第9話 蝿の王

1 良心回路


 ベルゼバブが両腕を広げて、射撃するカーニヴァル・エンジン部隊の前に飛びだしたため、敵味方識別良心回路のロックが掛かり、銃撃していたカーニヴァル・エンジンたちの指がトリガーから勝手に離れた。


「待ってくれ」オープンチャンネルで叫ぶ。この言葉は果たして届いているのだろうか?「もういいだろう。カーニヴァル・エンジンの戦闘力さえ奪えば、それで十分だろう。彼女を殺す必要はないじゃないか」


 銃を構えたカーニヴァル・エンジンたちが、どうする?という様にムサシのニンジャを振りかえる。


 ニンジャは一度アームを上げて「待て」という合図を送ると、ベルゼバブの前まできた。もしかしたらムサシはなにか語りかけて来ていたかも知れないが、チャンネルが塞がっていて音声は入らない。ということは、こちらの言葉も向こうに届いていないということか。


 ニンジャのアームがベルゼバブのアームを掴み、ゆっくりと引く。ここをどけ、という意味だ。


 ムサシの代わりに通信画面のカシオペイアが語りかけてきた。


「ヨリトモ、もう十分だろう。おまえの思いは、きちんと彼女に伝わったよ。同胞を失い、故郷の惑星も失った彼女だ。ここで命を長らえたとしても、決して嬉しくはあるまい。潔く死なせてやれ」


 ヨリトモは双方向画面の中のカシオペイアに目を合わせ、ついでグリフォンのほぼ残骸と化した機体に目をやった。


 これでいいのか?


 これで本当にいいのか?


 たしかにアリシア・カーライルは、霧山アリスではなかった。地球人ですらなかった。


 でももし、あれが本当にアリスだったら、ヨリトモはここで見殺しにするのか? いや、しない。アリスなら、自分は命を懸けてでも守ろうとするだろう。


 じゃあ、アリスでなければ、見殺しにするのか? 他人なら、目の前で殺されるところを、傍観しているというのか?


 それで、いいのか? 恥ずかしくないのか? アリスに対して、こんな自分で。フラれてしまったけど、だからといって、いまのこの自分を、こんな自分で、どう明日からアリスに顔を合わせる? フラれてしまったからこそ、アリスにも、自分自身にも、誇れる自分でいなければならないのではないか?


 いいのか、これで?


「ヨリトモ、人形館は何万光年もの広い宇宙に版図を広げる銀河帝国だ。いまやつらは、まさに銀河系を制圧しようとしている強大な知的生命体群だ。やっと月までロケットで行けるようになったおれたち地球人類には、及びもつかないほどに進歩し、進化した超文明だよ。おれたち地球人など、歯向かってかなうものでもない」


 アリス、おれに力を。アリス、おれに勇気を。


「人形館にしてみれば、おれたち人類なんぞ、虫けらみたいなもんだ。蜜を集めてくるミツバチ程度の存在だよ。有用であれば、飼育する。無用になったら始末してしまう。だから、バカな考えは捨てろ」


 アリス。おれは、君に選ばれない男だった。でも、少なくとも、おれはきみを好きになれたこと、後悔していない。それどころか、誇りに思っている。だから、おれは、大好きなアリスに恋した自分を、アリスに対して誇れる自分であるべきだと信じている。


「ヨリトモ、さがれ。おれたちなんかが人形館に逆らったとて、何の意味もないぞ。おまえにだって大切な家族や友人、大事な人が大勢いるだろう。その人のことを考えろ。その人たちを守ることを考えろ。おまえ一人歯向かったとて、人形館、そして人形館が率いるカーニヴァル・エンジン軍には、何の痛痒も与えられないぞ」


 ヨリトモは、ふっと息を吐いた。


 そして、カシオペイアの映る画面に目を向ける。

「たしかに、そうだな。おれ一人、おまえたちに歯向かったとしても、それは所詮うるさいハエが頭の上を飛び回っている程度のものだな」


 カシオペイアが画面のなかで、ほっとするのが見えた。


 しかし、ヨリトモはベルゼバブのアームで、掴んでいたニンジャのアームを激しくふりほどき、虚を突かれたムサシのカーニヴァル・エンジンの顔面にベルゼバブの拳を叩き込んだ。


「だがな、カシオペイア。ひとつ覚えておけ」

  ヨリトモは画面ごしに相手を睨みつけた。

「ハエはハエでも、ベルゼバブは、──蝿の王だ!」


 言うな否や、ベルゼバブの鋭くとがった指先を、左胸の装甲の継ぎ目に突き込んだ。ばちっとライトニング・アーマーがスパークするが、かまわず力を込める。

「ビュート! ライトニング・アーマーを切れ!」


 画面の中で彼女が苦し気にうなずく。


 次の瞬間、ベルゼバブの指が胸部装甲にめり込む。バキリという嫌な音が響いて、コックピットがかすかに揺れた。ヨリトモはベルゼバブの指先を胸の中に突き込み、その装甲を引き剥がそうとする。が、その瞬間物凄い恐怖が襲ってきた。自らの肉体に刃物を突き立てようとしたときに、襲ってくるあの恐怖に近い。全身からさっと汗が吹き出し、どうにも指が動かなくなる。できない。体中の血が引いていくのが感じられた。


 おそらくは良心回路に仕込まれた自傷防止の機能かなにかなのだろう。が、ここで負けるわけにはいかない。ビュートだって、あれほど血を流しながら、良心回路に抗ってきたのだ。ここで彼女のマスターであるおれがビビってどうする。これくらい、なんだ。自分の胸を裂くくらい、失恋の痛みに比べたら大したものではない。


「アリス、おれに、力を!」


 ヨリトモは自らの胸を引き裂いた。

 めりめりという音が響いて、ベルゼバブの頑強な胸部装甲が引き剥がされ、機械化骨格に守られた内部構造が露出する。目の前が暗くなり、貧血によるブラックアウトに似た現象が襲ってくる。が、ブラックアウトがどうした! ブラックアウトが怖くてパイロットは務まらない。


 薄れる視界の中で、内臓回路をさぐる。アームの手首に仕込まれたハンドカメラの映像を睨み、銀色にオレンジ色のラインが入った小さなパーツを見つける。


 これか?


 ビュートに目で問うと、彼女が微かにうなすく。

 ヨリトモはベルゼバブの指を突き込み、左胸の中に仕込まれた小さなパーツを掴みだした。小型モーターみたいな回路。これが良心回路か。力任せに引き出すと、接続させていたコネクターが吹き飛び、バルブが千切れる。その瞬間、すべての画面がばちんと音を立ててスパークした。ビュートも画面の中で、頭に銃弾を喰らったように赤い血煙を上げて後ろに仰け反った。


「ああああああああ!」ヨリトモの頭の中で、恐怖と不安と怯懦の感情が半鐘のように激しく打ち鳴らされる。くそっ、負けるな。喉の奥から嗚咽を洩らしながら、ベルゼバブのアームが良心回路を天高くつき上げる。まるで、それが敵の御首級みしるしであるかのように掲げると、力任せに握りつぶした。


 欺瞞に満ちた、良心回路とかいう名前のくだらない回路が、細かい金属片となって砕け散る。


 一瞬ののち、すべてのシステムが正常に起動した。

 映像パネルが明るく灯り、神経接続が再起動し、ヨリトモを苛んでいた恐怖や吐き気や目の眩みが嘘のように解消される。


 敵味方識別が失われ、戦術マップを覆っていたブルーの味方の反応が、つぎつぎと敵を意味するレッドに切り替わって行く。たちまちのうちにコックピット内が、被ロックオン・アラートによるけたたましい警告音で満たされた。

 

 考えるより速く、ヨリトモの手足は動いていた。胸の装甲は、閉めて押しつけると、なんとなく閉まったのでそのままにしておく。反射的にシフトを4にあげて、スラスターを全開。足のターボ・ユニットをオンしてベルゼバブをホバーさせ、大気圏内でほぼ限界に近い速度で、フロント・ダッシュ。地上にもかかわらず、音速を超えたときの衝撃波がパーン!と鳴り響き、アーマーの先端から白い飛行機雲コントレールが尾を引く。銃弾のような速度でダッシュしたベルゼバブは、前方で待機していた300機のカーニヴァル・エンジン部隊の中へ、体当たりするように突っ込んでいった。

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