鶴来空は、自殺した少女を知る

鶴来空 -7日(1)



 樹村恋歌。一体彼女は何者だろうか。退部した彼女の事を、僕はあまりにも知らない。


「――いやまあ、知ってる方がおかしいんだけど」


 誰もいない『超研部』の部室で、僕は独り言を呟く。普通の部活なら大なり小なり活動をしているはずだけど、この『超研部』だけは別だ。碌に活動しなくても、部費は下りてくる。

 『超研部』は兎川先輩が去年無理に作った部活らしく、生徒会長権限のおかげで治外法権というか、部活としての体は必要とされていない。

 なので成果を出す必要もないし、日常的に活動する必要もない。部室には私物置き放題の無法地帯なのである。


 だたそんな自由気ままな部活動は、生徒会長の兎川先輩のおかげだけ、という訳ではない。姉さんや皆月先輩、あるいは西園寺先輩の、政治的な圧力のおかげである。彼女たちの存在感は、学校を動かすだけの力がある。何にしても、彼女たちの影響力は大きい。

 そして勿論、僕のおかげではない。僕のような傍観者には学校を動かす力は無い。


 兎に角その日の部活はほとんど活動をしておらず、図書委員の仕事もない僕は暇を持て余していた。机に突っ伏して、右手に持った写真をずっと眺めている。


「樹村恋歌先輩、か……」


 同じ図書委員であり、クラスメイトでもある南沢みなみさわ魅々みみに協力を要請して、樹村恋歌という先輩の事を調べてもらった。

 同じ図書委員である彼女には友達や知り合いが多く、その情報収集能力はかなり高いと僕は決めつけている。きっと明日にはある程度の情報を持ってきてくれるだろうし、あるいは本人を連れてきてくれるかもしれない。そこまでの期待を僕は寄せている。

 もっとも、僕が彼女の事を想い出せればそれで苦労はないんだろうけど。


「……だめだ」


 僕は両手をだらんとぶら下げて、全身の力を抜く。さっきから頑張って思い出そうとしているのに、樹村先輩の姿は、記憶の表側には一向に現れない。

 そもそも僕は、彼女に会っているのか? 接点はどこだ?

 一番在り得るのは、姉さんの紹介だろうか。当時僕は中学生な訳だし、その時から知っているこの学校の先輩なんて一人もいない。勿論姉さんを除いて、だけど。

 つまり姉さんの友達という関係性で、僕は彼女――樹村恋歌先輩に会っているはずだ。

 一体去年のいつだ? いや去年と限らないのだけど。でもここ一年くらいの間に、僕は樹村先輩に出会っている事になる。

 

「……はあ」


 結局いくら考えたところで、思い出せない物は思い出せない。つまり、いくら考えても無駄って事になる。こうなったら、南沢が何か情報を掴んでくれるのを期待するしかない。

 ゆったりとした、穏やかな時間が部室を支配する。

 と思いきや、


「……こんにちは」

「うわっ!」


 突然後ろから声をかけられる。振り返るとそこには皆月先輩が立っていた。きょとんとした顔をして、小首を傾げている。

 皆月先輩は、口数こそ多くないものの、基本的には感情表現豊かな人だ。実際僕も皆月先輩の言葉じゃなく表情から察する事も多いし、兎川先輩に至っては表情だけで言いたい事が分かるとかなんとか。本当かよ。

 だから皆月先輩が、僕の大声に対し戸惑っている事は分かった。僕は動揺して、なんて返そうかと逡巡している。すると皆月先輩は、僕が持っている写真を目ざとく見つけ、


「……これは、なに?」


 と聞いて来た。


「あ、えっとこれは……」


 さて、どうしたものか。

 この写真の事を、皆月先輩に相談しようか、しまいか。それが問題だ。

 皆月先輩なら樹村先輩の事を知っているのは間違いないし、姉さんが答えてくれなかった事にもすんなり答えてくれるかもしれない。

 ただ退部した人の事だ、話に出したところで、多少なりとも気まずくなるのは避けられない。この二人しか居ない空間で――しかも寡黙な皆月先輩と気まずくなるのは、出来る事なら回避したい。

 僕が内心悩んでいると、皆月先輩は勝手な勘違いを始めた。 


「……隠すって事は、やましいって事?」

「いやいや、なんでそうなるんですか」


 どんだけ単純な決めつけだよ。僕の困惑を更に無視して皆月先輩は話を続ける。


「……男子高校生が隠すものって言えば……。いやらしいものだって雨鷺が言ってた」

「ちくしょう兎川先輩の差し金か!」

「……あと玲も言ってた」

「姉さんもか!」


 あの二人、変な所で気が合うな、ちくしょう。

 皆月先輩は僕の写真が気になるのか、しきりに身体を揺らして僕の手元を覗き見ようとする。その度に僕も写真を隠して、結果二人で遊んでいるような構図になる。なんだこれ、いちゃついているみたいだ。


「……別に隠さなくてもいいのに」

「いやもし仮にいやらしい何かだったとしたら、興味津々なのおかしいでしょ。もっと恥じらうとかしてくださいよ」

「……空が何に興味があるのか、それに興味がある」

「だったら普段からもっと興味を持ってくださいよ!」


 普段あんなに、僕に興味なさそうな癖して!

 今の皆月先輩は普段とうって変わり、とても興味深そうに写真を見ようとする。

 

「そもそもこれ、いやらしいものとかじゃないですから! 普通の写真ですから!」

「……だったらなんで隠すの?」

「いや、その何というか、説明しにくいというか……」

「……やっぱり」

「何がやっぱりなんですか!」

「……大丈夫、私は受け入れるから」

「何を受け入れてくれるんですか!?」


 しばらく見せたり見せなかったりの攻防戦を繰り広げていたけれど。そのうち二人とも疲れて呼吸が荒くなってくる。皆月先輩も勉強ばかりで運動はしないだろうけど、僕はそれ以上に運動しない。

 これ以上隠すのは限界だ。僕は写真を皆月先輩に見せる事にした。


「先輩、見て下さい。僕が見ていたのはこれです」

「……これって」


 写真を受け取った皆月先輩の顔が曇る。寡黙な皆月先輩はその代わりに、内心の動揺や驚きがそのまま表情として現れやすい。

 けれどそんな表情を、皆月先輩が浮かべるのは珍しい事だった。感情が顔に出やすいが、感情がそもそも薄い。

 皆月先輩にそんな表情を出させるなんて、一体樹村先輩は何者なんだ? 

 僕は、昨日の姉さんの動揺を思い出す。二人にとって、あるいは『超研部』にとって、樹村先輩は、ただ部活を辞めた人じゃないのか?


「……これをどこで?」

「昨日、この部室で、ですよ。部屋の整理をしていた時に見つけました」

「……そう」


 皆月先輩は写真を持ったまま僕と反対側の椅子に座る。思いつめたような、でも懐かい昔を思い出しているような、そんな複雑そうな表情を浮かべる。


「皆月先輩。この写真に写っている樹村先輩って一体誰なんですか?」

「……」

「僕も知っている人なんですか?」

「……空が知っているかどうか、それは私も知らない」


 そこで皆月先輩は話し始める。去年の、樹村先輩がこの『超研部』に居た頃の話を。


「……恋歌は私たちと同じ中学校だった。……部活を作る時、雨鷺が最初に声をかけたのが私と恋歌だった」

「じゃあ最初は西園寺先輩と姉さんは部活に居なかったんですか」

「……いや。……二人が『超研部』に入ったのは。……その直後の話」


 樹村先輩がかつての部員だったのは知っていたけど、しかし樹村先輩が一番初期のメンバーだとは思っていなかったし、ましてや兎川先輩や皆月先輩と仲が良かったというのも驚きだった。

 その情報を知って僕は、皆月先輩に樹村先輩の事を聞いたのは間違いだったのではないかと後悔した。

 皆月先輩と樹村先輩は仲が良かった。なのに、不躾にも樹村先輩の事を聞いてしまった。彼女によって樹村先輩の事は、姉さん以上に触れてほしくなかっただろうに。

 ……まあだからと言って、エロい物を持っているって勘違いされたままは許容できないけど。


「……写真はその時撮った。……顧問の東上先生に撮ってもらった」

「『超研部』に顧問っていたんですか」

「……形式上だけ。……立ち上げた時から来てない」


 初耳だった。そっかうちの部活、顧問いたんだ。そりゃいるか、部活だもんな。

 

「……皆月先輩。それで、樹村先輩は一体、今何をしているんですか。姉さんは退部したって言ってましたけど、本当なんですか」

「……」


 皆月先輩は写真を見ていた顔を上げ、けれど僕の方は見ずに窓の外へと視線を向けた。その表情は、さっきまでの複雑そうな表情と違い、一言で表せる程に単純な表情だった。

 悲しいだけの、表情だった。

 一体皆月先輩は何を見ているんだろうか。視線に合わせるように、僕も窓の外を見た。そこから見えるのは、敷地内にあるだった。

 

「……恋歌はもう居ない」


 ぽつりと、皆月先輩はそう漏らした。それは退部した人間に対して言うにはあまりにも重い言葉だった。

 まるで永遠に別離したような、そんな――。


「……それってどういう意味ですか」

「……


 普段の落ちついた喋り方で、けれどどこかすっぱりと断ち切るような鋭さで、皆月先輩はそう言った。

 死んだ? 樹村先輩が?

 僕は動揺して何も喋れなくなる。皆月先輩の方をじっと見て、しかし皆月先輩は外の時計塔から目を離さない。

 時計塔に一体何があるのだろうか。

 そして皆月先輩は僕の方を見ずに続けた。




「……恋歌は、去年死んだ」




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