第34話
桃のほうでも、二海に気づいたようだった。身体を起こし、一段階段をおりた。
「どうしたの? こんなとこに」
桃の口調は、どこというのではないが、いつもと違っていた。いつものなめらかさのようなものがなくなり、どこか投げ捨てたような感じが語尾にあらわれていた。そんな話し方をされては、「こんなとこ」が自分のいつもの避難場所だと言い出せるはずもなく、二海はその問は聞こえなかったふうを装った。
「えっと……ごめんね、昨日……」
「え?」
二海は手すりをぎゅうと掴んだ。
「最後の問題、解けなくて……それで五位に入れなくて……」
「ああ、いや、そんなの気にしないで。二海ちゃんのせいじゃないし。それに五位に入りたかったのも私だし」
「でも」
「こっちこそごめんね。昨日とか返信何もできなくて」
桃は笑ったが、わざとつくったものとしか見えなかった。会話は言葉の上でだけスムーズに進んでいて、芯のところの、ぎゅうとした部分はぜんぜん話せていなかった。
二海はどうにかしたかった。奥にあるものを表にぶちまけたかった。そしてそのテクニックが自分に無いこともよくわかっていた。どうしようかと思いながら、会話を途切ってはいけないと、口だけで話していた。
「さっき、三石さんが探してたよ」
「三石……あ、そう? じゃあ、後で話しておくね。教室戻ったら」
「そうしたほうがいいと思う……」
二海は頭の中で糸口になるような言葉を探した。そして不自然にならないような口調をつくって声に出した。
「あ、そうだ。今日からクラブ活動どうする?」
「あー」桃は少し頭を傾けた。「もう終わっちゃったし……一旦お休みってことでいいんじゃないかなと思ってる。あと何週間かで夏休みも始まるしさ」
「休み……」
「そう。今までありがとうね。てか、巻き込んじゃってごめん、なんだけど」
少しの間、お互いしゃべらなかった。それを破ったのは桃のほうだった。
「じゃ、私そろそろ行こうかな。二海ちゃんここいる?」
桃はとんとんとんと階段をおりてきた。そしてその足が踊り場について、横を通り過ぎようとしたとき、二海はとっさに桃の手を掴んだ。
「わっ……どうしたの?」
二海は何か言おうと思った。何か、自分の気持ちをすべて表せる言葉がほしかった。あのハッキングされたページを見た時の驚きから、コンピューター室を初めて訪ねたときの緊張感、ネットを支える技術について触れたときの面白さ、スマホでのメッセージのやりとり、パンを公園で食べたこと、夕日をあびて帰りながらのなんでもないような話、そういうすべてを一斉に思い出した。
二海は口を開いた。それでも声が出ず、かわりにひゅうっと喉の奥が鳴るのが聞こえた。
「あ、え、どうしたの、えっ」
ぼたぼたぼた、と床に涙が落ちた。ごめん、だいじょうぶ、と言おうとして言えなかった。目の周りが熱く、視界がぼやけ、喉が痛い。声が声にならなかった。泣き声みたいだ、と思い、それが実際に自分の嗚咽だということに、二海はなかなか気づかなかった。
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