第5話

「えー、どこから始めようかな……」

「CTFからでいいんじゃないの?」


 上原と呼ばれた生徒はコンピューター室の黒板の前に立ち、手にチョークを持っていた。長い髪の生徒は、先ほどと同じ席に座ったまま、本だけ机の上に伏せて話している。


 二海は黒板の真正面、一番前の席についていた。気づくと手は膝の上で、一人だけやけにかしこまった姿勢になっている。


「そうだね……あ、ちがうわ、ちがう。自己紹介だ。えっと、私が1-Aの上原桃。で、あっちが……ごめん、ゆあんって姓なんだっけ」

「え? 普通忘れる?」

「み、で始まるのは覚えてる」と桃は悪びれるでもなく言った。

「三石」

「あそうそう、三石ゆあん。クラスおんなじ。で、……」


 促され、二海は口を開いた。


「も、元井……二海」


「二海ちゃんね。いやあ、来てくれてありがと。そしたらね、えーと、最初にざっと説明しよう。CTFっていうのはね、ざっくり言うと、セキュリティコンテストのこと」


 ざっくり言われても、二海にはさっぱりわからなかった。セキュリティのコンテスト、という言葉からは、警備会社の人たちが運動会をしている図しか頭に浮かばなかった。


「例えばこういう」と、桃は『yfrvtyudais』とデタラメな英語をざかざか書いた。かつかつとチョークが黒板に当る。「暗号があってそれを解いたりとか、ソフトウェアがあってそれをハックするとか、ネットワークの通信内容を解析するとか……色々な分野があるんだ。でも全部で共通してるのが、『Flag』を探すこと」


 桃はチョークで黒板に大きく『Capture the Flag』と書いた。


「『旗を取れ!』ね。この『旗』っていうのは、実際の、本物の旗のことじゃないの。ただの文字列。それがファイルの中とか、データベースの中とか、通信内容の中とかに隠されてて、その文字列を見つけ出すのが『旗を取る』ってこと。つまりセキュリティ関係の技術を使って、隠された情報を見つけ出す。そのテクニックを競うのが、CTF」


 そこで桃の熱のこもった語りは一区切りを迎えた。しかし二海の表情を見て、「……つまり、ハッキングの大会ってこと」と桃は最後に付け足した。


「ハッキング……」


 その単語で、二海ははっと言わなければいけないことを思い出した。


「ハッキングって……あの、私のページ……あれは」

「あ、そうそう。あれはこのCTFで培ったテクニックでやったんだよ」


 やっぱりそうだった。二海はそう思いながら、「あの……何で?」とたずねた。


「いや、このCTFクラブは私がつくったんだけど、全然メンバーが集まらなくて。ゆあんは引っ張れたんだけど、最低後一人はほしいのに、なかなかコンピューターに興味があるって人が見つからなくってさ。でもそんな時! 私のルーターのアクティビティログに、チェリーサーバーへのアクセスログを見つけたから、これは! と思って」

「ルーター、って、もしかして『kirigaya-wifi』……?」

「そうそう!」


 桃は楽しげに言ったが、二海はそれどころではなかった。あの時、他に変なところにアクセスしなかったか? 恥ずかしい言葉を検索したりしなかったか?


「それでURLが分かったからアクセスしてみたら、フォームがあったからそこでちょちょっと細工して、あのページを書き換えてメッセージを置いたわけ。伝わってよかったー」

「でも犯罪だからね」


 と、満足げな桃に対してゆあんが言い放った。「だいたいフォームあったんなら、そっちで送ればいいじゃん」

「いや、だってさ……こっちのほうがインパクトあるでしょ?」

「普通に不正アクセス禁止法違反だから。元井だっけ? 訴えなよ。逮捕させられるよ」


 いきなり話をふられ、二海はへどもどした。冗談なのだろうが、初対面の相手にどこまで乗っていいのかわからない。


「あ、はは……」


 そう笑ってみたが、ゆあんは興味を失ったようにふっと視線を外した。失敗した、と二海は思った。


 しかしそんな二海には構わず、桃はテンションの高いまま喋る。


「いや、元のファイルはちゃんと別の場所に移してあるから……後で戻し方教えるから! それに、CTFクラブに入ると、こういう攻撃から身を守る方法も身につくよ。どう? 入らない? どうどう?」


 二海は教壇から降り、二海の目の前に立った。言葉の上ではたずねていたが、調子は『有無を言わせず』という言い方がぴったりだった。

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