氷上雹珂は、少女の死を調べる
氷上雹珂 +0日(2)
鶴来玲。なぜ彼女は殺害されたのか。殺害された彼女の事を、私はあまりにも知らない。
「――いやまあ、知ってる方がおかしいんだけど」
人気のない校舎の階段で、私は独り言をつぶやく。
校内で殺人事件が起こった以上、授業を通常通りに行う訳にもいかない。関係の無い生徒は学校に着くなり追い出され、今日は休校となった。
きっと生徒達も、自分たちの学校で何が起こったのかなんて分かっていないだろう。ましてや、人が死んだなんて夢にも思ってないはずだ。
とは言っても、噂話はすぐに広まる。いくらすぐに生徒を追い出したと言っても、知っている人間は知っているだろう。今日中には生徒の大半が、鶴来玲さんの死を知る事になる。
知っている人間。私たちは、その人に話を聞かなくてはいけない。
関係のある生徒――第一発見者である鶴来空君や、目撃者でもある兎川雨鷺さん
は、校舎に残る形となった。
今は進路相談室にいるらしいので、私は向かっている。
「遠いなあ」
学生たちは毎朝この階段を上っていると思うと、頭が下がる思いだ。
校舎の三階まで行って、ようやく目的の教室が見えた。『進路調査室』と書かれたプレートがかかっている。
ノックをして、中に入る。そこには、三者面談用と思われる机や椅子が数脚、それと大学の資料を詰め込んだ棚が並んでいた。たしか翆玲高校は進学校のはずだから、大学進学の資料も必然と多くなるのかもしれない。実際、就職用の資料はほとんどなさそうだし。
そして中央の椅子には、一人の男子生徒が腰かけている。机を挟んで椅子が二脚あり、彼はその片方に座っていた。そして反対側の椅子には、婦人警官が座っていた。
「ご苦労様です」
私の姿が目に入ると、婦人警官は立ち上がって敬礼をした。二言三言、言葉を交わしてから、婦人警官は教室を出ていった。
そして私は、婦人警官が元居た椅子に座り、対面の彼と向き合う。
「こんにちは、鶴来空君」
「……こんにちは」
「私は警察の氷上雹珂です。君にいくつか聞きたい事があるんだけど……」
「……わかりました」
彼の表情は、ぱっと見では冷静に見える。
どうやら実の姉の死体を見たショックは随分と和らいでいるみたいだった。実の姉の死を目の当たりにして、錯乱していないのを見ると、精神が強いのかもしれない。
「これが終わったら、お家に帰ってもいいからね? ご両親が迎えに来てくれると思うわ」
「……両親は出張しているので。家には僕しかいません」
しまった、完全に失言だった。
そもそも家族を亡くしているのに、家族の話題を出すのはいくら何でも空気が読めていなかった。軽い自己嫌悪。
改めて、鶴来空君の事を観察する。
顔立ちは幼い感じで、姉とそっくりで整っている。その表情は陰っているものの、錯乱している訳ではなく落ち着いている。どちらかと言えば、体が縮こまっていて、緊張しているように見える。
大人、ましてや警察の会話に緊張しているのだろう。見た目からして真面目そうだから、警察と話をするなんて事が今までの人生でなかったのだろう。
もっともそれは、彼がただの遺族というパターンのみの場合だけど。
第一発見者が犯人というパターンなんて、いくらでも存在する。
「えっと、緊張しなくても大丈夫だからね? ちょっと話を聞くだけだから」
「……すみません、人見知りするもので」
「うん、大丈夫だから。気にしてないから」
そうは言っても、相手は高校生。つい気遣うセリフが出てくる。
発言に気を遣うあまり、大丈夫しか言えない自分がいる。なんて情けない、年下の男の子相手で、私も緊張しているのだろうか。
「えっと、それじゃあさっそく、本題に入らせてもらうね」
「……分かりました」
お互い気を遣ってもしょうがない。私の仕事はあくまでも彼から情報を聞き出す事であって、決して彼のケアをする事ではないのだから。私情は抜きにして、刑事として彼に向き合う必要が私にはある。
私は彼の眼を正面から見据えた。威圧感を与えないように、けれど卑屈な印象を与えないように、気を配りながら話しかける。
「まず、今朝の君の行動を一通り教えてほしいんだけど」
「……はい」
空君も慣れてきたのか、少しずつ目線が合ってくる。そのままたどたどしく、彼
は自分の行動を説明してくれる。
「まず、今朝の七時半くらいに学校に着きました。そのまま部活棟に寄って――」
「ごめん、ちょっと待って。いつも部活には七時半に来ているの?」
「いえ、今日は特別でした。姉さんが、昨日の夜帰ってこなかったんです」
「鶴来玲さんは、昨日の段階で家にいなかったのね」
その事実は、死亡推定時刻と矛盾しない。彼女は昨日の時点で死んでいたようなのだ。
「いつもの事かと思っていたんですけど、今朝になっても帰った様子が無いのが気になって」
「それで、部室に? 玲さんは、朝早く部活をする事があったの?」
「いえ。ただその日は、何となく部室にいるんじゃないかと思ったんです。ちょっと、混乱していたのかもしれません」
「玲さんの帰りが遅くなる事は、今まで何回かあったの?」
「数えるくらいですけど。大体友達と遊んだり、泊まったりで。いっつも連絡がないので、今回もそうだと思ってました」
空君の話を纏めよう。
夕方、部室にいた鶴来玲さんは、そこで犯人に襲われ、死亡した。翌朝、彼女の不在を不審に思った空君が、今朝部室に寄った。そして遺体を発見した、そんな所だろう。
「ごめんね、話を遮って。えっとそれで、部活棟に寄った君はそこで――」
「――そこで、姉さんの死体を見つけました」
空君は顔を下げて俯いてしまう。右手をポケットに入れて、左手で右手の長袖を握って、不安そうにしている。落ち着いているように見えて、やっぱりショックなのだろう。私からは顔が見えないけれど、涙をこらえているのかもしれない。
何か声をかけようとかと逡巡しているうちに、空君は顔を上げた。その表情はさっきと変わらないものだった。
「それで、姉さんに駆け寄って。もしかしたら何かの冗談じゃないかと思ったんです。でも姉さんは」
「……うん、そこまででいいよ。それで君が人を呼んだのが、七時四十五分だよね」
「ええ、しばらく放心していたんですけど。我に返って、とにかく人を呼ばなきゃって思って。職員室の先生を呼びました」
そこについては、あとで裏をとらなくてはいけないだろう。ただ、遺体を見つけて警察に通報した
東上先生が遺体を発見したのが七時四十五分。彼はその場で警察に電話した後、空君を別の場所に移動させた。そして他の先生方を呼んで、生徒を近づけさせないようにしたらしい。ただまあ、警察がこうやって来ている以上、その努力は無駄だったろうけど。きっと今頃、根も葉もない噂話が広がっているに違いない。
「ああ、そうだ。すみません、言いそびれていた事がありました」
「え、何?」
言いそびれていた事に今気づいたのか、空君は気まずそうにそう言った。
「その、先生を呼ぶ前に、兎川先輩に電話をしたんです」
「ああ、兎川さんね」
空君が死体を目撃し、先生方が現場に駆け付けた時。兎川雨鷺さんという生徒も現場にいたらしい。生徒会長と聞いていたので、その関係で朝早く来ていたと思っていたのだけど。
「でも、なんで電話を?」
「とにかく、誰か頼れる人に話をしたかったんです。それでその、姉さんの事を伝えて」
姉の遺体を前にして、動揺してしまったのだろうか。それで空君は鶴来玲さんの死を兎川さんに伝えた。
そのあまりにも衝撃的な事実を知った兎川さんは、急いで学校に駆け付けた。事情を知っている生徒を先生も止めきれず、現場に居合わせた、そんな所だろうか。
兎に角これで、おおまかな話は分かった。次にするべきは、施錠について聞く事だろう。
「それじゃあ、部室についた時なんだけど。鍵はかかっていたかな」
「鍵、ですか。――確か、かかってなかったと思います」
どうやらそこは過馬さんの言う通りのようだ。しかしそれは、密室という可能性が無くなった事と同義であり、外部犯の可能性が高くなったという事だろう。
最も、私の個人的な意見としては、外部犯で狙いを絞るわけにもいかないと思うが。
その後も私は、ちょっとした質問を空君に投げかけた。
結果として特筆すべき事は判明しなかった。まあ施錠の確認ができただけでも、かなりの収穫だろう。
では、次の話題だ。
「それじゃあ、質問を変えて。昨日の事について教えてもらっていいかな」
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