3 ここで行かなくて、どこで行く
「痛ってえー!」高い位置から落下して、スチールの床に叩きつけられたヨリトモは右肩を押さえて痛みに呻いた。
嘘でしょ。ボイド宇宙の、しかもゲーム空間で痛みがあるなんてあり得ない。息を詰まらせながら立ち上がり、ヨリトモは肩をさする。すでにさきほど感じた痛みは、嘘のように引いている。なにかのエラーか? もしかして、いま一瞬、プラグキャラが戦死しかけたのか?
とにかくログアウトしよう。なんか空間の様子がおかしい。これではどんなエラーがあるか分かったものではない。
カチ、カチッと、高さ三十メートルにある天井の照明が点滅する。システムのエラーか、はたまたホラーの演出か。
クロノグラフを開いて、再びログアウト方法を調べようとしたとき、ぱっとデッキの照明が消え、かわりにオレンジ色の非常灯がともる。見上げると階段の上にある、さきほどの画面になにやら文字が流れている。今度は手すりにしっかり掴まりながら階段を駆け上がり、
『緊急事態、艦内に敵が侵入しました。注意してください。各員はただちに機体に搭乗、侵入した敵の排除につとめて下さい。なお今回の敵侵攻に関するプラグキャラ削除および機体損傷に対して、人形館司令部はいっさいの保証をいたしませんので、ご了承下さい』
うわっ、ひでえな。ヨリトモは心の中でつぶやく。保証しないって、これゲームのシナリオなんじゃないのか? まあシナリオならなおさら保証はないだろうけど、わざわざメッセージを流すことないだろう。
突然隣のハンガーから鳴り響いた耳障りな警報と、黄色回転灯の注意を促す光芒の旋回に、ヨリトモは振り返る。
隣のハンガーでは、いままさに天蓋カバーが開いて格納基部から、拘束具で固定された青い機体がせり上がってきている。横たわる鋼鉄の巨神の腹部に、天井から降りてきた透明パイプが接続され、赤いパイロットスーツのプラグキャラが中を滑り降りて搭乗していくのが見えた。
発進するのか?とヨリトモが目を瞠る間に、青いカーニヴァル・エンジンの全身が、ぶるぶると振動しだした。
激しい蒸気と立ちのぼる陽炎を上げながら、巨大な機体が立ち上がろうする。
青い複合装甲に覆われた腕が上がり、ハンガーのへりを鋼鉄の指がなめらかにつかむ。まるで生きているようだ。
太い脚があがり、震度8くらいの衝撃で床に足をつく。腕のたわみに合わせて可動装甲がせり出し、露出した関節部を覆う。
膝がまがり、機関部のベンチレーターが一瞬シャッターを開いて蒸気を吹く。小型船舶ほどもある鋼鉄のハンガーが一瞬沈み込み、身長18メートルはある巨大な鋼鉄の騎士、カーニヴァル・エンジンが地響きとともに立ち上がった。
身長18メートル。人間の一千倍の大きさ。立ち上がった巨大兵器の姿は高層ビルのようにおおきい。
すぐ隣のハンガーから立ち上がったカーニヴァル・エンジンは、一足ごとにヨリトモの体を浮き上がらせる衝撃で床を踏みしめながら、中央の滑走路へ歩いてゆく。圧迫感が半端ない。
アニメや映画で見るのとは、迫力の桁がちがう。実際に目の前で動く巨大ロボットとは、こんなにも強烈なのかと、見上げるヨリトモは思わず身をのけぞらせた。
青いカーニヴァル・エンジンは、背面に取り付けられたバックパックの装甲カバーを開き、中から噴射ノズルがずらりと並んだスラスター・ギミックを展開させた。
おそらく動作確認プログラムだろう。展開したスラスター・ギミックの噴射ノズルが素早く上下左右に方向を変えると、再びカバーの中におさまる。
折りたたまれていたスポイラーが伸びをする白鳥の翼のように一度ひろげられ、再びたたまれる。
ヨリトモが見回すと、ほかのハンガーからもつぎつぎとカーニヴァル・エンジン達がたちあがって発進していっている。
つぎつぎと出現するビルディングが、津波にながされて動いているような光景だ。
立ちあがったカーニヴァル・エンジンは、デッキ中央のかなり幅がある滑走路に乗ると互いに距離を保ちながら加速する。ノズルから噴射していないところを見ると、滑走路は自走路になっているようだ。
カーニヴァル・エンジンの発進を呆然とながめていたヨリトモが、全機が発進してしまった後に残った、デッキ内に漂う紫煙に目をぱちくりさせていると、今度ははるか遠くで、落雷があったみたいな青い閃光がちかっと走る。
何秒か遅れて、どーん!という腹に響く音が届く。やや遅れて床がぶるぶると揺れ、痺れるような振動が伝わってきた。
紫に煙るデッキの奥、再び、ちかっとカメラのフラッシュのような閃光が走る。
殴られたような衝撃波を受けてヨリトモの身体が吹き飛ばされるが、今度は反射的に床に伏せて転落を逃れる。が、それでも床の上をごろごろ転がり、驚いて黒煙に霞んだ奥の壁へ目を走らせた。
なんだろう? 発艦口があるはずの奥の壁が濃い黒煙で覆われている。
またチカっと光った。
ずーんという、カーニヴァル・エンジン発進時よりも大きい振動がきて、ふたたび衝撃波がくる。ヨリトモは反射的に顔を伏せて床に張りついた。
爆発だ。艦内で爆発がおきている。
伏せた状態で顔だけあげたヨリトモは発艦口のある方向を見る。
なにかが動いていた。カーニヴァル・エンジンだろうか? いや、すこし大きい。しかも丸くてぬめぬめしている。
煙が少し晴れ、動いている物の姿が露わになる。
そいつはカーニヴァル・エンジンなんぞではなかった。
後足で立ち上がった身長30メートルのオオサンショウウオだ。不気味で醜悪な巨大両生類。
丸い頭の左右についた小さい目が狡猾そうに辺りを見回している。左右に大きく裂けた口から、白い蒸気をむらむらと立ち上らせていた。
やつの両腕は、肘から先が、西洋の騎士の馬上槍みたいな形をした長いドリルになっている。
そのドリルを振りあげた巨大なオオサンショウウオは、尊大な態度で足元を睥睨すると、嬉々としてぐるぐる回転する両腕で、床を何度も何度も突き刺している。おそらくハンガーに横たわったカーニヴァル・エンジンを破壊しているのだ。
まちがいない。やつが艦内に侵入したという敵だ。
すごいぞ、このゲーム。ヨリトモは舌を巻く。
味方の格納庫内に敵が襲ってくる、掟破りなゲームがあるなんて、ヨリトモは生まれて初めて知った。
普通のゲームでは、そこは絶対に敵襲されない聖域のはず。もの凄くリアルに作り込まれているという噂は以前から聞いていたが、この展開はすごい。ちょっとログアウトしてしまうのが惜しくなってきたが、現状を鑑みるに、プラグキャラとユニーク機体を危険にさらすのは得策とはいえない。
現在の状況で、ヨリトモに戦闘は無理である。
ん? まてよ。
ヨリトモは重要なことを思い出した。
さっきアリシアは何と言っていた? ここのデッキの一番奥に機体を射移動していると言わなかったか? 700メートルあるから、シューターを使うとかなんとか。
まさか、アリシアは今、あそこにいるわけではないよな。ちゃんと別の場所に避難しているよな。
『警告、警告』さっきとは違う声がアナウンスする。『敵がデッキ内に侵入しました。フェイズ4の緊急事態です。架台上でオープン・パークされているカーニヴァル・エンジンを強制収納いたします。パイロットは、搭乗する場合はデスクトップ画面もしくはクロノグラフをタッチして下さい。それ以外の場合は、速やかに避難してください。宇宙服の着用を推奨します。カーニヴァル・エンジンを破壊されますと、反物質漏れを起こす危険がございます。繰り返します……』
「反物質漏れだぁ?」さすがにヨリトモも声をあげた。
カーニヴァル・エンジンには反物質が搭載されているのか。武器としてなのか燃料としてなのか知らないが、反物質が正物質と接触すれば、対消滅を起こして質量がすべてエネルギーに変換される。それは核分裂、核融合を遥かに凌ぐ最強の核反応であり、この規模のデッキなら一瞬に吹き飛んでしまうほどの核爆発を引き起こす。
とにかく、猶予がない。猶予がないが……。
ヨリトモはクロノグラフを開き、フレンドの位置検索をする。小型のマップが開き、細長い四角の端っこに青い光点、そしてすぐそばに赤い光点。青がフレンド、アリシア・カーライルと表示されている。赤が敵、エネミーとある。その二つの光点は、異様に位置が近かった。
まずい。アリシアは艦内に侵攻してきた敵のすぐそばにいる。ログアウトできないのだろうか? そして機体がパーキング・スペースに駐機されているとすると、このままでは敵に破壊されてしまう。撃墜、そして機体削除になるのではないだろうか?
いや、それよりも反物質による核反応が起これば、プラグキャラ削除もありえる。あ、そうか。彼女の所属は五番艦。ここではログアウトできないのかも知れない。なぜなら、出撃中という判定になっているはずだから。
まずい。このまま放っておけば彼女は……。
でも、どうする? おれにはユニーク機体しかない。これをここで失うことになるかも。だがそれは、……別に構わないか。
ヨリトモは苦笑した。
激レアのユニーク機体ではある。が、これを手に入れるのに、自分はなにかひとつでも苦労したろうか? いいや、していない。ただ偶然手に入っただけ。
ゲームの中で本当に価値のあるものとは、なんだ? それは自分の思い入れである。
苦労して手に入れたアイテム。やっとの思いでクリアしたクエスト。助けてくれた仲間たちの連絡先。それらが大切なのは、思い出であり、記憶であり、苦労の結晶であるからだ。本当に大切なのは、溜めた経験値ではない。自分が得た経験の方だ。
いま、このユニーク機体に、自分はどれぼとの思い入れがある?
無い。まったく無い。
もしここで、このユニーク機体やプラグキャラ可愛さに、アリシアを見捨てて逃げたとしたら、おれはつぎにどんな顔をしてこのゲーム空間にくるつもりだ?
良いゲームは、良いプレイヤーが作る。良いゲームに巡り合いたかったら、まず自分が良いプレイヤーになるのだ。
ここで行かなくて、どこで行く?
初恋の相手かもしれない女の子がピンチのときに、逃げ出す男がいるものか。
ヨリトモは腕を伸ばし、手のひらで勢いよく画面をタッチした。
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