。


「わかった。じゃあ、ここの関数はその役判定か。で、えーと……」


 少し考え込んだ後、ゆあんは「じゃ、ここでうまく役を調整して、ヒープのアドレスをうまいことして……そしたら、アドレスをリークさせられるから……」とぶつぶつひとりごとをつぶやいた。


 二人は自分の椅子のほうに戻ってから、こそこそと話した。


「たぶん、Pwnじゃないかな。ゲームのプログラムが渡されて、それをうまくハックしてフラグを取る系」


 桃がそう小さな声で言う。


「あー、なるほど……で、その肝心のゲームのルールがわからなかったってことかな」

「たぶん」

「オッケー? もうルールわかった?」


 優がトランプをケースにしまいながらたずねる。


「わかった」

「ほんとー? てか、ポーカー知らないってなんで? ふつう知ってない?」

「わかった、今知ったから」

「ほんとかなあ」

「ほんとだって。もう、今からこれ解くから、ちょっと後で」


 ゆあんと優の間の間隔に、二海は吹き出すのを我慢するのに苦労した。

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