第4話

 放課後の、電灯のついていない廊下は暗くひっそりとしている。上部についた、細長い窓から光が漏れているので、部屋の中には灯りがついているのだろう。そのわずかばかりの光は、廊下の暗さをより強調しているようだった。


 今日一日、二海はずっと赤文字のメッセージのことばかり考えていた。一旦この学校の、別棟二階の端にあるコンピューター室の前に来てみたものの、『the computer science room』がここのことを指しているのかも定かでない。例えば『Visit the computer science room after school!』が二海の知らないインターネット・ミームであるということもあり得る。


 今日の授業中、二海はルーズリーフの一枚に考えられるパターンをいくつも書きなぐった。自分、つまり元井二海という人間にあてたメッセージで、『computer science room』もこの学校のコンピューター室を指しているパターン。単純な無差別の嫌がらせで、『Visit the computer science room after school!』も『放課後にコンピューター室を訪れろ』イコール『もっとコンピューターについて勉強しろ、この糞ガキ』という意味であるパターン。その他、その他。ルーズリーフの裏面まで埋めると、もう考えるのが面倒になっていた。というより、何種類もパターンを想定しても、それが合っているのかいないのかわからないのでは、もやもやしてしまってそれ以上考えを進められなかった。まず今日の放課後、コンピューター室へ行く。それで一つめのパターンが正解かどうかを判断する。次のステップはそこからだ、と二海は今日の七限ぶんの時間を費やして決めた。


 しかしいざこうやってコンピューター室の前に立つと、二海の中では不安が頭をもたげてきた。the computer roomがここではなく、中にいるのがまったく関係ない人だったら。『私のWebページにメッセージを書いたのはあなたですか?』ということをうまく伝えるのにはどうしたらいいのか。もしメッセージの元がここだということを突き止めても、その後の展開をどうすればいいのか。もとに戻してと頼む? だいたいあれはどんな方法でやったのか? そもそもの目的は?


 色々なことを同時に考えすぎて、二海はだんだん緊張してきた。胃の奥の辺りがしめつけられるようで、指の先がつめたい。


 それでも、『two-oceans.xyz』のことを思い返し、二海は上履きの足を一歩進めた。コンピューター室の引き戸に手をかけ、自分の中のぐちゃぐちゃを振り切るようにぐいと引く。


 コンピューター室の奥、壁際に一人の生徒がいた。椅子に座り、もう一つ椅子を近くに寄せて紺のソックスに包まれた足を乗せ、分厚い本を読んでいた。色が白く、まっすぐで長い黒髪を胸下まで伸ばしている。


 長い髪の生徒は二海に気づくと、本をスカートの上に置いてこちらを見た。口元はきっと結ばれて、表情にはわずかな笑みも浮かんでいない。二海は怯んだが、強いて自分の口を開いた。


「あ、あの……」

「何?」


 表情と同じく、口調にもまったく柔らかさが無かった。


「あの、知ってたらでいいんですけど、えっと、『Visit the computer science room』って……知ってます……か?」

「え? どういうこと?」


 既に二海はめげそうだった。


「ごめんなさい、あの、なんか、『CTF club』っていう……あ、でも知らなかったら知らないでよくって」


 二海はもう引き戸に手をかけていた。しかし長い髪の生徒は、二海の『CTF club』という言葉を聞くと、「え、まじで?」と身を乗り出した。


「え、もしかしてページの改ざんされた人? うそ、ほんとに?」

「改ざん……?」

「えーうそ、まじで来たの? うわー、すご! うける」


 長い髪の生徒は勝手に盛り上がっている。二海はどんなリアクションを取ればいいのかわからないまま、置いてけぼりになっていた。


「あ、上原! 来たよほんとに!」


 長い髪の生徒が、二海の後ろに視線を向けて声を上げた。二海は驚いて後ろを振り向いた。そこにはキャメルのカーディガンを羽織り、手に水玉柄のタオルハンカチを持った生徒がいた。


「え、ほんと!?」


 上原と呼ばれた生徒はそう大声で言うと、二海と正面から視線を合わせた。そしてにっと顔いっぱいに笑い、すうと息を吸ってから、


「一緒に旗をぶんどりませんか?」


 と一息に言った。言ってから、「ふふふっ」と盛大に噴き出した。

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