氷上雹珂 +0日(3)


 今朝の事も大事だが、それ以上に大事なのは昨日の事――鶴来玲さんがいつ死んだのか、死亡推定時刻と、その時の関係者のアリバイだ。

 

「えっと、昨日って言うと、いつから――」

「それじゃあ、放課後、授業が終わってからの話をしてくれるかな」

「えっと昨日は、授業が終わってからすぐに図書室に行きました。図書委員の仕事があったので」

「誰かと一緒だった?」

「ええ、南沢って言うクラスメイトが同じ図書委員なので、彼女と一緒に行きました。その後も、ずっと二人で図書委員の仕事を」

「図書室はどこにあるの?」

「この階の突き当りですよ。廊下に出れば見えます」


 そう言われたので、実際に廊下に出てみる。教室の後ろの扉を開けて、そこから顔を出す。


「……本当だ」


 右を向いたら、突き当りに図書室のプレートが見えた。扉は本の形をした紙を貼っていて、周りから少しだけ浮いている。

 顔を引っ込めて、元の椅子に戻る。すると空君の、唖然とした表情が視界に入った。


「本当に見に行くとは思いませんでした」

「論より証拠ってね」


 別にそこまでして見たかった訳でもないけれど。実際は空君の緊張をほぐすためにやった。

 そのおかげだろうか、空君の表情はさっきよりは多少明るく見えた。


「それで、図書委員の仕事を終えて、帰ったのかな?」

「えっと、そうですね、大まかにはそうです」

「誰かに会ったりした?」


 お姉さんに出会っていた事を期待して聞いたけれど、予想外の返事が返って来た。


「えっと、兎川先輩に会いました。本を借りに来たみたいで。帰りも南沢と兎川先輩の三人で校門まで行きました」

「兎川先輩というのは、兎川雨鷺さん? 生徒会長の」

「ええ、そうです」


 今朝現れたのに続いて、また兎川さんだ。もっとも時系列的にはこっちの方が先だけど。

 案外、前日にそうやって接触をしていたからこそ、姉の遺体を発見した空君は、思わず兎川さんを頼ったのかもしれない。


「一緒に図書室に入った訳じゃないのよね。何時頃に図書室に来たのか覚えてる?」

「えっと、五時半過ぎとかだったと思います。すみません、具体的な時間は覚えてなくて」

「それで十分よ。それで、帰った時の話なんだけど。南沢さんと兎川さんの三人で帰ったのよね、それは駅まで帰ったのかしら?」

「いえ、南沢は徒歩通学なので、校門で別れました。それで、兎川先輩が忘れ物をして、取りに行こうって話になったんです」

「それは、図書室に?」

「いえ、部室にです」


 その言葉に、思わず驚いてしまう。

 それはつまり、彼らは部室に一度寄っているという事になる。これは事件の真相を掴むうえでは、かなり重要な証言になるかもしれない。

 その時玲さんが生きていたのかどうか。


「確認なんだけど、それは何時頃?」

「図書室を出たのが七時くらいで、部室に寄ったのはその十分くらい後ですかね。時計を見ていないので、具体的な時間はちょっと……」

「いいえ、大丈夫。それで七時十分くらいに、二人で部室に入ったのね?」

「いえ、僕は校舎の入り口あたりで待ってました。兎川先輩だけが部室に入ったので」

「それは、何分くらい?」

「かかった時間ですか? 大体、一、二分って所ですかね。体感ですけど、あんまり待たなかったですよ。本当、忘れ物を取りに行ったくらいだと思っていたので」


 兎川雨鷺。どうやら事件の鍵を握るのは彼女のようだ。もし仮に彼女が生きている鶴来玲さんを目撃していたら、犯行時刻はぐっと狭くなる。


「それで二人で、一緒に帰ったの?」

「ええ、駅までは一緒だったので。そこからは別ですけど」


 これで、空君の大体の行動は分かった。かなり重要な証言をしてくれたので、これで事件の全貌が少しでも掴めればいいのだけれど。

 それでは、話題は最後の一つ。空君からすれば、言いにくい話題かもしれない。


「それじゃあその、お姉さんの事について質問してもいいかな?」

「……わかりました」


 玲さんが殺された以上、その動機については、考えない訳にもいかない。そして彼女の事情を知っているのは、最も親しい家族に他ならないだろう。自分の姉が恨まれている理由なんて答えにくいだろうけど、それでも彼に聞かなくてはいけない。


「鶴来玲さんが、個人的に誰かとトラブルを抱えていた可能性はないかな? その、誰かと喧嘩したとか」

「……それは、姉さんが殺される動機って事ですか」

「平たく言うと、そうなるのかな」

「だったら、僕には心当たりはありませんよ。姉さんは他人の恨みを買うような人間じゃありませんから」


 そう言った空君の視線はどこか陰りを帯びていた。そこには何というか、複雑な感情が込められているように見えた。


「……姉さんを殺したのは、きっと頭のネジがぶっ飛んだヤツなんですよ。理由もなく人を殺せるような奴だ。そうじゃなきゃ姉さんが殺される理由なんてどこにもない」

「……」

「お願いします、刑事さん」


 そこで空君は、私に向かって頭を下げた。丁寧に、丁重に、目を瞑って祈るように。


「姉さんの敵を取ってください」


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