第1話 スター・カーニヴァル
1 ボイドの空中戦
アリスと初めて出会ったのは、幼稚園のころだ。
彼女は、イギリス人の父と、日本人の母を持つハーフであり、絹糸のような栗色の髪と、エメラルドのように美しい碧色の目を持っていた。
幼稚園で一緒だった頼朝は、そのころはアリスのことをなんとも思っていなかった。
第一あのころのアリスは、顔が猿に似ていて、笑うと本当にチンパンジーみたいな猿面だった。でも頼朝とアリスは仲が良く、いつも砂場で一緒に遊んでいた記憶がある。あの頃に確か、大人になったら結婚しようと約束していたはずであったが、あの約束はどうなってしまったのだろう。
そのあとアリスは父親の仕事の関係で、小学校にあがるまえにイギリスに行ってしまい、それっきり頼朝とは会うこともなかった。
その彼女が急に日本に戻ってきて、頼朝の通う高校に転入してきたのが、去年の3月。
もの凄い美少女が隣のクラスに転入してきたと噂になり、聞かされた名前が『キリヤマ・アリス』。
え?と思って、帰りがけにこっそりのぞきに行くと、そこには、すらりとした細身の、天使のように美しい女子生徒がいた。
片言の日本語と、柔らかな笑顔。絹糸のような生来の茶髪と、深い森のような碧眼。
成長したアリスは、まるで毛虫が綺麗な蝶に成長したごとく、美しい女性になっていた。
おどろいた頼朝は、彼女に声をかけることも出来ず、そのまま退散した。
彼はその日、自分が恋に落ちたことを知り、愕然とする。
頼朝は、アリスに恋していた。初恋だった。
その日から頼朝は、いつもアリスの姿を目で探していたと思う。
二年生に進級し、クラス替えがあったが、残念ながらアリスとは一緒のクラスにはなれなかった。頼朝は去年と同じA組。アリスは、彼女も去年と同じB組だった。
心底残念だった。違うクラスで一年間過ごす。これは頼朝にとっては大きな損失だった。
彼は、いつもアリスを探していた。廊下で偶然すれ違ったりしないか? 図書室でいきりな鉢合わせしたりしないか?
だが、なかなかそんなチャンスは訪れず、彼女の姿すら目にしない日が何日も続いた。
その日も、頼朝はアリスの姿を見ることなく一日を終え、ゆっくりと校門へ向かっていた。
校内にある車寄せには、すでに何台かの車が停車している。この学校は私立のなかでも比較的裕福な家庭の生徒が通っているため、自家用車通学は頼朝だけではない。
ただし、運転手まで雇っているのは、頼朝の家くらいなものだが。
頼朝の家の運転手・郷田は、ボディーガードも兼ねている。
仏頂面の運転手は長身で鍛えられた身体を持ち、頭は短く刈り込んでいる。肌なんか以前は砂漠に住んでいたのかと思うくらい日焼けしている。いつも地味な灰色のスーツをぴしりと着込み、直立不動。たまに首を回して周囲を警戒しながら待機している。
頼朝が彼のSPぶり、というか軍人ぶりに辟易しつつ歩み寄ると、郷田はすばやく周囲を確認して後部ドアを開けてくれ、頼朝の乗車を確認すると、なにか要警護対象者をガードするような身ごなしで運転席にすべりこんで、手早く車を発進させる。
郷田は、どんなに道が空いていても、絶対に制限速度を一キロもオーバーしない運転で家まで運んでくれる。うちの車はジャガーXJだから、たしか三百キロ近くでる性能があるはずなのだが。
帰宅した頼朝は、階段で三階まで駆け上がると、制服から部屋着に着かえ、ゲーム用ワークステーションを起動して、ブレイン・マシン・インターフェースであるニューロ接続カスクを頭にかぶる。最新型の無線カスクだ。
一部では有線の方が性能がいいと言われているが、それは通信密度の話であって、はっきりいって視覚および聴覚に関しては、人間に見分けのつかないレベルでの劣化しかない。なにより、長時間のプレイには、重たい有線カスクは身体に負担がかかる。その疲労の方が絶対にプレイに影響する。頼朝はそう思っていた。
カスクとワークステーションのニューロインターフェースが確立され、インターネットを介して、スーパーコンピュータ内に形成されている電脳仮想空間『ボイド宇宙』へアクセス。そののち『ボイド宇宙』内に数ある『ボイド空間』のひとつ、『エアリアル・コンバット』というゲーム空間に接続される。
ボイド内でのユーザーID認証。
アバターでもあるプラグイン・キャラクター『ヨリトモ』のロード。
プラグイン・キャラクター、すなわちプラグキャラは容姿を複数選べ、二つまでは無料、三つ目からは有料である。
本人の完全認証が可能なファースト・キャラクターは、指紋声紋顔貌など個人情報が記録されているので、ゲームには使わない。通常ゲーム空間などでは、専用のゲームキャラが使用される。
頼朝のゲームキャラは顔はそのまま、顔貌認証できない程度にデータが端折ってある『ヨリトモ』。これはつまり、ほぼ素顔で接続していることになる。
ゲーム空間『エアリアル・コンバット』内でヨリトモの身体が生成される過程で、彼は自分のプラグキャラが、シートに座った形をとっていることに気づいた。
しまった、
それはフレンドがヨリトモに緊急発進を要請しているということであり、接続完了と同時に空中戦がスタートするという意味だ。ヨリトモは目を閉じ、右手を操縦桿がある辺りに、左手をスロットル・レバーがあるであろう位置に置いて用意する。目を閉じるのは、いきなり真正面に太陽があった場合、目を焼かれてしまわないための用心だ。
射出シートに身体がおさまる。機体がぶるぶると震えている振動が伝わってくる。きーんと耳に響くジェット・エンジンの響き。鳴り響くアラート。叫んでいるのはフレンドであるモモタロウの声。
「ヨリトモ、四時方向だ。ロックオンされるぞ!」
手に操縦桿の感触がくると同時に右に倒して引く。左手はスロットルを全開にすると、すばやくレバーから手を放してとりあえずメットのバイザーを下ろす。空は晴れ、雲は無し。高度低し。敵が後ろなら、状況は最悪だ。
ヨリトモは首を回して敵影を確認。彼の愛機F4EファントムⅡという機体はベトナム戦争当時の旧式戦闘機。「遅い」、「重い」、「曲らない」の三重苦をもつ機体だ。相手が最新式のF22ラプターだったりF35ライトニングだったりしたら、もう負け確定だ。
敵の火線に対して
こちらも旧式だが、向こうも旧式。こいつ、絶対空戦マニアだ。最新式の機体で性能を利して旧機を追い回すポイント稼ぎの相手ではない。大気の流れを読んで、機体の挙動を楽しみ、操縦技術と戦略で敵機との勝負を、チェスの指し手のように楽しむ空戦マニア。
面白いやつが来たぞ。ヨリトモはそう確信した。
敵が右後方から来たら、逆の左へ逃げるというのは、素人考えだ。その状況で左へ逃げると、敵機は機首を左に少し向けるだけで、こちらの真後ろを取ることができる。よって、敵機が右後方からきたら、おなじ右方向へ
そうすると敵機には、旋回するこちらの機体背面を見せることになる。見える面積は大きいが、飛んでいる機体の背面にいくら機銃を撃っても着弾はしない。亜音速で移動している機体に銃弾が届くころには、機体はそこにいないからだ。
背面を見せて旋回している機体に機銃弾を当てるには、飛行中の機体の遥か前方へ見越し角をとって銃弾をばら撒く必要がある。そのためには、敵機はかなりの急旋回を強いられるため、すぐには射撃できない。
ヨリトモの旋回に対して、敵のトムキャットは少し遅れて旋回に入る。やはり手馴れていやがる。すぐに旋回に入れば、追撃できないことを知っている。
遅れて旋回に入れば、こちらの真後ろをとることができる。ヨリトモはトムキャットがこちらの六時方向へ入り込もうとするタイミングをとらえて、今度は逆に切り返し、ふたたび背面を見せる。トムキャットが切り返すが、ヨリトモもさらに切り返す。
たがいが交互に切り返し、サインカーブとコサインカーブを描くように二機の航跡がクロスする。ダンスを踊るが如く息をそろえて入れ違う二機は、シザース戦と呼ばれるイニシアチブの取り合いへ突入する。
カーブの頂点で相手の位置を確認したヨリトモは、つぎの交差でこちらが前にいる──即ち撃たれる──ことを瞬間的に予測した。そこで、なかば反射的にペダルを踏み込んで機体を横滑りさせる。かすかに高度があがってファントムの速度が落ちる。チャンスはここしかない。今ならこちらが後ろ、あっちが前だ。
入れ違う一瞬、それまで黒い点のようだった敵の機影が、深海で遭遇したホオジロザメのように巨大な姿を晒してヨリトモの眼前を横切る。そのときにはヨリトモは天啓のような閃きによってすでに機銃のトリガーを押し込んでいた。
キャノピーいっぱいに爆炎と炎が広がり、『
よし! ヨリトモはコックピットでちいさく片手でガッツポーズをとった。
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