第50話
話をしていると、館山まではあっという間だった。駅に着くと、二海はホームで伸びをした。
「出口どっちですか?」
「こっちー。バス乗り場があるから」
ちらりと時刻表を見ると、すかすかだった。改札を出て、階段をおりたところには『くじら』というポスターが貼ってある。
駅前のロータリーからバスに乗り、二十分ほど揺られ、そこから里々を先頭にして歩く。里々の言っていたとおり、海までは少し距離があるらしい。それでも、風が東京よりさわやかな気がした。
「ここー」
里々以外の四人は、門の前でその宿を見上げた。ふつうの民家とそこまではかわらない。ただ玄関が大きく、『ふくら』という看板が出ていて、周りのぐるりが生け垣で囲まれている。敷地の奥の方には、何かの畑があるのが見えた。
「おばさーん、来ましたー」
横に引くタイプの玄関の扉を開けて、里々が声を上げた。サンダルが出してある玄関。電気のついていない廊下。下駄箱の上に飾られているだるまとチャグチャグ馬コ。よその家のにおいがした。
ややしてから、奥から小さな足音が近づいてきた。
「いらっしゃい、疲れたでしょう、こんな遠くまで」
「ありがとうございます、お世話になります」
桃がはっきりと通る声でそう言い、頭を下げた。それに二海も、優もゆあんも続く。
里々の『おばさん』は、ちょっと想像していたのとは違った。小柄で自然な笑顔が浮かんでいて、茶色っぽい短い髪の毛をさっぱりと短くしている。メガネをかけて、ゆったりとした黒いワンピースの上からカーキのエプロンをつけていた。『春子』というのが名前だと、電車の中で里々が言っていた。ふだんは『文雄』というおじさんと二人で民宿をきりもりしているらしいのだが、おじさんは今は山に泊りがけで登りに行っているということだった。
「お邪魔します。ご迷惑おかけしますが、よろしくお願いします」
「さ、さ、早く上がって」
荷物を置き、手土産を渡した後、五人は食堂のほうへと通された。水玉の柄のついたコップが食卓の上に人数分並んでいて、透明な麦茶ポットが置かれている。直接日差しが差し込んではいないが、窓にはレースのカーテンだけがかかっているから、照明がついていなくても十分明るい。
台所に立っていた春子が、盆の上に乗せたスイカを運んできた。
「ありがとうございます」
さっと立ち上がった桃が、皿を並べるのを手伝った。
「スイカと麦茶って、すごい夏休みみたいな感じがする」
先の割れたスプーンを手にしたゆあんが口にする。
「最終日だけどねー」
優がなんとも悲しそうな声で言った。春子がそれを聞いて笑う。
スイカを食べ終わり、片付けをした後は、一旦五人は二階の部屋に集まった。『本当は二部屋なんだけど、鍵をはずして引き戸を開けると一部屋になる』部屋は、一部屋がフローリング、一部屋が和室でどちらも広かった。和室のほうに荷物を置き、夜になったら布団をしくことにして、フローリングのほうでCTFをやろう、ということでまとまった。和室のすみには座布団がかさねてあり、ちゃぶ台まである。家に和室のない二海には珍しい光景だった。
フローリングの方には、窓のある壁に勉強机が二つ並べておいてあった。奥の壁には本棚があり、ずいぶん昔のものらしい辞書やハードカバーや漫画が並べてあった。『お父さんとおじさんの部屋だったらしい』と里々が言う。確かに勉強机は、今風の小学生からずっと使える、というようなものではなく、引き出しは少なく色も黒かった。
フローリングのほうの部屋で桃はネットワークの環境を調べ、ゆあんは電源タップを取り出してとりつけた。モニターと、アームも荷物から出てくる。本棚の空きの部分に、持ってきた本を並べる。
二海も、PCバッグから二台のノートパソコンを取り出して電源をつけた。仁美に借りたほうは、別ユーザーをつくった上で仮想環境も入れておいた。それを里々に渡し、ログインパスワードを教える。
「ありがとー。セットアップはしてあるんだよね?」
「Linuxは入れてますけど、そこにツールとかは入れてないんで、いまのうちやっといたほうがいいと思います」
「じゃあ、今やっちゃおうかな」
「里々さん! 余分の椅子ってありますか?」
その時、黙々とアームを取り付けていたゆあんがたずねた。「こっちでやるんなら、机は共有で使えそうですけど、椅子はあと三脚あったほうが」
「あー、たぶんある。聞いてくる。だれか来てくれる? もしあったら運ぶから」
「私行きますー」
優が立ち上がる。「私も」と、二海も続いた。
里々が春子に聞くと、外の物置にあるかも、ということだった。玄関から裏庭にまわり、物置を開けると、むわっと暑くほこりっぽい空気があふれてきた。
「どこだろー」
里々はその中にぐいぐい入っていき、土の袋やシャベルや大きなはさみをわきによけながら探した。やがて、
「あった、あった」
と、丸椅子を抱えて持ち出してきた。
「ちょっと、このままだとまずそうだね」
優が言う。たしかに、椅子は土埃にまみれていた。
「何か、雑巾とかないか聞いてくる」
二海は言い、家の中に戻った。春子は食堂の隣の部屋で、ドアを開け放してラジオをつけたまま座椅子に座って目を閉じていた。眠っているのかと思ったが、「春子さん」と小さい声で声を掛けると、すぐ目を開けた。
「あの、すいません、雑巾とかありますか?」
「何に使うの?」
「椅子をふこうと思って……」
「ああ、あるわよ。こっちに来て」
台所には外につながる扉があり、開けたところに雑巾が何枚か干されていた。
「はい。畑のそばに水道があるから、必要だったらそれを使ってね」
「ありがとうございます」
せっかくなのだから、用事だけの会話だけではなく、何か話したいなと二海は思った。孫はともかく、その他四人もの子供を迎えてくれるという心の広さに、何か感謝の気持ちを示したかった。うまい口実は思いつかない。仕方なく、共通点である里々のことを話題にすることにした。
「あの、里々さんってお盆にもここに来たんですよね」
「そうよ。ここじゃなくて、近くの他の親戚の家だけどね。昔からお盆にはきっと来てて、もっと小さいころはもっと早くから来てた。夏はここも忙しいから、あんまりかまってあげられなかったんだけど、なんでかよくここにも遊びに来てね。海に行った後とか、水着でそのまま歩いてきたりして。だから小さい頃のあの子はずーと日焼けで真っ黒」
「えーっ」
今の里々の白さからは想像がつかない。笑顔を浮かべながら、春子は続けて話した。
「だから、びっくりするわけ。私の中では、あの子はまだ小さい真っ黒けの子なのね。それが今のあの子とずいぶん違うから」
「私からすると、その小さい真っ黒の子が想像つかないです」
「あとでアルバム見せてあげましょうか」
「あ、見たいです! どんなのか」
「じゃあ、夕ご飯の後に。ああ、そうだ、夕ご飯、みんなどんなのがいいのかわからなくて、カレーにしようかと思うんだけど、いい?」
「あ、はい、カレー好きです。というか、すいません、急に大人数で……」
「いいのいいの、気にしないで」と春子は手を横に振った。「一人で、おもてなしもできないんだけど、この家が役に立つのは嬉しいのよ。他にお客さんはいないし、くつろいで」
「いえ、あの……ありがとうございます。あの、私とか、変なことしたりしちゃったとか、うるさいとか、何かあったらすぐ言ってください」
「そんなかしこまらないで、のびのびしてちょうだい」
「二海ー?」
外から優の声がする。二海は、手に雑巾を持ったままだったことに気がついた。「あ、じゃあ、ありがとうございます」と春子に言って、急いで玄関へ向かった。
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