3 単位をすべて円にする


 ドライバーの郷田は一秒も遅れていないが、頼朝がぐずぐずしていたため、教室に行くのがいつもより遅くなってしまった。


 自分の机に行ってみると、椅子がない。見ると、頼朝の椅子はアリスが奪って、隣りの席の吉川さんと一緒に机についている。



「えーと、じゃあ、地球の直径は?」吉川さんが開いた教科書のページを見ながら、問題を出している。

「えーと、38万キロ?」アリスは首を傾げて解答。

「不正解。1万2000キロ」

「ふぇーん。わかんないよー」情けない声をあげて、アリスが頭を掻き毟る。


「じゃあ、太陽の光が地球に届くまでの時間は?」

「23時間57分」

「外れ。8分18秒」

「もう、無理だよ。こんなの覚えられない」アリスは全身から『諦めオーラ』を立ち上らせ半泣きしていた。


 頼朝はちょっと迷い、「椅子を返してよ」というのは諦めて、自分の机に腰を下ろした。


 そして愛らしいアリスの背中を見下ろす。細い背中には、白いブラのホックが浮き出ていた。胸が大きいため、ブラのホックはどうしてもごつくなるようだ。頼朝は周囲に気づかれないようアリスの背中をこっそり注視する。



「ほら、小笠原くんが来てるよ」


 吉川さんに注意されて、アリスは「ふええ?」とか変な声をあげて立ち上がり、奪っていた椅子を頼朝に返してきた。


「おはよう、トモぉ」なんか甘えた声をだしてくるから、頼朝の胸がきゅうんと苦しくなる。


「おはよう。B組は今日が小テスト?」


「そう。もう最悪」アリスはへこたれた顔でうなだれる。「こんなの覚えられないよぉ。A組はもう終わったんでしょ。トモはテストできた?」


「うん、まあ」頼朝は言葉を濁す。


「小笠原くんは、100点だったんだよ」


「え、うっそ!」アリスが野太い声をあげて、目を丸くする。


「いや、名前書き忘れて、零点だったんだけど」


「あれ、ひどいよね。小学生じゃないんだから、名前書き忘れて零点にするなんて、あの先生おかしいよ」吉川さんが義憤をあらわにする。


「かまわないさ」頼朝は肩をすくめる。「小テストだし。だいたいテストの点数なんて、どうでもいいじゃん。自分がきちんと理解できていればさ。でも、天体の数値を覚えるのは、ちょっと大変だね」


「どーすれば、100点なんて点数でるの? こんなの全っ然おぼえられないよ」


「こういう天文学的に大きな数値はさ、感覚がつかめないから覚えにくいよね」頼朝はにやりとして解説した。「そこで、こういう裏技を使う。単位を円にするんだ?」


「円?」アリスが首を傾げた。


「丸くするってこと?」吉川さんも、首をひねる。


「いやいや。キロって距離の単位を、お金の『円』という単位にするんだ。たとえば、地球の直径は1万2000円。払えるだろ?」


「はあ、まあ」アリスが不思議そうにうなずく。


「で、この調子でいくと、地球と月の距離が38万円、地球と太陽の距離が1億5000万円。ここらで払えなくなってくる。太陽と木星の距離が7億8千万円。ちょっと払えない金額だね。で、そうなると、無人探査機ハヤブサが飛行した距離が600億円なんて、国家予算だ。いかに凄い距離だかよくわかる。またこの方法で変換すると、光の速度は、1秒間に30万円となる。物凄い速度だろ? だいたい感じ、つかめた?」


「なるほど……」アリスは茫然としたのち、にっこりと笑った。「なんか、感じがつかめたかも。すごい不思議! ありがとう、トモー」

 アリスは急に頼朝の首に抱き着いてきた。


「わっ」


 柔らかい髪が首筋に触れ、甘い香りに包まれる。豊かな胸がぎゅっと肩に押しつけられた。自分の顔が自分でも恥ずかしいくらい熱くなるのを頼朝は感じた。

 ぎゅっと抱き着いて、さっと離れたアリスは、「もう、ホントにありがとう」と目尻に皺を寄せて笑顔を見せた。



 好きです。思わず言ってしまいそうになる。惚れてしまうでしょ、さらに。頼朝はドキドキしながらアリスを見つめる。


「このお礼は絶対する」

 言い切って、アリスはB組にもどっていく。


「アリスって、けっこう自由奔放よね」


 頼朝の気持ちを知ってか知らずか、とりなすように吉川さんが声をかける。

 頼朝の眠気は一発で吹き飛んでいた。





「なんですって?」ビュートが変な顔で聞き返した。「バレルロールって言いましたか? それなんです?」


「戦闘機の空戦機動のひとつだ」ヨリトモはベルゼバブを姿勢制御しながら説明する。「戦闘機で、腹を外側に見せながら螺旋状に飛行するんだ。それがバレルロール」


「それ、何に使うんです?」


「敵機とからみあった状況で、相手を前に出させる、すなわちオーバーシュートさせるときに、使う」


「いえ、戦闘機でどう使うかじゃなくて、カーニヴァル・エンジンでどう使うかって話です」


「いや、やってみたらカッコいいかなって思っただけで」


「でも、基本宇宙船ですからね。螺旋描いて飛ぶなんて、無茶ですよ。周りは真空ですから、噴射する反動でしか機動できませんし、姿勢制御しながら噴射することになりますから難易度高いですよ。でも、姿勢制御と噴射のいい練習にはなるかもしれません。カーニヴァル・エンジン操縦の基本は、定常円旋回ですから」


「よし、じゃあまずは、その定常円旋回から練習していこう」




 ヨリトモが『スター・カーニヴァル』に来てから、何日かが経った。

 現在大きな作戦は発生しておらず、初期の難易度の低いイベントやコンテストが開催され始めた段階だ。


 イベントはたまに発生する『敵偵察機撃墜』くらいで、あとは戦技コンテスト『バイアスロン』。空中標的を時間内に撃ち落とす、操縦および射撃の技術を競うコンテストだ。

 プレイヤーたちは結構、このコンテストで盛り上がっているようだが、ヨリトモは不参加。理由は銃がないからである。


 不参加という話を聞いたビュートは、「別にいいじゃないですか、剣で出れば」と言う。

 たしかにそれはルール違反ではないが、やはりやめておいたヨリトモである。彼はあんまり目立つことは好きではないのである。



 六番艦から脱出するさいに別れたっきり、アリシアとは会っていない。あれ以来彼女は『スター・カーニヴァル』にアクセスしてきていないようである。フレンドの接続履歴を見ればそれは一目瞭然であり、ちょっと寂しい。

 ヨリトモは一応短いメッセージも送ってみたのだが、アクセスしてこない彼女が、そのメッセージが読んだかどうかは不明である。


 一方おなじ六番艦だったムサシとは、同時に十三番艦に異動になり、いまもたまにロビーで顔を合わす。彼としては、ヨリトモとともに『バイアスロン』に参加して、ユニーク機体に乗ったヨリトモを打ち負かしてやろうと勢い込んでいたようだが、ヨリトモが不参加と聞くと不機嫌そうに顔をしかめていた。



 そうして、なんとなく無駄な時間なを過ごしていた『スター・カーニヴァル』のプレイヤーたちに、最初の作戦が発令されたのは、コンテストの三日前。内容は『敵宇宙要塞攻略戦』であった。



 作戦開始は、今週の土曜日、日本時間で15時。

 終了は未定である。



 先日の六番艦撃沈事件からも分かるが、この『スター・カーニヴァル』の敵・星間同盟軍は、各部隊独自に与えられた人工知能によって作戦を立案し、行動してくるらしい。


 そのためプレイヤーはもちろん、運営側もその行動が予測できず、戦局の流れもコントロールできない。シナリオなんて、まったく存在しないのである。



 今回の宇宙要塞攻略も、敵戦力は不明、攻略にどれくらいの時間がかかるか分からないとの公式発表である。当然、作戦失敗も有り得るというのだ。

 めちゃくちゃといえば、めちゃくちゃだが、面白いといえば面白い。いや、だれが何といっても、これは面白い。頼朝はどきどきしながら、土曜日が来るのを楽しみにしていた。

 そんな金曜日の放課後である。




「トモー」


 帰ろうとしていた頼朝の肩を、後ろから走ってきたアリスが激しく捕まえた。鬼ごっこでもしているみたいな激しい捕まえ方だったから、頼朝は驚いて振り返る。


「なに?」

「うん、あのさ、トモって、今度の日曜日、暇?」

「さあ、要塞の攻略次第で……、あ、いや」

「洋裁って言った? ミシン使うの?」

「いいや、えーと、なにか用?」

「うん、ねえ、浅草いかない?」


「え? おれと?」頼朝は心臓が跳ね上がるほど驚いた。「みんなでいくの?」


「ううん」アリスは首を横に振る。「あたしと二人で」


 急に心臓が早鐘のように打ち始めた。まずい、アリスに聞こえてしまうかもしれない。


「ほら、このまえの地学のテストのお礼。デートしようよ。あたしが、色々おごるからさ」


 アリスははにかんだような天使の微笑みを浮かべて、頼朝のことを見上げた。


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