第51話

 目を覚ました時、一瞬どこにいるのかわからなかった。天井の木目。身体にかかったタオルケット。いつもと違う体の下の感触。誰かの寝息。


 ここがどこかを思い出し、眠い目で枕元のスマートフォンを引き寄せると、まだ六時だった。もう一度目をつぶってみたけれども、頭のほうがどんどんさえてきた。


 二海はそろそろと起き上がり、他の人を起こさないように足音を殺して部屋の外に出た。洗面所で顔を洗う。着替えもしたかったが、荷物は部屋の奥だ。後でにしよう、と二海は考えた。洗面所についている小さな窓から、外の様子が見える。今日も天気はいいらしい。暑さも相変わらずのようだ。


(そういえば、今日から九月か)


 まだまだ夏の暑さなのに、と二海はタオルで顔を拭きながら思った。『たてしん』とプリントされたタオル。よその家のタオルだ。自分の家以外のタオルを使う、というより他の家に泊まるなんて、小学生ぶりだった。


 一時間ほどすると、他のメンバーも起きてきた。朝食づくりを手伝い、食べ、部屋に戻る。あと数時間で、AJSECだ。


 二海は緊張していた。この、始まる直前の感じは、何度目でも慣れない。どうしてもお腹のあたりがこわばってしまう。いつか慣れて、平常心で迎えられるようになるのだろうか。それとも、慣れられないことに慣れるのだろうか。


 二海は、立ち上がって部屋の外に出た。階段をおりて、スニーカーをつっかけ外に出る。セミの声。強い日差し。時折吹く風。二海は昨日来た道を歩いた。よく知らない場所だから、あてはない。それでも、部屋にずっと座っているのは耐え難かった。道の脇では、名前を知らない草が今を盛りと濃い緑に育ちきっている。


 そろそろバス停、というところで、二海は後ろから声をかけられた。


「二海ちゃん!」


 桃がいた。足首までの長いワンピースを着ていて、その裾がときどき風で揺れていた。草のなびくのとワンピースがなびくのが、ぴったり同じタイミングになっている。


「あ、……どうしたの?」

「いや、二海ちゃんこそどうしたのだよ。どこいったのかと思った」

「なんか……緊張しちゃって、じっとしてられなくて」


 二海が言うと、桃はちょっと笑った。


「わかるけど。ま、何かびっくりしちゃったから、部屋戻ろうよ。話とかして紛らわしてさ」


 桃はそう言いながら二海の手を取った。


「確保ー」


 手を引かれているのがおかしくて、二海は笑った。


「ほぐれた?」

「ちょっと……あ、これ前もやったような気がする」

「前? あ、Junior? あー、そうだ、やったねえ、ラジオ体操」

「やったでしょー。戻ったらみんなでやろうか」

「やろう! あ、二階だと響いちゃうかな、下に降りて」

「だね、両足とびのところですごいことになっちゃう」


 二人は家までの道を歩いた。片手がふさがっているので、髪の毛が顔にかかるたびに、軽く頭を振ってそれを払った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る