氷上雹珂は、殺人事件に出会う
氷上雹珂 +0日(1)
はあ。
私は眼の前の状況を見て、思わずため息をついた。こんな惨状は散々見てきたけれど、それでも憂いてしまう。
「被害者は鶴来玲。翆玲高校二年生で、この部屋を使っている超常現象研究部に所属していたようです」
鑑識結果を、鑑識官が報告してくれる。それを、私と
超常現象研究部と呼ばれる部室の一室で、多くの警官がぎゅうぎゅうとひしめき合っている。壁際にもたれかかる女子高生の遺体を、大の大人が取り囲む姿は、ある種倒錯したものを感じてしまう。
倒錯というか、異常というか。女子高生が校内で誰かに殺されるというのは、私の経験上はじめての事だった。
私の隣に立つ過馬さんは鑑識の言葉に対し、「ふむふむ、なるほどね。死亡推定時刻は?」と聞き返した。
「司法解剖の結果待ちですが、おおまかにいうと昨日の夕方ごろとの事です」
「死因は分かるかい?」
「胸部に刺さったナイフによる出血多量でしょう。他には後頭部に打撃痕があります。打撃箇所からの出血量から、被害者はおそらく鈍器で頭を後ろから殴られ、その後ナイフにより殺害されたのだと思われます」
「とすると、計画的な犯行って事になる。勿論、自殺じゃない。……って事でいいかな?
鑑識と話していた過馬さんが振り向いて、私に話しかける。その口調に真剣味は無く、ともすればふざけているようにも聞こえる。殺人現場にも関わらず、だ。
年齢は三十代半ばだが、しかし見た目はもっと若々しくて、下手したら二十代前半にも見えるかもしれない。若々しいというよりは、見た目から年齢が想像できないというか。
若く見られる理由は、顔が整っているという理由が大きい。綺麗な瞳に、目鼻立ちが整った造形。さぞやモテる事だろう。もっとも見た目だけの話なら、だけど。
この過馬という男、若々しいのは見た目だけでなく、中身も残念ながら若々しいというか子供じみている所がある。仕事に対しあまり真面目ではなく、兎に角めんどくさがるし、部下に仕事を押し付ける事もしばしばだ。
つまり、見た目の加点を中身で打ち消している訳だ。
本当に、なんでこの人は警察を追われないのだろうか。確かに無能では無いし、むしろ有能な人間ではあるのだが、それにしたって私たちは公務員だろうに。
「――はあ」
私――氷上
「……過馬さん。殺害現場にまっすぐ来るくらい、小学生でもできると思うんですけど」
翆玲高校で死体が発見されたと聞き、私達は現場に向かった。しかし過馬さんは途中でふらっとどこかに行ってしまい、結果私一人で、先行した鑑識の人から話を聞いていたのだ。
現場に着く前に迷子になるなんて、警察としてあるまじき行為だ。なのにこの人は「いや、用事があったんだよ」と悪びれずに言う。
「本当ですか?」
「疑わないでよ。俺にだって、高校生の知り合いがいるさあ」
「適当な事を言わないでください。第一、知り合いがいるなんて聞いた事ありません。嘘ばっかり言わないでください」
「辛辣だねえ。俺のガラスの心が壊れちゃうよ」
「知ってましたか? ガラスって、不純物を入れているんですよ。石英にナトリウムとかカルシウムを混ぜているんです」
「つまり、僕の心には夢が詰まってるって事かい?」
「不純物が詰まっているって事ですよ。そのままです」
「はっは。細かい事は気にしない気にしない。『遅くてもやらないよりはまし』、だよ」
過馬さんは彼女――鶴来玲さんの死体に近づいて、傍に座った。私も過馬さんの後ろに立って、遺体の状況を確認する。
鶴来玲さんは、この『超常現象研究部』の部室で、眠るように死んでいる。
部室は細長い造りで、廊下に面した扉と、その反対側にある窓以外に、外部と繋がる場所はない。
そして彼女の遺体は、その窓のある壁にもたれかかるようにして座っていた。制服の、胸のあたりから腰まで真っ赤に染まっている。しかもそれだけじゃなく、床までも同じように真っ赤になっている。床の血痕は、乾いた後に誰かが踏んだような跡がある。きっと第一発見者が踏んだのだろう。
「――高校生が校内で殺されるだなんて、異常ですよ」
「人が殺されている以上、すべて異常だよ。正常であるはずもないだろ。それよりも、第一発見者は誰か分かるかい?」
「えっと、第一発見者は鶴来空、高校一年生です。おそらく、被害者の弟かと」
これも、さっき現場の人間から聞いた話だ。
それにしても、ひどい事件だと思う。高校二年生が学校で誰かに殺され、しかも弟さんがそれを目撃する。あまりにも可哀そうだ。
最も同情だけする訳にもいかないが。私は刑事であり、事件解決のためには被害者に話を聞かなくてはいけない。たとえ心に傷を負っていても。
「そう言えば、鈍器って聞いたけれど。それは一体なんだろうね」
「そこにある電気ポッドですよ」
私はドア付近の棚の上に置いてる、電気ポッドを指さす。事前に聞いていた情報だと、その電気ポッドの底部から微量の血痕が見つかったらしい。これから鑑識に回されて、細かな調査が行われるだろう。
「多分、犯人はドア近くに立っていたんでしょう。その場にあった電気ポッドを使って殴打し、気絶したところにナイフを突き立てて殺した、という事かと」
「その電気ポッドから指紋でも見つかれば話は早いんだけどねえ」
「そこまで犯人も愚かじゃないでしょう」
「ところで、ナイフの方は見つかったの?」
「いえ、それはまだ。切り口から、包丁では無いらしいですが」
「ふぅん。じゃあその凶器の出どころさえ分かれば、犯人も自ずと明らかになるって事だね」
過馬さんは立ち上がって、部室を見渡す。
「にしても、ここで殺人とはね」
「確かに、部室で犯行というのはかなり異常ですね。使う人間も限られてますから、容疑者も絞りやすいですし。突発的な犯行ならまだしも、今回の事件は計画的なものですし」
そう、この殺人はやや杜撰だ。
こんな場所で殺すというのもそうだし、それに遺体を隠そうともせず、自殺に見せかけるとかの隠蔽工作をしようともしていない。
第一印象としては、なんだかちぐはぐって感じだ。そして今までの経験から、自分の印象が間違った事は無い。と、思う。
私はぐるりと部屋を見渡す。
部屋の内装は一介の部室にしてはあまりにも豪華すぎて、自分の中の部室のイメージとすり合わせるのに大分苦労する。
そもそも部屋の中に電気ポッドがある時点でおかしいし、それにコーヒーメイカーとか豪華な装飾品とか、真新しい扉の鍵だとか、兎に角全体的にお金がかかっている。
一体どれだけの成果を上げられれば、こんな立派な部室を作れるだけのお金を、部費として貰えるのだろうか。『超常現象研究部』なんてふざけた名前の部活には到底不可能だと思うけど。
「使う人間が限られているとは、限らないんじゃない?」
「と、言いますと」
「犯行当時、部室に鍵がかかっていなければ、誰でも犯行は可能じゃない。案外、開けっ放しの窓から誰かが入ってきたのかも」
「一応、部室の窓には鍵がかかっておりまして。外から細工をするのは不可能です」
指をさしながら窓の方を見る。
窓は一般的な校舎のものだったけど、付随する鍵は随分とアップグレードしていた。一般家庭の窓だって、もうちょっと謙虚な鍵を付けるんじゃないかってくらいのレベルだ。
窓だけじゃない、ドアだってそうだ。
鍵のタイプこそ普通だけど、装飾がとにかく凝っている。取っ手には金色のライオンがあしらわれており、まるで宮殿や貴族の館みたいな豪華さだ。
こんな立派なのいるか?
「ドアの施錠に関しては、第一発見者の鶴来空君が何と言うかによりますが。ちなみに、鶴来玲さんのポケットから部室の鍵が発見されています。彼女のもので間違いないかと」
これも事前に聞いた情報である。
彼女のポケットに、某レジャーランドのマスコットキャラクターのストラップが付いた鍵が入っていたらしい。その鍵で部室の扉が施錠てきたので、部室の鍵である事が判明した。
「ふむふむ」
その話を聞くと、過馬さんは深く頷いて口を開いた。
「鍵が部屋の中にあるって事は、もし施錠されていたらこの部室は密室になるね。最も、施錠はされていないと思うけど」
「そうですか。私としては、施錠されていたと思いますけど」
「つまりそれって、『超研部』の部員に、犯人がいるって事かい?」
過馬さんの追求に、私を無言を貫く。つまりそれは、暗に肯定しているという事だ。
私は、『超研部』の部員に犯人がいると思っている。
高校生の殺人事件というショッキングな事件に心を痛めても、やっぱり私は刑事だ。現時点において最も怪しい人間を探す必要がある。
そしてそれは、部活動という狭いコミュニティに所属している人間だと思うのだ。
ただ私の意見は、「その可能性は低いと思うんだけどなあ」という過馬さんの一声でにべもなく否定される。私は思わずむっとしてしまう。
「何でですか」
「もし仮に、部員の中に犯人がいるとしたら、普通鍵なんてかけないよ。施錠してあるって事は、施錠できる人間が犯人になるんだから。
犯人が部員だとしたら、もっと他の場所で殺すか、もしくは施錠だけはしないでおくか。とにかく、部員以外には施錠が不可能で、部員には施錠する理由がない。だから、施錠は殆どあり得ない可能性だ」
「でも、施錠してないって事は、死体を放置するって事ですよね。人間心理的に、ありえないかと。普通、鍵はかけたくなりますよ。誰が入ってくるかわからないんですから」
「それでも、やっぱり施錠は有り得ないよ」
過馬さんとの話は平行線で、どっちも譲る気配はない。
とは言っても、空君に聞けば分かる話だ。ここで言い争ってしょうがない。現に過馬さんもそれを察し、「氷上ちゃんはさ」と突然そんな事を言い出す。
「やっぱり部員の中に犯人がいると思うかい?」
「……その可能性は高いと思いますが。この部室で殺された以上、部員の誰かが殺したんだと思います」
「個人的には、部員には犯人がいないと思うんだけどねえ。それこそ、施錠をしてあったとしても」
話を聞いていると、どうも過馬さんは『超研部』の部員をあまり疑いたくないみたいだ。むしろ、部員の中に犯人がいないと信じているようにも見える。
何でだろうか。過馬さんも、高校生が犯人だとは信じたくないのだろうか。そんな繊細な人間だとは思わなかった。
「とすると、校内の誰かなあ。部員以外で、かつ学校の敷地内にいても違和感の無い人間。となるとやっぱり、この翆玲高校の関係者って事になるけどねえ」
「何にしても、これからの捜査次第でしょう」
そう、部員が怪しいだの怪しくないだのと言った話は、情報の少ない現段階で出来る話でしかない。
これから部員達に話を聞いて、アリバイ等を確認する必要がある。
「じゃあ、まずは第一発見者に話を聞きますよ、過馬さん」
「……」
「え、なんで黙るんですか」
過馬さんは黙って私の前に立ち、両肩に手を置いて、如何にもな作り笑いを浮かべた。笑いというより、にやけるという表現の方が正しいようにも思える。
「えっと、この手はいったい……?」
「氷上ちゃん、俺のお願いを聞いてほしい」
「部下の肩を掴んでちゃん付けするようなセクハラ上司のいう事を、ですか」
「頼みというのはね」
「話を聞いてください」
そこで過馬さんは両手を離すと、今度はすり合わせるようにして頭を傾けた。俗に言う、『お願いっ』って感じのポーズだ。おっさんがしても可愛くない。
そして過馬さんは言った。
「俺の分まで、鶴来空君の話を聞いてくれないかな?」
私は内心でため息をつく。口には出さない。
言われるがまま、私は過馬さんの分まで事情聴取を行う事になった。
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