2 絶対に来ちゃダメ


 機体を水平にもどし、ほっと一息ついて周囲を見回すと、本日のステージは海上であったらしい。遠くに湾岸都市が見え、レインボーブリッジがあるので東京湾か。



「やったな、ヨリトモ」


 フレンドのモモタロウが声をかけてくる。


「すごいよ、ヨリトモ」きんきん響く女子のアニメ声は、レムリア。ただしリアルな女子ではなく、三十過ぎのおっさんであるらしい。「あいつにさっきから、あたしたち連敗続きでさ。かなりな腕なんだよ。よく倒したよねー」


「運が良かっただけさ」謙遜ではない。本当に運よく機銃が当たっただけだ。あれを外して、もしもう一度切り返していたら、そのときはヨリトモが相手の機銃を喰らっていたろう。空戦とはそういうものだ。「挨拶にいってみるか」


 ヨリトモはいま戦った相手からのショートメッセージをコックピットの画面で確認していた。空港のロビーで待っているとのことだ。面白そうだから、会ってみよう。そう思ったヨリトモは、モモタロウとレムリアを促して羽田の方へ機首を向けた。




 羽田空港の国際線ロビーでヨリトモたちを待っていたのは、細身で長身、美しい金髪を背中に垂らした、青い眼の女性だった。


 サービス開始当初は人で溢れかえっていたロビーだが、ひと月以上たった現在、プレイヤーはほとんどいない。


 理由はこの『エアリアル・コンバット』の戦闘機操縦がリアル過ぎるため。一部の飛行機マニアでもない素人衆には操縦が難しすぎるせいだ。

 まあ、おかげで課金にものいわせて、ラプターやライトニングで中距離ミサイルをこちらの射程外からぽんぽん撃ちまくってポイント稼ぎをする連中が居なくなったのは、逆に嬉しいことだ。



「いい腕だな」ソファーに長い脚を組んで腰かけていた金髪美人は、ヨリトモの姿を見ると、立ち上がって握手を求めてきた。


 ヨリトモは気さくに応じ、彼女の細い手を握った。青い眼の美人。彼女と目を合わせたヨリトモは、あれ?と思った。


 アリスに似ている。目元とか、口元とか、鼻の形とか。

 彼女はにっこり笑って、ヨリトモの手を握り返す。


「よろしく、あたしはアリシア・カーライル」

「おれはヨリトモ。ただのヨリトモだ」


 こちらもにっこり笑いつつ、内心では「えっ?」と思う。


 アリシア・カーライル?


 霧山アリス。キリヤマ・アリス。アリス・キリヤマ。そしてアリシア・カーライル。


 なんとなくアリスに名前も似ている。


 もしかして、この女は、霧山アリス? いや、そんなわけはないか……。



 いや、でも、まさか。


 まさかそんなことはあるまい。アリスがこんなところに、いるはずがない。

 ヨリトモは自らの疑念を否定する。でも……。



 アリシアと名乗った美人は、そのあとモモタロウともレムリアとも握手を交わす。


 アリシアは、彼らとすぐに打ち解けて、戦闘機や空中戦に関する会話に花を咲かせたが、ヨリトモはアリシアの正体が気になって仕方なかった。



 あまりにも、アリスに似ている。名前はもちろん、顔や仕草まで。こんな偶然があるものだろうか?

 まさか本当に霧山アリスってことはないだろう。そうは思うのだが、その可能性を否定しきれないのは、頼朝がアリスに恋をしており、彼女との繋がりを少しでも持ちたいと強く願っているからに他ならなかった。



 霧山アリスが、ボイド空間で戦闘機ゲームなんかしているはずがない。しかもあんなに上手いなんて。だが、こんなにアリスに似たプラグキャラがいたりするものだろうか? 

見れば見るほど、アリシアはアリスに酷似していた。


 アリスだったりして。ちがうとどうして言い切れる? そもそもおれは、アリスの何を知っているんだ。彼女とは、幼稚園が一緒だった。そのあと何年も会っていなかった彼女がうちの学校に転校してきたのは、去年の9月。それまでアリスはイギリスのロンドンにいたのだ。



 異国で成長する過程で、アリスがゲームに嵌まり、フライト・シミュレーターに目覚めなかったとどうして言い切れる? 事実ヨリトモだって、幼稚園の頃は飛行機なんかに興味はなかった、ゲームはしていたが。


 このアリシアがアリスで、学校では隠しているが実は彼女はボイド宇宙のゲーム空間に接続して、戦闘機ゲームをプレイしていないと、どうして言い切れる。もしかしたら、彼女はアリスかも知れないではないか。



 しばらくモモタロウたちと会話していたアリシアは、また空中戦をやろうと誘ってきた。が、モモタロウとレムリアは自分たちは実力不足であると辞退したため、彼女はヨリトモの方へ期待のこもった目線を向けてきた。


 恋するアリスに似た青い眼を向けられ──まあ実際のアリスの眼はグリーンなのだが──ちょっとアリスを彷彿させる声で誘われたら、嫌とは言えなかった。

 ヨリトモはアリシアに誘われて、ふたたび離陸し、東京上空で空中戦を演じることにした。なにせ、もしかしたら本当にアリスかもしれないのだから。



 だが、疑問もある。


 プラグキャラ『ヨリトモ』の顔貌は、実際の小笠原頼朝と瓜二つである。顔貌認証は不能だが、頼朝を知っている人間が見れば、ヨリトモが頼朝だとすぐに分かるはず。だのに、アリシアは「あたしはアリスだよ」とは言って来ない。


 もしかしたら、モモタロウたちがいるから、自分の正体を隠しているのかもしれない。ならば、二人きりで空に上がれば、もしかすると「じつは、あたしは……」と、正体を告白してくれるかもしれない。そんな期待を込めて、ヨリトモはアリシアの挑戦を受けた。



 空戦の結果は惨憺たるものだった。


 ヨリトモはアリシアに手も足もでず、一方的に撃墜されまくった。


 やはり最初の勝利は偶然だったのか、あるいはアリシアが油断していたのだろう。とてもヨリトモの敵う相手ではなかった。それでもアリシアはヨリトモとの対戦が楽しいらしく、勝つたびに「ねえ、もう一回」とせがんできて、頼朝は断れずに応じてしまった。



 気づいたらリアルの時刻で9時ちかかった。


 インターフォンが鳴っており、ベッドに横になっていた頼朝は、カスクの遮光バイザーを跳ね上げて起き上がり、慌てて受話器をとった。


 と、同時にプラグキャラのヨリトモには「アリシア、ちょっとごめん」と告げさせて、機を水平飛行に移行させておく。


 ボイド空間に接続してプラグキャラを扱いながら、リアルの肉体を動かすのは、慣れるとそんなに難しくない。が、同時に喋るのは、超難しい。




 頼朝はインターフォンで「晩御飯よ。ちょっとゲーム中断して降りてきなさい」と軽くご立腹の母に「わかったよ」と不機嫌に応じたのち、プラグキャラのヨリトモからアリシアに「ごめん、一度切断するよ」と告げた。



 二人は対戦をストップして、ロビーにもどる。



「ありがとう、今日は楽しかったよ」ヨリトモはアリシアと再び握手する。そしてポケットの携帯電話型のツール・アイテムを取り出して、アリシアにフレンド要請を送った。


 アリシアはすこし怪訝な顔をしてパイロットスーツのポケットからカード端末型のツール・アイテムを取り出す。


 ちらりと探るような視線を向けたアリシアは、ヨリトモのフレンド要請を受諾すると、にっこりと微笑んだ。


「こちらこそ、ありがとう。今日は楽しかったわ。でももう、ここにはあたし、来ないかも知れないんだ。今は一応偵察を兼ねてあちこちのゲーム空間を回っているだけだから」


「でも、空中戦がこんなに上手いんなら、戦闘機ゲームがメインになるんじゃないの?」幼稚園のころのアリスに話しかけるような気さくさで、ヨリトモはたずねてみた。


「戦闘機は趣味ね」アリシアは肩をすくめる。「だから、楽しかった。きょうは本当に楽しかった」


「あの」ヨリトモは思い切って聞いてみた。「アリスなのか?」

「え? なに?」

「きみは、霧山アリスなのか?」

「いいえ、違うわ」アリシアは平然と首を横に振る。「だれかと間違えているみたいね」



 頼朝には、アリシアの言葉が本気なのか、はたまた分かっていて正体を隠しているのか、全く分からなかった。



「じゃあ、もう会えない?」

「そうね。明日から本命のゲーム空間に行くから」

「明日発売って、もしかして、『スター・カーニヴァル』?」

「知っているの?」アリシアは、はっと目を見開く。



 そりゃ、いくらなんでも知っている。

 『スター・カーニヴァル』は発売前から大人気のSF超大作ゲームだ。ベータテスト段階ですでに大人気を博し、本編登録開始とほぼ同時にアクセス権が完売してしまったゲームである。


 頼朝はベータテストの抽選に漏れて出遅れ、本編は、どうせ追いつかないだろうから、サーバに余裕ができてから登録しようと思っていたのだが、そこにアリシアは行くという。


「『スター・カーニヴァル』かぁ。よくアクセス権を取れたなぁ。おれは買わなかったんだけど、二次募集がはじまったら、絶対行くよ。それまで待っていてよ。いろいろ教えてもらうから」

「だめよ」アリシアは強い調子できっぱりと否定してきた。

「え?」



 彼女の睨みつけるような目と、突っぱねるような口調に驚いて、ヨリトモは目を見開く。


「絶対に来ちゃダメ」アリシアは、鋭く言い放つ。「絶対に『スター・カーニヴァル』をプレイしちゃダメ。絶対に」



 彼女は火を吹くような怒りを込めてヨリトモを睨みつけると、そのままくるりと背を向けて立ち去り、そのまま切断してしまった。

 長い金髪の垂れた背中が、掻き消えるように消失してゆく。


 ヨリトモは、自分のなにが彼女をそこまで怒らせたのか、そしてもしかしたら霧山アリスに完全に嫌われてしまったかもしれない事実に茫然として、しばらくそのまま立ちつくしていた。


 当然、その夜の夕食は、ほとんど喉を通らず、半分近く残してしまい、母になじられた。


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