鶴来空は、自殺事件の謎を解く

鶴来空 -3日(1)



 思えばこの数日間、いろんな事があった。大した事は起きていない――ただ過去の事をほじくり返しているだけと言えばそうなんだけど、それでも僕の個人的な感想としては、激動の数日間だった。

 そしてそれは、今だに続いている。


「何か分かったら教えてね」


 昨日、兎川先輩の家から帰るとき、彼女はそう言ってくれた。そしてを手渡してくれた。

 その内容はあまりにもおぞましいものだったけれど、しかし事件の解決には必要不可欠だろう。ありがたく貰っておく事にした。

 

 写真には、樹村先輩の遺体が写っていた。


 なんでも、警察の内部資料をこっそり貰ったらしい。いくら何でもコネクションが強すぎると思った。一体兎川先輩の知り合いって何者なんだろう。というか兎川先輩が何者なんだろうか。

 写真の内容は事前に(僕がそのグロい写真を見る前に)教えてくれたから覚悟はできていたけれど、実際に見るとかなりきつかった。おかげで昨日は、満足に眠れなった。

 そして、そんな事があった翌日、僕達は時計塔の屋上に来ている。


「うわー、私時計塔初めて昇ったよー!」

「あんまり騒ぐなって。ここにいる事が姉さん達にばれたらどうなる事やら」

「どうなるの?」

「骨を拾ってくれると嬉しい」

「殺されるの?」


 姉さんを怒らせると死ぬより恐ろしい目に会いそうだけど、それはさておき。

 僕達――僕と南沢がこうして時計塔の屋上にいるのには訳がある。


 僕と兎川先輩の話し合いによる結論は、おおよそ姉さんが怪しいという事で一致したけれど、しかしそのためには、密室だった時計塔で殺人が可能だった事を証明する必要がある。なので、時計塔の密室を攻略するためにも、こうして調査を行っているのである。

 時計塔の鍵は、生徒会の物を拝借した。兎川先輩が生徒会長なので、必要な記入事項をサラサラと書いて容易く鍵をゲット出来る。

 時計塔の鍵を開錠して、長い階段を上がっていくと、目前には更に扉があった。地面に近い側と、屋上に出る側、両方に扉があるのだ。どうやら二つの扉の錠は同じものを使用しているらしく、生徒会の鍵で再び開錠すると、時計塔の屋上に着いた。

 屋上はとても暑く、長袖シャツに汗がべっとりとへばりついた。


「けどまあ、これは確かに凄いな……」


 時計塔の高さは七階かそれ以上だろうか、校舎はやすやすと下に見下ろす恰好だ。けどまあ、だからと言って解放感があるかと言われるとそれも微妙だけど。

 なぜならこの時計塔、屋上のうち三方向が壁に囲われているのである。唯一開けている面には金属製の手すりが設置されていて、ここで樹村先輩が死んだのだと予測できる。

 あくまでも飛び降りた場所ではなく、死んだ場所、ではあるが。


「……」


 僕は昨日見た、樹村先輩の遺体の写真を想い出す。

 確か時計塔の壁を背景にして、樹村先輩の死体が写っていた。他の写真も、樹村先輩だけを接写していたり、首元や顔という特徴的なパーツに注目して写していたりと、その内容に差はあるものの、おおむね同じような写真ばかりだった。一枚だけ屋上の写真があったけど。

 その中でもひときわ特徴的なのは(死体の写真そのものが特徴的というのを除いて)、やはり首元のロープだろう。

 樹村先輩の、その先端は血の海に沈んでいた。だいたい、、その先端はよく見るとカッターで切ったような跡があった。


「なんていうか、変な感じだよね」

「ん? 何が」

「いや、なんというか、いろんな事が」


 南沢は屋上のフェンスに手をかけて、外の景色を見ながら言う。人が死んだフェンスによくそんな事をできるのかと感心する。

 南沢にはさっき、昨日兎川先輩と話した事を大まかに伝えた。とは言っても樹村先輩の死の状況とかだけで、兎川先輩と協力体制を作った所までは話していない。話さなくてもいい事ではあるし。


「一旦首を吊ったのに、なんで飛び降りみたいになったのかな」

「一応、論理的な説明はできるけどな」


 ただそれを信じられるか信じられないかは別だし、僕は信じていないけど。

 そう思った事は隠して、僕は南沢と向き合う。南沢も興味を持ったようで、身体を反転させてこっちを向いた。


「樹村先輩がここで首を吊った後、ロープがほどけたんだよ。それで首吊りをした後飛び降りをしたような変な形になった」

「うーん、なんとなく理解できるような、そうでもないような」

「理論上可能かもしれないけど、腑に落ちないって感じだろ」

「そうそう、そうなんだよ。なんというか、不自然かなって」


 僕だって不自然だと思っている。さっきの推論だってある程度説明できるってだけで、説得できるような内容じゃない。

 それに第一、自殺かどうかは本当は定かじゃないんだ。


「……僕は正直、樹村先輩の死が自殺とは思えないんだ」

「え? でも、首吊りしたんじゃ」

「偽装した可能性だってあるだろ」


 その言葉に、南沢は意表を突かれたように驚いた。その可能性を意識していなかったのだろう。

 

「……えっと、つまり鶴来は、樹村先輩の死はって言いたいの?」

「正直に言うとそれだけじゃない。僕は姉さんが殺したと思っている」

「……いくらなんでもそれは」

「まあただの勘だけど。でも『超研部』の中で一番怪しいって言ったら、姉さんの気がするんだよな。あくまでも客観的に見て」


 これは嘘だ。

 本当は姉さんが殺したのだとほとんど確信しているくらいだけど、それを無闇矢鱈と言う訳にもいかないだろう。


「でもさ、鶴来。動機がないんじゃないの? そもそも私には、『超研部』の人がきっかけになったなんて信じたくないよ」

「それは確かにそうかもしれない。でもさ、姉さんたちは一緒の部活で過ごしていた訳だし、多少なりとも生活を共にしている以上、何かしらの動機があったとしてもおかしくはないと思うんだ。まあ動機があったのと、実際にやるのは全然違うけどさ」

「やっぱり、こじつけが過ぎるって」

「でも、調査する価値はあると思うんだ。これで調べて、やっぱり自殺だなって納得すればそれでいい訳だし」

「……」


 納得いかないのか、鹿爪らしい表情を浮かべる南沢。そのまま僕から視線をそらして、先ほどのように景色を見る。


「ま、ここまで来た以上、最後まで付き合うよ。自殺にせよ他殺にしても、どっちかに納得できなきゃ嫌だもんね。でも私は、樹村先輩の死は自殺だと思っているから。誰かが殺しただなんて思いたくないもん」

「……ありがと」


 僕の身勝手な捜査に協力してくれる事、その上で『超研部』は樹村先輩の死に関与していないと信じてくれる事、その両方が嬉しかった。


 僕は南沢のいるフェンスへと向かう。フェンスは元々白い色だったのだろう。しかし今は薄汚れて、赤茶色い錆や塗装剥げ等でかなりみすぼらしい姿になっていた。

 おそらく長年ほったらかしになっていて、誰も手入れをしようともしなかったのだろう。まあ古い時計塔と言っても屋上のフェンスまでは違うだろうし、屋上にわざわざ来る人間もいないだろうから、当然と言えば当然か。


 形は『皿』とでも言えばいいのだろうか。よくあるフェンスの形だ。一本一本が太いから人間を支えるのには十分そうだし、乗り越えやすい高さでもあったから、自殺するには楽かもしれない。首吊りでも、飛び降りでも。


「……こりゃ、なんの跡も残ってなさそうだな」

「去年だしね。雨だって散々降ったろうし、何にも残ってないんじゃない?」


 事件の直後とかに来れれば何らかの証拠を見つける事もできたのかもしれないけど、もう一年経っている以上、新しい証拠には期待できそうもない。それにそんな分かりやすい証拠があれば、きっと警察だって気づくだろう。


「……ん?」


 しばらくフェンスを眺めていると、フェンスの一部の塗装禿げが酷い事に気が付いた。

 その跡があるのは、左右で言えばちょうど真ん中、上下で言えば一番下の位置だ。


「ここ、塗装剥げが酷いな」

「ああ本当だ。じゃあここにロープが結んであったのかな。ううん、あんまり想像したくないなあ」

「ふぅん」

  

 僕は昨日見た写真を想い出す。

 確か屋上を撮っていた写真が一枚だけあって、アングルはこの屋上からフェンス全体を撮っていた。そしてフェンスの中央、まさにここら辺の床に、白いチョークで囲みがあったはずだ。

 ここで首吊りをしたのは、どうやら確実みたいだ。 


「まあどこで首を吊ろうが、あんまり関係ないのかもしれないけど」


 見るだけでは分かるものも分かるまい。そう思い、僕はフェンスを触って確かめる事にした。

 フェンスの前で屈んでフェンスを触る。袖口にフェンスがついて錆がついてしまったけど、気にしては調べられないだろう。


「……ん?」


 しばらく触っていると、ある事に気づいた。その声につられて、南沢も僕の傍に近づく。


「ここ、塗装が全部剥げてないな」

「そりゃまあ、ロープに触れてない部分はそうでしょ」

「いや、それがさ。フェンスの円周すべての塗装が剥がれてないっていうか」

「どういう事?」

「なんというかさ……」


 フェンスを円柱とみなした時、その円柱にロープを結んでいるとする。もし結んだロープが擦れて塗装が剥げたのだとしたら、その円周全ての塗装が剥げているだろう。

 問題は、目の前にあるこのフェンスの塗装剥げだ。

 触ってみると分かったけど、塗装剥げは円周のだいたい四分の三くらいしかない。フェンスの内、外側に面している部分は塗装剥げが全然ないのだ。

 こんな事を説明したけれど、南沢は今一よく伝わらなかったようで、しきりに首をかしげている。自分でも屈んだ状態でフェンスを触って確かめているけど、どうもしっくり来ていないようだ。


「それはわかったけどさ。別にその部分だけ擦れなかったってだけじゃないの」

「そうなんだけどさ。でも仮にそれが偶然じゃなかったとしたら?」

「……したら?」

「そこの部分にはロープが触れてなかったって事になる」

「……つまり?」

「つまり、なんだろうな」

「駄目じゃん」


 南沢は呆れた口調でばっさり言い放った。立ち上がって、その勢いのままフェンスから遠ざかる。

 しょうがない。僕はしょせん、傍観者でしかない。推理劇をやろうだなんて無謀な行為でしかない。


「……」


 僕も立ち上がって、もう一度フェンスを見る。

 塗装が一部剥がれていない。つまりロープがそこに触れていない。

 そもそもだ、果たしてロープが巻き付いてあったからといって、塗装がそう簡単に剥がれるものだろうか。


 樹村先輩がロープを使って首つりをしている姿を想像する。ロープがフェンスに固く結ばれ、ロープが伸びた先には樹村先輩の首がある。樹村先輩は首を支点にして、体を揺らしている。

 そんな状態で、何らかのトラブルでロープがフェンスから外れる。写真から、ロープの切り口が切断されていた事は分かっている。つまりロープは自然にちぎれたんじゃなく、結びがほどけたと考えてもいい。

 するりとロープの結び目がほどけて、樹村先輩の身体が地面に向かって落下する。そのまま地面に叩きつけられ、ぐしゃっと――。


「……やっぱりおかしいな」

「ん? どうかした鶴来」

「ああいや、何でもない」


 もう調べる事はないと言わんばかりに、南沢は屋上の扉の方に向かう。実際、屋上で調べられる事は特に無さそうなので、僕も南沢についていく。そしてその間、さっきの考えを詰めていく。

 ロープが解けて樹村先輩が落下したなら、ロープはそこまで擦れないはずだ。擦れるとしても、そこまで強い力がかかる訳でもないだろうから、結果塗装がはがれる事もないだろう。

 あの塗装の剥がれ方はもっとこう、のだ。

 つまりそれはどういう事かと言うと。


「……だめだ、分かんね」


 だから僕には無理だって、推理は。

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