第11話

「二海。……二海、寝てる?」

「んっ、ああ、寝てない。何?」

「お風呂入っちゃいな。もう十二時だよ」


 二海の部屋の扉をノックなしに開けたのは、姉の仁美だった。長い髪をタオルでぐるぐる巻きにし、パステルカラーのタオル地の寝間着に着替えている。扉が閉まると、姉が自分用にと浴室に置いているボディソープの洋梨の香りだけが残った。


 二海は家に帰ってきてからベッドの掛け布団の上に横になり、今日借りた『ネットワークの基礎がわかる』をずっと読んでいた。学校で、桃が二海のノートパソコンを何やら色々いじっている間や、帰りの電車の中でも読んでいたので、本はほとんど終わりのほうに近づいてきている。


 『ネットワークの基礎がわかる』は、リンクをクリックやタップするとブラウザが開き、何かしらのページが表示される、その背後にはどういう仕組みがあるのか……というところから始まっていた。今までの二海は、ブラウザにURLを入れればそのURLのページが表示される、そのURLと紐付けられたサーバーにコンテンツをアップしたり更新したりすれば、ブラウザで表示されるページも変えられる……という形の理解をしていた。その間にある詳しい仕組みはブラックボックスだったし、またそれを理解する必要も感じていなかった。だから、例えば『two-oceans.xyz』のページが『404 Not Found』だの『500 Internal Error』だの、見せたい内容が表示されずにエラーが出ても、あちらを変えたりこちらを戻したりを繰り返す、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる式で対処していた。


 しかし『ネットワークの基礎がわかる』では、この二海がブラックボックスだと思っていた箇所で、実際はどういうことが行われているのかが詳しく紐解かれていた。URLが入力されると、ブラウザはまずDNSという仕組みでそのURLに対応するサーバーを見つける。その見つけたサーバーに対して、ブラウザは今度はHTTPという仕組みで『コンテンツをください』というリクエストを送る。サーバーはそのリクエストを受けて、リクエストの中で欲しいと言われているもの、例えばHTMLファイルや画像、があればそれをブラウザ側に送信するし、なければ『無いよ』というメッセージを送信する。ブラウザは送られてきたものを受取り、それを画面上に表示する。


 この『無いよ』のところに差し掛かったのはまだ夜の八時くらいだったが、二海は部屋で一人思わず「ああー」と声を上げた。あの『404 Not Found』というのは、『無いよ』という意味だったのか。前に二海がそれを見たのは、ページ上に画像を出そうとしてうまく表示されない時だったのだが、あれはブラウザがサーバーに『この場所の画像をください』とリクエストして『無いよ』と返されていたということだったのだ。なるほどなあ、と二海は感心しながらページをめくった。


 その後も『ドメイン』や『IPアドレス』など、耳に挟んだことはあったがよくわかっていなかった用語の意味が、推理小説の最後の十ページのようにどんどん明かされていった。とくに『パケット』は、通信をするときにデータを分割して送る、その分割されたものを差して小包<<パケット>>というのだというくだりは、まるでさりげなく示されていたシャンパングラスの数が実はトリックの真相を解く鍵というところだった。


 しかしスマートフォンを見ると、たしかにもうそろそろ日付が変わるころだった。元井の家の風呂は、なぜだか十二時以降は保温機能が切れてしまい、お湯がぬるくなってしまう。まだ温かさが残っているうちに入ろう、と二海はベッドから立ち上がった。


 ワンピースタイプの寝間着、下着、『さっぱり』タイプの洗顔フォーム、タオル、それにヘアクリップを持って階段を降り、脱衣所で服を脱ぎ去って風呂に入った。自分用のシャンプーとコンディショナーで髪を洗い、手のひらで泡を大きく立たせて顔を洗い、こっそり姉のボディソープを使い、全身をシャワーで洗い流してから浴槽に入った。お湯に身体が包まれると、肺から自然に息が漏れる。あんまり長い間読んでいたので、知らないうちに身体のあちこちがこっていたらしい。


 昔からの癖で、二海は湯船に浸かるときには体育座りの格好になる。その格好で肩まで浸かっていると、身体がほぐれ温まるのとはまったく別に、目がどんどんと冴えていった。


 まだ知りたい。もっと進めたい。ゲームにハマった時のように心が弾み、他のことに費やす時間が惜しかった。普段はどちらかというと長風呂のほうなのだが、今日の二海は三分も経たないところで立ち上がり、浴室から出た。寝るまでに本を全部読んでしまおう、と思っていた。

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