鶴来空 -3日(2)
長い螺旋階段を降り切って、僕達は時計塔の外に出る。そのまま反対側、樹村先輩が飛び降りた場所へと向かった。
やっぱり予想通りというかなんというか。樹村先輩の遺体が横たわっていたであろう地面は、今は何事もなかったかのように綺麗になっている。綺麗と言っても、それはあくまでも写真と比べてであって、雑草は生えっぱなしだけど。
時計塔のすぐ近くはコンクリートで舗装されていて、捜査に支障がないのが幸いだ。
「ふむふむ、どれどれ」
時計塔の壁を見ながら、写真の構図と一致するアングルを探し回る。
記憶とのすり合わせだから如何せん頼りないけれど、けれど大体は一致した。そして僕は、時計塔の壁を触る。
「どうしたの鶴来。そんな所触ってたら汚れるよ?」
「ああ、いや。壁に何か証拠とかないかなって思って」
「そんなの、雨で消えるだけじゃん」
「そうなんだけどさ」
南沢は不審者を見るような目で僕を一瞥してから、ふいと他の場所に移動した。南沢なりに何か証拠を掴もうとしてくれているのだろうか。
僕は南沢の視線から隠すようにして、写真をポケットから取り出す。その写真は、低い位置から樹村先輩を撮っていて、遺体がかなり近くに見えるから直視しにくい。
だがそこには、重要かもしれない証拠が写っているのも確かだった。
写真に写った時計塔の壁には、何かを擦ったような跡があった。十センチくらいの擦れた小さい跡、それは等間隔で屋上まで続いている。しかももう一つ、こっちの跡はずっと擦ったように屋上まで続いている。
「……これはなんだろ」
しっかり見ないと、その痕跡には気づかないだろう。あるいは写真の持ち主である兎川先輩ですら、この跡には気付いていないかもしれない。兎川先輩が凝視するには、この写真は残酷すぎるだろう。
白いチョークで囲まれていないという事は、これは警察も気づいていないかもしれない。あるいは、警察も気づいていたけれど関係ないと切り捨てたか。
けれど僕は直感していた。この壁の跡は、何かの証拠になる。あるいは、この跡から何か発想できるのではと。
「どうしたの鶴来。何見てるの?」
「うわっ!」
いつの間にか南沢が僕の傍まで来ていた。僕の背中から手元を覗き込んで、僕が何を見ていたのかを探ろうとしている。
僕は急いで振り返り、写真をポケットに突っ込む。
「どうしたのさ。何か見つかった?」
「いや、やっぱり証拠の類は無かったけど……。鶴来何見てたの?」
「特に何も見てないさ。気のせいじゃないか?」
「へぇ?」
南沢は何か新しいおもちゃを見つけたような、生き生きとした顔でこっちを見てくる。手をわきわきと動かして、僕のポケットに手を突っ込もうとしてくる。
って、こいつ人の物を奪おうとしてやがるな!
僕は華麗に南沢の窃盗行為を避けながら後ろに飛んで逃げる。
「おい南沢。何をしようとしているんだ」
「いやぁ。ただ何を見ていたのかなって気になってさ。もしかしていやらしいものだったり!」
「皆月先輩と同じ事を言うな!」
このくだり三回目だぞ。
という事は何か? 女子高校生はみんな、男子高校生が隠すものはいやらしいものだと思っているのか?
……まあ否定はしにくいけども!
「誤解だ誤解。大体、こんな時にそんな事している場合じゃないだろ。今は真剣に、何か証拠を探さなくてはいけないんだから」
「あ、そっか。ごめん」
「分かればいいんだ」
良かった。何とか誤魔化せた。
「あ、そうだ。ついでに聞きたいんだけどさ。南沢はどう思う?」
「え、急にそんなこと言われても。男の子ならいやらしいもの持ってても、普通だと思うよ」
「そういう事を聞いてるんじゃない」
こいつ、さっき僕が言った事聞いていなかったのだろうか。
ため息をついて、僕はもう一度しっかりと説明する。確かに僕の説明も悪かった、そこは反省しなくてはいけない。
「もし仮にだよ、樹村先輩の死が自殺じゃなくて他殺だとしたら。この時計塔からどうやって脱出したと思う?」
「……だから私は自殺だって思ってるって」
「仮に、だよ。そうだな、これが仮にミステリだと思ってくれよ。登場人物は架空の存在で、実在の人物とは一切関係がないんだ。その上で考えてほしい」
「何そのドラマ仕立ての注釈」
私ミステリ読まないんだけどなぁ。そう言いながら南沢は空を見上げる。
「というか、私密室とかもよくわかってないんだけど。本当に時計塔は密室だったの?」
「そりゃまあ、そうだろ。鍵が屋上にあったんだから」
そっか、普段ミステリとか読まないと、密室もあんまり馴染みがないんだ。施錠されているって意味じゃあ、普通の家だって密室と呼べない事はないけど、それを意識する事は普通ないだろうし。
「施錠できる上に管理が不十分だった鍵は一本しかなくて、しかもそれが時計塔の屋上、つまり施錠されている空間内にあったんだ。これはもう完全な密室だろう」
「でもさ、密室って『密閉された部屋』って事でしょ? 漢字的には」
「そうだけど」
「別に密閉されていないし、部屋でもないじゃん」
ああ、そこまで聞いて僕はようやく気が付いた。
確かに時計塔は密室的状況だったけど、だからと言って密室そのものではないのか。
屋上は外と繋がっていると言えなくもないし、屋上は部屋とは言えない。
なるほど、普段ミステリを読まない南沢らしい発想だ。
「じゃあその上で聞くけど、犯人はその密室じゃない時計塔の屋上からどうやって脱出したと思う?」
「ハンググライダーでぴゅーっと。ほら眼鏡をかけた小っちゃい探偵ものに出てくる怪盗みたいに」
「お前に聞いた僕が愚かだった」
「なんでよ!!」
そもそも具体的に密室だったどうかなんてどうでもいい話じゃないか。
実際に密室と言って差し支えない状況なんだから。いくら何でもそんな、ハンググライダーなんて強硬策――。
「……ん?」
と、そこまで考えて、僕はふと気づく。
ハンググライダー? 強硬策?
フェンスを飛び越えて脱出?
「……ちょっと待て」
僕はもう一度、写真の遺体を見る。南沢に背を向けて、彼女から見えないように。
写真に写っている、樹村先輩の首に巻き付いてあるロープを、じっくり確認する。
ロープは首にしっかりと巻き付いていて、余ったロープは蛇のように蛇行しながら血の海の中に沈んでいる。その長さは、二メートル以上はあるだろうか。単純にほどけたにしても、その長さは異常かもしれない。
いや、異常なのはそれだけじゃない。
屋上のフェンスの塗装が、一部剥げていなかった事。
時計塔の壁に変な跡がついている事。
そもそも、首つりを時計塔で行った事。
姉さんが持っていたノートの切れ端の事。
「どうしたの。さっきから黙りこくっちゃって」
「ちょっとごめん、黙ってて。今からめっちゃ考えるから」
僕の言葉に南沢がどんなリアクションをしたのか、それを確認する前に僕は眼を瞑る。そして両手を耳に当てて、外部の情報をできるだけシャットダウンする。
そして僕は考える。
さっき思いついた可能性、それが本当にできるのかを確かめなくてはいけない。姉さんが犯人だとして、その行動を予想する。
考える。思いついた矛盾点に出来るだけ論理的で蓋然性の高い答えを当てはめる。
考える。それが本当に可能か、姉さんの私生活を照らし合わせる。
考える。樹村先輩の姿を想い出して、姉さんとある点が同じか予測する。
考える。考える。考える。考える。考える。考える。考える。考える。考える。考える。考える。考える。
「――あ」
ぴったりと、何かがハマる音が聞こえた。
分かった。樹村先輩の死の謎が。姉さんが、どうやって殺したのかが。
謎は解けた。
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