第2話

「次の英語自習だってー」


 教壇に立った冴香の声に、にわかに教室じゅうがざわついた。


「えー、なんで? タカセン風邪?」

「わかんない。でもAも休みだったって」

「やーったー、数学の宿題間に合うー」


 椅子を動かすがたがたという音が響く。二海はしばらくクラスの様子を見ていたが、やがてその騒がしさに紛れるようにして、こっそりと鞄を持ち、扉を開けて廊下に抜け出した。


 隣の1-Bは誰もいない。机の上に着替えが置かれているところを見ると体育なのだろう。1-Aは数学で、何人かが黒板の前に立って宿題を書いている。伸びる廊下の床は鈍く光り、なんだかつめたそうだった。


 二海は階段をのぼり、屋上へ続く扉の手前で止まって腰を下ろした。扉はいつも施錠されているので、この場所には二海以外の人間は誰も来ない。二海は他にもいくつかこういう場所を確保していた。一階の進路資料室。別棟三階の空き教室。それにこの屋上前の階段。この場所に来ると、二海はいつもほっとため息をついた。


 二海は足元に置いた鞄から、黒のノートパソコンを取り出した。今年三月に出たばかりのモデルで、通学のときも気にならないほど軽い。高校の合格祝いと貯めていた小遣いを合わせて買ったものだ。


 スマートフォンのロックを解除し、テザリングを有効化する。ノートパソコンでブラウザを立ち上げ、ブックマークに登録してあるページを開いた。


『two-oceans.xyz』とタイトルが表示されているこのウェブページは、二海が自分でつくったものだった。中学生の、だんだん学校の居心地が悪くなってきたころ、二海はとあるサイトを見つけた。SNSで流れてきたもので、いくつかのブラウザゲームが掲載されていた。ブロック崩し、パックマンのようなパズル、経営シミュレーション。特に二海がハマったのはハンバーガーショップの経営シミュレーションゲームで、一旦クリアすると後はひたすらハイスコアを更新しつづけた。『トリュフフォアグラバーガー』をできるだけ早く開発するのがスコアを稼ぐコツだった。


 二海は長らくそのゲームのスコア一位だったが、ある日今までランキングに名前も無かったプレイヤーにそのスコアが抜かれた。それもぶっちぎりで。二海のスコアの最高記録が百十七万だったのに、その一位のスコアは一千万ピッタリだった。おかしい、と二海はトリュフフォアグラバーガーに代わる新商品開発に勤しんだが、数日経ってからゲームサイト側から発表があった。曰く、そのトップのスコアは不正を行ったプレイヤーによるもので、該当のプレイヤーはBANし、スコアも無効にした、と。二海は再び一位に返り咲いたわけだが、そのことがあってからゲームに対して以前ほどに情熱が持てなくなった。代わりに、どんな方法であの桁違いのスコアが生み出されたのかのほうに興味を持つようになった。


 わからないなりに調べていく中で、ゲームの背後にはサーバーというものが存在しており、不正はそのサーバーに対して何かよからぬことをすることによって実現されたものだということがわかった。サーバー、という言葉を手がかりにまた調べていくと、二海は無料でサーバーをレンタルできるというサービスに行き着いた。サーバーをレンタルすれば、あのハンバーガーショップ経営ゲームのようなものを自分で作れるのではと思った二海は、早速メールアドレスを登録してレンタルサーバーを申し込んだ。


 サーバーを借りたといっても、それでゲームが作れるわけではないということはそれからしばらくしてわかった。サーバーというのにも色々な種類があり、ゲームのサーバーと二海が借りたホスティングサーバーというものは別のものだというのだ。それでも、そこまでわかるようになってからは、二海は借りたサーバーで色々遊ぶのが楽しくなってきていた。HTMLというものを書き、FTPソフトをインストールしてつくったHTMLファイルをサーバーにアップロードした。そしてURLをブラウザに入力して表示すると、さっき自分が書いた文字がウェブ上で表示されている。こういうウェブページというものは、会社か何かでないと作れないものだと思っていたので、自分の手で自分のページが作れるというのが新鮮で面白かったのだ。


 そのときから今現在までずっと、二海は『two-oceans.xyz』のページをこつこつと更新しつづけてきた。最初はたった一つのHTMLファイルしかなかったのが、今は十以上も使っている。URLもオリジナルのものをとっているし、この前からCSSやJSというものを使ってレイアウトを整え始めた。今は、トップページに表示している写真を、縦ではなく横に並べるようにしようと頑張っているところだった。


 デスクトップのテキストエディターのアイコンをダブルクリックし、履歴からファイルを選ぶ。写真へのリンクが書いてある箇所を眺め、テスト用にいくつかのタグを追加してみた。ブラウザで開いて確認してみるが、思ったような並び方にはなっていない。今度はCSSファイルのほうをいじってみる。


 周りの状況を意識する必要なしに、目の前の文字の連なりだけに集中していると、学校に来てからずっとざわざわ落ち着かなかった心がだんだんと鎮まってくる。二海はしばらくかたかたとキーボードを叩いていた。


「ん?」


 あるタグの書き方を調べようとした二海は、ブラウザの読み込みがひどく遅いことに気がついた。思いついてスマートフォンを確認してみると、もう今月分のパケット通信量を使い切ってしまっていた。


「ありゃ……」


 これでは何をするにもひどく待たせられることになる。そんなイラつくことはしたくないし、かといってまだ五限の終わりまでにはまだ二十分もある。どうしようか、とあてなく二海はパソコンをいじっていたが、ネットワーク設定のところでWi-Fiが飛んでいる事に気がついた。『kirigaya-wifi』という名前のもので、パスワードがかかっていない。ためしに接続してみると、問題なく繋がった。ブラウザもさくさく動く。


 名前からすると、学校が管理しているWi-fiだろうか。いいものを見つけた、と二海は嬉しくなった。それからチャイムが鳴るまでの間、二海はせっせと手を動かし続けた。

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