第26話

 二海はベッドの中で目を開けた。まだ眠けがまぶたの上にずしりと乗っている。枕の横に置いてあったスマートフォンを見ると、六時四十七分だった。


 もう少し寝たほうがいいと思い、目を閉じて枕の上に頭を置いたが、なかなか眠れそうになかった。とりとめのないようないろいろなことが頭の中に浮かんでは消える。しかしなかなか意識がゆるまない。


 原因はわかっていた。今日の十二時に始まるAJSEC Juniorに寝過ごしてはいけないと思うと、どうしてもリラックスできないのだ。


 しばらくベッドの中で寝るとも起きるともつかずに過ごしてから、あきらめて二海はベッドを出た。部屋のオフホワイトのカーテンを引くと、外はぴかぴかに晴れていた。昨日だったか一昨日だったかに梅雨が明けたらしい。まだ六月なのに。


 二海は着替えて朝食をすませてから、台所の上の棚にあった水筒を出し、コーヒーをつくってつめた。昨日買ってきておいたブロックチョコも冷蔵庫から持ってくる。


 部屋にこもり、まだ熱いコーヒーを少しずつ啜りながら、二海は『DNSの理解』という本を読んだ。もとは海外の本のようで、日本語の使い方がまずく、意味がうまく取れないところが多かった。それでも、AJSEC Juniorが始まるまでの時間つぶしに、二海はそれを読み続けた。


 十一時になると、チャットに桃からメッセージが来た。


『いよいよだね!』


 二海は本を開いて自分の膝に乗せたまま、返信を打ち込んだ。


『大丈夫かなあ、どきどきする』

『大丈夫だよ! ここまでずっとやってきたじゃん』

『そうだね、ネムシャキもあるし。コーヒーもたくさんいれたよ』

『私も。でも今日暑いから熱いのはきついかも、アイスにすればよかった』

『氷入れればいいじゃん』


 と、ゆあんが話に入ってきた。


『氷入れると薄まっちゃうし』

『量でカバーすればいいよ。ガブ飲みして』

『お腹壊しそう』と二海は書いた。桃もゆあんも、レスポンスがいつもより早い。たぶん二人とも、十二時までの時間のやり過ごし方に困っていたのだろう。


 十一時四十五分になり、二海はブラウザで開いているページを確認した。AJSEC Junior。桃がつくってくれたまとめ。今まで解いた問題とその解法は別のウィンドウに出してある。それに、CTF用のソフトウェア一式を入れた環境もすでに立ち上がっている。


 しかし確認を終わらせても、まだ十分は時間があった。二海はもう胃が痛かった。早く、早く始まってほしい。


『はよ〜〜〜〜』


 ぽこんとゆあんのメッセージが送られてきた。二海は親指を立てている絵文字をつけておいた。


 その時、桃が唐突なメッセージを送ってきた。


『運動しよう。ラジオ体操』


 動画サイトのURLも添付されていた。体操着の女の人がスタジオに並んでいるサムネイル画像がついている。


『身体動かすと緊張がほぐれるっていうから』


 再生ボタンを押すと、小学生のころよく聞いたあの音楽が流れてきた。背伸びの運動です、はい、いち、に、さん、し、いち、に、さん、し。


 椅子に座ったまま、二海は腕をぐるぐる回したり深呼吸をしたり、首を回したり斜め下に手を伸ばしたりした。


『五年ぐらいぶりにやった』


 最後の深呼吸まで終え、二海はそう書き込んだ。先程までの胃のあたりのこわばりが、少しゆるくなっている気がした。


『私も』とゆあんも書いた。


『ほぐれた?』

『ほぐれた』


 十一時五十九分になっていた。二海はAJSEC Juniorのページを開き、F5キーに指を置いた。


 ぴ、と時計が十二時を指した。

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