鶴来空 -1日(2)



「あ、ごめん。ふぇっとさせちゃったね」

「ふぇっとと言われればそれっぽいけれど…………。で、兎川先輩は何してるんですか?」

「そうですよ、ここ図書委員以外立ち入り禁止ですよ」

「まあまあ、生徒会長権限だと思って」

「すみません、ここ治外法権なんですよ」


 気にしない気にしないと朗らかに言いながら、兎川先輩は手短な椅子に腰かける。ほんと自由だなこの人。


「本はもう選び終えたんですか?」

「いや、まだだよー」


 南沢が質問をして、兎川先輩が気の抜けた返事をする。兎川先輩の手元を見ると、カバン以外は何も持っていなかった。

 てっきり何かお目当ての本があって図書室に来ていたと思っていたけれど、そうでもないのか。


「ちょっと気になってる話をしてたからさー。空君、自分の事をそんな風に思ってたんだーって」

「……えっと、僕は所詮姉さんの弟、それだけだって話ですか」

「いや、傍観者だって所」


 そんな所から話を聞いていたのか。

 人の会話を盗み聞きするとは、酷い話だ。なんというかこの前から、この人の色んな所をよく見るなあ。残念な所も、暗い所も。


「別に空君は傍観者だとは思わないけどなあ」

「そうですか?」

「うん。空君は何というか、逆なんだよ」


 逆?

 それは、僕がスターで人の中心に立っているような、そんな存在という事だろうか。

 物語の主役だという事だろうか。


「いや、そんな訳ないですよ。そんな僕がスターで皆からの羨望を集めて、まるで芸能人のようだなんて」

「誰もそこまで言ってない」

「ぺたりとも言ってないねー」


 南沢と兎川先輩、二人からの容赦ない突っ込みが入る。

 じとーという音が聞こえそうな程鋭い視線だったけれど、でも心なしか楽しそうでもあった。


「それは冗談としても。逆ってどういうことですか」

 

 僕が話を戻すと、兎川先輩も何でもなかったかのように話を続けた。


「空君はさ、人に影響を与える人なんだよ。知らず知らずの内にね」

「影響ですか?」

「うん」


 兎川先輩が僕の事をじーっと視線で射貫く。思わずたじろいでしまう程、本当に視線が刺さるのではと危惧するほど、それは鋭い視線だった。


「意外と空君がいると何かが起こったり、そういう事があったりすると思うんだー」

「そんなもんですかね」


 兎川先輩は勘違いしているけれど、僕はそんなんじゃない。

 僕には誰かを変える力なんてないし、誰にも影響を与えたりはしない。

 だって僕にそんな力があったなら。

 誰かを変える事が出来るのなら。

 


「……っと、そろそろ本でも借りようかな」


 突然兎川先輩は立ち上がって、カウンターから出ていく。こちらをちらりと振り返り、手を振ったかと思うと、クルリと反転して本棚の方へ向かった。


「……なんというかさ」


 僕の隣で、兎川先輩との会話を黙って聞いていた南沢が口を開いた。


「ほんと、嵐みたいな人だよね」

「本当にな」


 そしたら僕は凪かな。

 なんて、くだらない事を思ったりした。




**************************************





 その後、しばらくのんびりとした時間が流れた。

 僕と南沢は図書委員の仕事を行った。ちらりと兎川先輩の方を見ると、何かハードカバーの本を読んでいた。

 兎川先輩が来たのが五時四十分だったけど、今はもう七時になっていた。その時間にもなれば、図書室にはもうほとんど生徒は残っていなくて、図書室には僕と南沢と、それと兎川先輩だけになった。


「それじゃあそろそろ閉館にしますか」

「うん、そうだね。兎川せんぱーい。そろそろ閉館にしますよー」


 南沢がそう呼びかけると、兎川先輩は顔を上げて席を立った。そのままこっちに本を持ってくると思ったけれど、兎川先輩は本棚の方へと向かった。


「あれ、兎川先輩本借りないのかな」

「気に入らなかったんじゃないか」


 兎川先輩は元々持ってた手荷物だけ持って、カウンターへとやって来た。


「いやー、結局借りない事にしたよ」

「面白くなかったんですか」

「漢字が難しかったんだー」

「ああ、なるほど」


 それは確かに、ハーフの兎川先輩にはつらいかもしれない。


「それじゃあ、帰りますか」


 僕達は図書室を出て施錠する。一旦職員室によって、図書室の鍵を返す。

 他愛もない話を三人でしながら、僕達は校門を出る。


「それじゃあ、また明日ねー」

「おーう、また明日ー」

「南沢ちゃん、それじゃあねー」


 南沢の家は近いので、彼女は徒歩で学校に通っている。それもまた、朝のHRぎりぎりに学校に来れる原因の一つなのかもしれない。

 僕と兎川先輩は駅へ向かって、横に並んで歩く。すると、しばらく歩いた所で兎川先輩が短い声を上げた。


「しまった、部室に忘れ物しちゃった」

「何ですか?」

「ジャッカロープ傘」

「……ん? じゃっかろーぷかさ? 何ですかそれ?」

「知らない? ジャッカロープっていうUMA。ワイオミング州に住んでてウサギに鹿の角が生えてるの。ほら私の名前ってウサギと関係性深いからさー。好きなんだよねジャッカロープ」

「いやジャッカロープなんて知りませんし、そんな傘がある事に驚きですし、自分の名前がウサギと関係しているのならウサギを好きになりましょうよ」


 くそっ、言いたい事が多すぎてまとまらない。そして兎川先輩は僕の突っ込みを完全にスルーした。


「ごめん空君。私部室に戻るよ。先帰っててもいいよー」

「いえ、僕も戻りますよ」

「そう? じゃあ一緒に行こっか」


 僕達は来た道を戻って、話をしながら学校へと引き戻る。途中、時計塔の前を通った。

 ……時計塔を見ると、いやでも思い出す。思い出してしまう。けれどもう終わった事だ。

 僕は気にしないようにして、時計塔の傍を通り過ぎる。そして部活棟の前までくる。

 翆玲高校の部活棟は変わっていて、プレハブとかの簡易的なものでなくしっかりとした、小さい校舎のような建物を部活棟として使っている。なので我々『超研部』もしっかりとした施設を使用できるのだ。


「空君はどうする? 中まで行く?」

「いえ、ここで待ってますよ」

「分かったー」


 そう言い残して、兎川先輩は部室棟の中に入る。

 しばらくぼーっとして待っていると、兎川先輩は僕の隣に現れた。


「いこっか」


 どうやら用事は済んだみたいだ。右手には、よくわからない柄の傘を持っている。これがジャッカロープかと、思わず感心してしまう。

 すると、兎川先輩は僕を置いて、すたこらと歩いてしまった。それに追いつくように、僕も小走りで駆け出した。


「……あ」


 校舎の外に出ると、西日がまぶしかった。

 まるで血の色みたいな空だった。

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