氷上雹珂 +5日(2)



「……」


 西園寺さんと私が、無言のまま向き合う。痛いくらいの静寂が書斎を包む。このまま時間が経過すれば、二階の過馬さんがこちらに来てくれるだろう。今はただ、時間を稼ぐ方がいい。

 しかし私のもくろみを西園寺さんも察したのか、沈黙を破ってこちらに突っ込んでくる。


「――!」


 彼女の右手にはすでにスタンガンはなく。代わりに小ぶりのナイフが握られていた。

 刀身は赤くぬめっていて、血の雫が一滴、また一滴と床に落ちる。兎川さんを殺すのに使ったのだろう。そしてそれは、今私を殺すために振るわれる。


「くっ!」


 普段の私なら、女子高校生くらいお茶の子さいさいだろう。警察官として、最低限の武道はたしなんでいる。

 しかし今は、さっきのスタンガンのショックが大きすぎる。

 これでは、立ち上がる事も無理だ。それでも何とか、転がるようにしてナイフを交わす。


「逃げないでくださいよ!」

「――!」


 西園寺さんが再びナイフを振り下ろす。私は避けるのに精いっぱいで、立ち上がる事すら許されない。

 西園寺さんがナイフを振るい、私が転がるように避ける。これを何回か繰り返したところで、私にもようやく立ち上がるくらいの力が戻ってくる。


「――ずいぶんと、立ち直りが早いんですね」

「これでも私、警察官だから。ねえ西園寺さん。どうして兎川さんと、皆月さんを殺したの?」


 彼女が持っているスタンガン、きっとそれが、皆月さんの殺害に利用されたに違いない。皆月さんの遺体にあったスタンガンの痕は、あれのせいだ。


「なんで、人を殺したの?」


 私はもう一度、西園寺さんに質問する。攻撃する意思がないのか、ナイフをぶら下げて、据えた目で私をにらむ。


「……言って、あなたに何が分かるんですか」


 低い声が、書斎に響く。腹の底から響いているようなその声は、怨念や執念といった、どす黒い感情が露骨に表れているようだ。

 それだけで、分かってしまった。彼女が一体、どんな感情を持っているのか。


「復讐、でしょう」


 彼女の眉がわずかに動く。


「鶴来玲さんを殺したのは、あの二人だった。あなたは鶴来玲さんを殺した人間が憎いから、二人を殺したのね」


 西園寺さんの鶴来玲さんに対する執着は、かなりのものだった。私に、犯人を見つけてと懇願する程に。

 西園寺さんも、過馬さんと同じように、真実にたどり着いたのだ。そして兎川さんと皆月さんを殺害した。


「でもなんで? 友達じゃないの?」

「……はっ」


 西園寺さんは見下げるような視線で、鼻を鳴らした。


「何ですか、それ。友達って、あんなの友達じゃないですよ」

「同じ『超研部』じゃない」

「先に人を殺したのは、あいつらですよ。あいつらが、玲を殺したんです」


 あいつら。

 西園寺さんは、かつての友達を、自分が殺した相手を、そう呼んだ。余りにも冷たい、突き放した言い方だった。

 いや、でもそれはしょうがないのだ。結局彼女にとって、皆月さんも兎川さんも、最早友達ではない。憎むべき、敵でしかない。

 その事実が、かつて友達だった人間同士が、そうやって憎み合うその姿が、私はあまりも悲しかった。

 気が付くと、私は自然と涙を流していた。


「……おかしいよ、そんなの」

「……私はもう、覚悟を決めました。真実を知ったあの時から、すでに」


 知った?

 その言葉に違和感を覚えたその時、西園寺さんはナイフを突き出してきた。


「死んでください!」

「――!」


 いくら立ち上がれたと言っても、本調子ではない。このまま迎撃できるかは、かなり分の悪い賭けだった。

 想像してしまう。彼女のナイフが私の腹部に突き刺さり、血を吹き出して倒れる様を。

 だとしても、私は止まれない。彼女の恨み、思いを、正面から受け止めたいんだ。

 それが、彼女達に関わった私の、できる事だから。

 西園寺さんが、ナイフを私に突き刺そうとするとき、


「いい加減にしろよ」


 そんな声が聞こえてきて。

 西園寺さんは、何も言わず前に倒れた。


「――え?」


 西園寺さんが、地面に突っ伏している。その上に乗って、彼女を上から押さえつけている人間がいる。その人は。


「か、過馬さん!」

「ごめんね氷上ちゃん。遅くなっちゃった」


 過馬さんは西園寺さんに馬乗りになって、両手を抑える形で、背中に乗っている。西園寺さんは少しも抵抗せず、うつ伏せでだんまりしている。


「……どうやら、気絶したようだ」


 そういうと、過馬さんは立ち上がって、服の汚れを払った。

 私は放心して、その場に座り込んでしまう。



「――これで事件解決だ」


 







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