第8話 惑星の虐殺者たち
1 黒い絨毯
このとき、はじめてヨリトモは、この世界がゲーム空間であるということを、少しだけ、ほんの少しだけ疑った。いや、まさかな、とちらりと思った。
そんなはずが、あるものか。これがゲームじゃない? バカも休み休みいえ。たしかにこの空間は異様にリアルに細かく作り込まれている。ワープはないし、パイロット死亡でプラグキャラはロストするし、大破した機体は削除、補修にも平気で八時間とかかかる。
たしかに、リアル過ぎる……。
でも、まさか……。
ヨリトモはふと不安になって、コックピットから周囲の映像を見回した。
月に照らされた夜の街。
かなり細かく作られた都市。建物はもちろん、街灯や歩道の植え込み、信号機までリアルに作り込まれている。これは本物の都市なのか? いや、そんなはずがあるものか。
ヨリトモは首を傾げたが、一応確かめてみようとシートベルトを外した。
シフトを1へ、関節にロックをかけてベルゼバブのポーズを固定する。
「降りてみる」ビュートに告げて、レバーを倒し、シートのロックを外す。
彼女は答えない。
油圧とモーターの滑らかな動きで、シートが降下し、コックピットから抜け落ちて搭乗口へとヨリトモを運ぶ。内部スイッチを操作して、コア・キューブの反重力ユニット壁と二重の装甲ハッチを開いた。風が外から吹き込み、顔を撫でる。ハッチまで進んで、搭乗口9メートルの高さから惑星カトゥーンの街を見回した。
確かに作り込みは細かいが、こうしてみると、案外画像は荒い。人間サイズの目で見るレベルの解像度には達していないのだろう。
ヨリトモはハッチ内側のスイッチパネルに触れて、ワイヤーロープを垂らした。ハンドルに掴まり、ボタンを操作して地上まで降りてみる。
風だけが吹いている無人の街だ。
なにも珍しい物はありはしない。
ヨリトモはため息をついた。バカバカしい。いったいおれは何をやっているんだ。
ワイヤーロープに手を伸ばし、コックピットに戻ろうとする。伸ばした手首に、大型のクロノグラフが嵌まっていた。
『……クロノグラフを外してみろ』
アリシアがそんなことを言っていなかったか?
ヨリトモは指を伸ばし、クロノグラフの金具を弾いて金属バンドを手首から解放した。
ぱちんと目の前で火花が散る。ちょっと痛いほどだった。
周囲の景色がすっと暗くなった。
それまではっきり見えていた夜空がさあっと薄暗くなった。月が黒い煙にかげっている。真っ白だった道路が黒く染まり、一面になにか黒々とした、でこぼこしたもので埋め尽くされていた。それらがところどころで火を放ち、煙をあげている。なにやら嫌な匂いがしているようだが、ヨリトモの嗅覚はプラグインがデフォルトだ。あまりはっきりとはわからない。
道一面を覆った黒い物は、ヨリトモのブーツの下も、ベルゼバブのフットの下も埋め尽くしており、ベルゼバブに関してはその重量により、深々と黒いものの中に埋まっていた。
ヨリトモは目を下ろし、道に敷き詰められた黒い物をよく見ようとした。彼の両足の間にあったのは、ひとの顔だった。
一瞬、認識が追いつかない。だが、ひとつ見えたら、その無数の、地面にびっしり敷き詰められた、顔や手や足が見えてきた。黒く焦げ、かたく固まって、炭化した、折り重なって死んでいる数えきれないほどの、人間の死体。
ヨリトモは悲鳴を上げて駆け出した。数十センチ離れたワイヤーロープを掴もうとして足を滑らせる。ずるりと皮が剥けて、中から赤い肉を露出させたひとの手が、足元にあった。ヨリトモは恐怖に駆られて、それでもなんとかワイヤーロープを掴み、スイッチをかたかたと叩く。やがてゆっくりと、あまりにもゆっくりとロープはヨリトモを引き上げ、都市一面を覆う数万の、逃げまどい、焼かれて、折り重なって死んでいる人間たちの黒い絨毯から、ヨリトモの身体を遠ざける。
必死の思いで、搭乗口まで這い上り、なんとか死体の海から逃れたヨリトモは、その場に手をつく。
寝台に横たわって頭に無線カスクを装着していた小笠原頼朝は、跳ね起きて自室を飛び出すと、向かいのドアを叩き開けてトイレに飛び込み、便器の中にさっき食べた夕食をすべて吐き出した。
全身からびっしょりと汗が吹き出し、指先が小刻みに震えている。
周囲を見回し、そこが自分の家の、そう、地球の自分の家の三階のトイレであることを確認する。いつもの柔らかい暖色照明。清潔な白い便器。紺色の便座カバー。
大きく深呼吸し、なんとか立ち上がり、自室のデスクに手をつき、おもむろに椅子に腰を下ろす。
目を閉じると、そこは惑星カトゥーンであり、恐ろしい戦場だった。死体が燃える黒煙のただよう中、静かに立ち尽くすベルゼバブの搭乗口に、彼のゲームキャラ・ヨリトモは手をついて屈みこんでる。息が荒い。頼朝も、ヨリトモも、激しい呼吸を繰り返していた。
「冗談だろ」
誰にともなく、ヨリトモと頼朝が言う。
頼朝は、ヨリトモを立ち上がらせるとシートにつき、レバーを引いてコックピットに上がる。ヘッドレストに頭を預けながら、ビュートに目線を送る。
彼女は画面の中で突っ伏しており、黒髪の頭のてっぺんしか見えない。
「ほんとなのか? アリシアの言ったことは、本当なのか?」
俯いたままのビュートの頭が小さくうなずく。
「アリシアを追う。彼女に話を聞く。そして、みんなにこのゲームをやめさせる」
宣言したが、いまだに信じられない。こんなの嘘だという気持ちが強い。いや、嘘だと信じたいのだ。だが、では、あの死体の海はなんだ? ゲームの演出か? だとしたら、やり過ぎだ。アリシアの言葉、ビュートの反応。これは本当に、ゲームではないのか?
果たして、そんなことが、ありうるのか?
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