4 地球じゃ、2歳の子供だってやっている
赤い警告文字が消え、ベルゼバブの機体画像が表示される。躊躇なく選択ボタンを押した。二階建ての体育館ほどもあるハンガーが、轟音を立てて震え始める。ヨリトモはあわてて手すりにしっかりとつかまった。
ハンガーの上半分、つまり二階部分を構成する外壁が、分解される段ボールのように細かく裂けて折りたたまれてゆく。そしてハンガー下部から、金属製の架台に半ば埋まる様な形で固定された、巨大な鋼鉄の巨人がせり上がってくる。
仰向けに眠る巨神は、身長約18メートル。
精悍な死神を思わせるマスク。細くくびれたウエストと、ギリシア戦士のような逆三角形の体躯を有する上半身は、優美な猛獣ブガッティ―を想起させるが、楔型をメインの意匠とする下半身は荒ぶる猛牛ランボルギーニのよう。
画面の画像で見るのとは全然ちがう。
実物のベルゼバブは、渋く輝くガンメタルの装甲が、圧倒的な威圧感を放っている。ひとつひとつの部品が、職人の手で丁寧にポリッシュされたような、芸術的な輝きを湛えており、一種異様なオーラを放っていた。
ヨリトモは、ハンガー基部から上昇してくる巨大な鋼鉄の芸術品を、鳥肌が立つような興奮を感じて見下ろす。
これが間近で見るカーニヴァル・エンジンか……。
が、すぐに、いまはこの悪魔の機体に魅入られている場合ではないと思い出し、上昇しきらない可変式の架台に飛び乗った。腕のあたりから腹の上によじ登ろうとしたが、足掛かりが全くない。ふと見ると、架台の端からプールの飛び込み台みたいな搭乗用ラダーが伸びている。
あれか。
走ってラダーを登りながら、いったいどこから中に入ればいいのかと心配になる。コックピットはどこにあるのだ?
だが、その心配は杞憂に終わる。丸みを帯びた腹部装甲の上に降り立つと、胸部の装甲がロックボルトを解除して、油圧独特のしなやかな動きで跳ね上がり、内部に搭乗口が見えた。
駆け寄り、のぞき込む。
二重の装甲ハッチの内側に、太陽光パネルを張りつめたような扉がもう一枚、そしてその下から滑らかな動きでアームに支持された拘束シートがせり上がってくる。
ここまできたら迷うことはない。
ヨリトモは上がりきらないシートに飛び乗った。
シートはヨリトモの体重を受け止めると、かすかに沈んで反応し、しゅるりとシートベルトを彼の身体に絡みつかせてきた。彼の身体をベルトで固定するやいなや、シートは彼ごと、ぎょっとするような高速で機体内部に吸い込まれる。ぐっと下に落ちたシートは、くるりと後ろに倒れて上昇。ちょっとしたジェットコースター並みの速度で、コックピットに彼の身体を運び込んだ。
大型の映像パネルが正面と左右、そして上面に、計四枚。
半円形に取り巻くコンソールにはタッチ式の多機能ディスプレイが並び、その下にアナログ・スイッチがずらりと配置されている。案外クラシカルなコックピットだが、F4ファントムⅡに慣れたヨリトモには、これくらいが丁度いい。
操縦桿は左右に二本の、ツイン・スティック。足元には大小のペダルがなんと六つ。
すごい。すごいが、これどうやって操縦するんだ?
おれは、バカだ。自分がカーニヴァル・エンジンの操縦方法を知らないのに、コックピットに飛び込んでしまった。
「こんにちはっ!」
大声で叫ばれて、ヨリトモはシートの中で飛び上がった。
ぎょっとして振り返ると、左の画面の中に、女の子がいる。
黒髪を肩に垂らし、上の方でウサギみたいに二つに結っている。小学六年生くらいか? 大きな黒い瞳。生意気そうに引き結んだ口元。黒に銀のラインが入った詰襟の軍服。そしてなぜか、顔の左半分が銀色の鉄仮面で覆われていた。
「だれっ?」
「わたくしは、ビュートと申します。当機ベルゼバブのパイロットであらせらるるるるヨリトモさまでいらっしゃいますね」
「いま噛んだよね」
「わたくしは、当機の運用および操縦に関して、ヨリトモさまをサポートさせていただきますヘルプウィザードでございます」
「スルーかよ」
「早速でございますが、今回初出撃ということになりますので、当機に関しましていくつかの注意点を述べさせていただきたく……」
「すまないが、時間がない」ヨリトモは長くなりそうなので強く遮った。「助けにいきたい人がいるんだ。とっとと、発進させてくれ」
「あ、いえ、でも、当機は……」
「おまえいま、おれのサポートをすると言ったな。あれは嘘か?」
「いえ、わたくしはヘルプウィザードですので、ヨリトモさまの──」
「じゃあ、出撃だ」
「了解いたしました。ベルゼバブ、発進いたします。初起動ですので、永久機関エマモーターを爆動させます」
言うや否やコックピットの上あたり、左右でふたつ「ドン!」という爆発音が起こって、なにやらふぃーん!という回転音が聞こえ始めた。
「反物質タンク、エントリー」ビュートがベルゼバブを起動しはじめる。「十次元電池、バッテリー・フル。操縦システム、スタート」コックピットのすべての画面が灯った。さっと周囲が明るくなる。「力場装甲ライトニング・アーマー作動およびイニシャライズ。人工筋肉デミ・マッスル通電、機械化骨格マシンナーズ・ボーン走査開始。ホメオトーシスおよびアポトーシス正常値。コックピット・ユニット正常起動。反重力スタビライザーおよび反重力バーニア自己診断プログラム作動。可変式反物質スラスターギミック自己診断終了。各システム異常なし。瞬間通信機シンクロル始動。ヨリトモさま、助けに行かれるお友達は、どちらに?」
「このデッキの奥、敵のいるあたりだ」
「でしたら、シンクロル・レーダーよりもクロノグラフで走査した方がいいですね。敵味方識別良心回路正常作動。急ぎましょう。ハンガー拘束具解除。神経接続開始します!」
「ん? なにを開始するって? う、うわっ」
ヨリトモは呻いた。ぐらりとくる落下感と眩暈が襲ってきて、気分が悪くなる。平衡感覚が狂って、自分が仰臥しているのか座っているのか、寝台に寝ているのかわからなくなった。
なんということだ。神経接続とは、そういうことか。
なんと、カーニヴァル・エンジンは、ヨリトモというプラグキャラを通して、さらにニューロ・インターフェイスで接続してその機体を操縦するのだ。人間からプラグキャラに接続し、そのプラグキャラからカーニヴァル・エンジンにさらに接続する。
こんなの、むちゃくちゃだ。
いま、頼朝の身体は自室の寝台に寝そべっている。そしてカスクを通してボイド宇宙内のボイド空間のひとつ、『スター・カーニヴァル』というゲーム空間につながって、ヨリトモというアバターであるプラグキャラを操作しているのだが、そのプラグキャラであるヨリトモからさらにニューロ・インターフェイスで、カーニヴァル・エンジンという巨大な鋼鉄の人型兵器を操作することになる。
つまり、いま小笠原頼朝という人間には、三つの身体が与えられているのだ。
本来の肉体とプラグキャラというアバターと、そしてカーニヴァル・エンジン。
ふたつまでなら、なんとかなる。だが、三つとなると……。
「くそっ」
ヨリトモは呻いた。寝台の上で頼朝も呻く。
どれだ? カーニヴァル・エンジンの腕はどれだ。
首を巡らせると、ベルゼバブのヘッドが回った。視神経に接続されているベルゼバブのカメラアイからの映像が動く。が、コックピットの正面パネルの映像は動かない。どっちを見ればいいんだ。
チカッ!
ハンガーの奥の方で、また何かが光る。黒い煙に遮られた視界の中で、青いレーザービームが走るのが見えた。その向こうに動く黒い巨大な影。目の中でロックオン・カーソルが走り、敵を捉える。これがベルゼバブの眼だ。
カーニヴァル・エンジン・ベルゼバブのアームが動いた。ぐっと猿臂を伸ばして、ハンガーの端を巨大な鋼鉄の指がつかむ。もっとも、コックピットの中でヨリトモも腕を伸ばしているが。
身を起こそうと、手足をバタつかせる。が、そんなことで身長18メートルもある鋼鉄の巨人は立ち上がったりしない。
「くそっ、くそっ」
「あ、あの……」たまらずビュートを口を挟んでくる。「ヨリトモさま? ヨリトモさま? ヨリトモさまは、失礼ながらカーニヴァル・エンジンの操縦は何十時間ほどなのでしょうか? 中級チュートリアルまでと初級操縦課程シミュレーションのクリア履歴がございませんが……」
「カーニヴァル・エンジンに乗るのは、今がはじめてだ」気張りつつも、食いしばった歯の間から、なんとか告げる。「チュートリアルも操縦課程も、そんなもんどこにあるのかすら知らねえよ!」
「ちょっ、ちょっと! 冗談じゃありませんわ!」ビュートが激怒した。「当機は、ユニーク機体にして、デーモン・シリーズの初回ロット、しかも弐号機ですのよ。初心者が乗るような機体ではありません! 伝説の名機ベルゼバブなんですからっ! まずは練習機で動かし方を習ってから来てください。こんな、こんな、こんなっ! 立ち上がらせることもできないようなド素人がいじっていい機体ではありませんっ!」
「立ち上がるなんてことはなっ!」ヨリトモも激しく言い返す。「地球じゃ二歳の子供だってやってるんだよ! こなくそっ!」
ベルゼバブの腕はどれだ? この一番拳のでっかいのだ。ベルゼバブの脚はどれだ? この一番でっかい足だ。間違えるな。これを動かせ。
鋼鉄の装甲に覆われた腕と脚が、動く。膝を曲げ、手のひらをつき、身を起こし、脛を立て、一気に……、立ち上がる!
人工筋肉デミマッスルが底知れないパワーを解放した。映像パネルの中で周囲の景色が降下する。高度計の数値がするっと上昇した。
「た、立った……」
画面の中でビュートがあんぐりと口をあけ、唖然とする。
「立った立った! 本当に立った! す、すごいです! ヨリトモさまっ! さすがベルゼバブのパイロットに選ばれただけはあります。ぶっつけ本番で立ち上がらせるなんて、普通のパイロットにはできませんよ。なんかやってらしたんですか?」
ヨリトモは口元をふっと綻ばせた。
「戦闘機ゲームを少々」
右の画面でロックオンカーソルが動いている。
「二時方向、距離760に敵影。共生生物兵器ヘクトロルです」
「よし」ヨリトモは迂闊に一歩目を踏み出し、ベルゼバブが足をもつれさせて、盛大に転倒した。コックピット的には十メートル近い位置からの落下だが、反重力スタビライザーがコックピット内に力場を発生させて彼のプラグキャラを守る。しかし、ベルゼバブの巨体は、無様にハンガー上から前のめりになって倒れ込んでいた。
「あ、あのヨリトモさま?」ビュートが控えめに進言する。「やはり、お友達を助けに行くのは、次回、ということにしませんか?」
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