3 星の海へ
翌日、A組では最初の席替えがあった。
小笠原頼朝は窓際、前から三番目の席。隣には、吉川真澄さんが来た。彼女は最近、隣のクラスのアリスと仲良くなったらしい。
「よろしくね、小笠原くん」席についた吉川さんが、手を差し伸べてきたので、頼朝はちょっと頬を熱くしながら、握手に応じる。吉川さんは、ショートヘアに銀縁メガネの細身女子で、見るからに真面目そう。彼女のどういったところがアリスと相性がいいのか頼朝には謎だが、決して話しにくいタイプではないようだ。
そして幸運は、最初の休み時間におとずれる。
隣のクラスからアリスがやってきて、吉川さんのところに直行してきたのだ。頼朝はどきどきしながら、吉川さんの机の向こうで、猛烈な勢いでおしゃべりを開始したアリスを盗み見た。内容はどうも恋愛コミックの話みたいなのだが、当然頼朝にはちんぷんかんぷん。これがテレビドラマなら来週から見て話題に入っていく準備をするところなのだが。
「……なら、トモに聞けばいいよ。ね! トモっ!」
いきなり話しかけられていて反応が遅れた。アリスが吉川さんの机ごしに声を張り上げている。
「え? アリスって、小笠原くんと仲いいの?」吉川さんが驚いて、頼朝の方を振り返る。
「あ、いや、おれは……」
「あたしとトモはねえ」アリスは自慢げに鼻孔を膨らませた。「幼馴染ってやつなのよ」
「そうなの?」吉川さんが目を丸くする。「それ、初耳なんだけど?」
「うん、秘密にしてた」にひひひひとアリスが笑う。「トモは本をたくさん読んでいるから、いろんな雑学に詳しいの。あ、でも真澄は勉強できるから、トモになにか聞く必要はないね」
なんか、持ち上げられて落とされたようである。
頼朝は口を尖らせて、アリスを見る。彼女が嬉しそうに笑いながら、目線を合わせてきた。
イギリスからもどってからこっち、一度も口を利かなかったのに、いま突然、あのころのように気さくに話しかけてきている。そして、笑いかけてきてくれている。
頼朝の胸は熱くなった。
アリスが笑っている。目が合った。まるで吸い込まれるようだった。こんな幸福なことが、世の中にはあるんだ……。
昨晩、アリシア・カーライルは別れ際にあんなに怒っていた。にも拘らず、いまのアリスは不機嫌には見えない。やはりあれは、別人か。はたまたキャラを作っていたのか? それを、アリス本人に聞くなら今しかなかった。
「あの、アリス。きのうの夜……、ボイドに繋いでいた?」
「ん?」アリスは笑顔のまま、何?という表情で碧色の眼を大きく見開く。「ボイドって何よ?」
ちょっと声が不機嫌に響いた気がした。
まずい。少なくとも、ここでアリスに、きみがアリシア・カーライルなのか?とたずねることはできない。これは、アリスがみんなに秘密にしていることかもしれないのだ。『エアリアル・コンバット』でヨリトモに会ってしまったことも、頼朝当人に対してすら隠したいと思っているのなら、親友の吉川さんの前でたずねることはできない。
もっとも親友の吉川さんは、すべての真相を知っているかもしれないが。
「あ、いや、……なんでもないです」
頼朝はごにょごにょと口ごもり、うつむく。
「変なの」
アリスは不機嫌そうな言葉をのこしてくるりと背を向けると、そのままB組にもどっていってしまった。
去ってゆくアリスの背中を、まずかったなという思いで見つめる頼朝のことを、隣りの席で吉川さんが心配そうに窺っていた。
帰宅した頼朝は、寝台に腰かけて無線カスクをかぶり、ノートパソコンを開いていた。
『エアリアル・コンバット』に接続して、愛機ファントムでアルプス上空を流しながら、モモタロウたちがくるのを待っている。退屈なので、遮光バイザーを上げて、ノートパソコンでゲーム空間『スター・カーニヴァル』に関するページを探していた。
子供のころはてっきり、こういったブレイン・マシン・インターフェースを介してボイド空間みたいな仮想世界へ接続してるときは、現実の意識は失われていると思い込んでいたものだが、よく考えたらそんなことあるはずがなかった。
第一、ゲーム中に家が火事になったりしたら、どうするのだ? 焼け死ぬのか? ゲーム大事で、焼死か? そんなわけない。
実際にニューロ・カスクでボイド空間に接続しても意識は失わないし、それどころか同時にウェブ・ページを閲覧することもできる。テレビ見ながら本読むみたいなものだ。
『スター・カーニヴァル』は本日午前零時からサービスを開始している。
有料ではあるが、内容に比してお手軽価格。追加課金は一切なし。
にもかかわらず空間の作り込みはすごいらしい。ベータテスト期間中のプレイヤーから、本サービスから作り込みの度合いが格段にアップしているという感動のコメントが書き込まれている。そして新規ユーザーの狂喜する書き込み。ネット上は、格段のクォリティーと次元のちがう完成度のゲーム空間の話題で盛り上がっていた。
頼朝はもう一度公式ページにもどり、プレイヤーの第二次募集がいつなのかを調べようとする。トップページに、さっきまではなかった大きな広告が表示された。
「緊急告知! 新規サーバ増設により、ただいまより500人限定で、新規ユーザー募集いたします! 応募は『こちら』から!」
頼朝は反射的にボタンをクリックしていた。画面が登録用のページに移り、すかさずボイド認証ナンバーを要求してくる。これは暗記しているので、すかさず入力。パスワードを入れて、『決定』!
「登録完了」の文字が表示された。
よし! 指をパチンと鳴らして、ノートパソコンを放り出すと、頼朝は遮光バイザーを下ろしてその場で目を閉じ、プラグキャラのヨリトモに操縦パネルにあるスイッチを操作させる。『エアリアル・コンバット』からログアウト。ホーム空間に移動して、マイルームのデスクトップ画面から、さっきまではなかった『スター・カーニヴァル』のアイコンをクリックした。
くらくらする浮遊感がやってきて、身体が飛ばされる。
つぎの瞬間、ヨリトモの身体は、人混みの中にいた。
ここはたぶん『スター・カーニヴァル』のコミュニケーション・ロビーだと思う。カラフルなパイロットスーツに身を包んだ男女が、立食パーティーみたいな密度でひしめいている。人気のゲームとはこんなに人が多いものだったか。
『エアリアル・コンバット』の過疎っぷりとのあまりの違いに、ヨリトモは腰が引けた。
皆が着ているコスチュームはシンプルなツナギ状のスーツで、すこしゴテゴテしたデザイン。おそらく簡易宇宙服にもなるパイロットスーツだろう。稀にミニスカートや短パン姿のプレイヤーも見かけるので、このスーツは変更できるようだ。
ヨリトモは、まず自分のスーツを確認する。べたな白。胸に階級章。右の手首にスイッチパネル、左の手首には大型のクロノグラフが嵌まっていて、これがツール・アイテムだろう。ヨリトモが左手を上げると、文字盤の上に光がともってホログラム画面が立ち上がる。
「チュートリアルを開始しますか? YES/NO」
とりあえずNOと入力して、クロノグラフの文字盤を開いてみる。ミニサイズのノートパソコンのようだ。開くと上が画面で下が文字盤。操作によって両方とも画面にもできる。どちらの画面もタッチ式だ。
とりあえず操作がシンプルなので、フレンドを検索する。名前が表示されるのは、アリシア・カーライルただ一人。とにかく通話ボタンを押してみた。
しばらく待つと、上の画面にアリシアの不機嫌な顔が映った。こちらをまっすぐ見ている。画面自体がカメラになる仕組みの、双方向画面だ。この辺りは未来の科学技術だなと感心する。
「ヨリトモ、あんたどうして……」アリシアの険のある声が響く。「とっとと、接続を切って、他のゲームにいきなさい」
いまにもガチャ切りされそうなところを、あわててとりなす。
「いや、もう来ちゃったんだからさ。すこし、ここでのルールを教えてよ」
「あたしだって、来たばかりよ」アリシアは小さく舌打ちした。
うーん、これ本当にアリスなんだろうか? 普段のアリスからは想像もできない切れキャラだ。それともアリスは、実はかなりキャラ作りに拘るタイプなのか。
「仕方ない」やがて画面の中のアリシアは肩をすくめた。「六番艦ね。あたしは五番艦。おなじ第六艦隊だから、顔出せるわ。戦闘機ゲームで無理いって付き合ってもらったお礼はしなけりゃね。ちょっとまって、発艦して飛行して着艦に10分弱かかるから、そこで待ってて。ハンガーにはもう行った?」
「ハンガーってなに? いま来たばかりで、チュートリアルも見ていないよ」ヨリトモは微笑んだ。「にしても、10分弱ってずいぶん時間かかるな。ワープとかできないのか?」
「ここに、そういうのは無いわ。なぜなら、リアルタイムで戦局が動いているから。ワープは一切なし。機体が破損した場合も、補修に時間がかかるから、そういところは注意して」
「かなりリアルだな」
「あ、あとひとつ。チュートリアルを見てないんなら知らないだろうから、警告しておくわ。このゲーム空間は、パイロットが戦死すると、プラグイン・キャラクターが削除されるから、注意して?」
「え?」
さすがのヨリトモも絶句した。
パイロット戦死でプラグキャラ削除!
なんじゃそりゃ、そんなゲーム聞いたことないぞ。どんな罰ゲームだよ、それ。
それって、パソコンで例えると、ネット・ゲームをしていて、ハードディスクのデータが削除されちゃうみたいなもんだよな。なぜにゲームのペナルティーでプラグキャラが削除されなきゃならん? そんな話、聞いたことない。
この『ヨリトモ』はゲーム用キャラだから、削除されても指紋読み取りとかしなくていいから、まだマシだけど。でも、ヨリトモが削除されたら、それは『エアリアル・コンバット』のデータも失われ、新規で作ったゲーム用プラグキャラで再ロードする必要があるということだ。ゲームデータはサーバにあるから復旧できるとして、キャラのプラグインは削除される。一から設定しなおしだ。
いやいや、そんなめんどくさいこと、してられないでしょ!
「プラグキャラ削除って、それ冗談だよね……」
ヨリトモが心理的衝撃から立ち直って尋ねた時にはもう、アリシアは通話を切断していた。
こりゃあ、大変なところに来ちまったな。
ヨリトモはため息をついた。
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