鶴来空は、ある少女の謎を追う

鶴来空 -8日(1)




 はあ。

 僕は眼の前の状況を見て、思わずため息をついた。こんな喧嘩は散々見てきたけれど、それでも呆れてしまう。


「来年の屋台は、絶対UFO焼きが良いって!」

「却下。私たちだって来年は受験生なんだから、そんな事に時間使ってどうするのよ。大体UFO焼きって何?」

「大判焼きに羽根が付いてて、フリスビーみたいに飛んでくんだー。どひゃーって」

「重ねて却下」

「なんでさー!!」


 七月上旬。翆玲すいれい高校のとある部室で、女二人の姦しい会話が繰り広げられている。

 ここは『超常現象研究部』、略して『超研部』の部室である。

 一般的な、机を一脚でも置けばスペースの大半を占めるような、小さな部屋。決して広くはないその部室に、棚やら怪しいオブジェやら生活雑貨やら観葉植物やらがぎゅうぎゅう詰めに押し込まれている。しかも机と椅子、加えて人間を五人も詰め込んでいるのだから、暑苦しい事この上ない。少し体を動かせば、肩と肩がぶつかるような狭さだ。

 最も、僕以外のメンバーは女の子なので、客観的に見ればむしろ羨ましいのかもしれない。実際、暑苦しいはずのこの部屋には香水の良い匂いが充満し、むしろ心地良いくらいだ。

 友達に言えば自慢できるかもしれない。ほとんどいないけど、友達。


「だいたい玲は、そうやって人の意見をいっつも否定するけどさー。じゃあ逆にどんな案があるのー?」

「無難に展示なんてどう?」

「それじゃあつまんないって。せっかくなんだから、もっとばぐしゃーって派手にやろうよー」

「ばぐしゃーが何の事かは分からないけど。あなただって生徒会長の仕事があるでしょ」

「それはそれ、これはこれ」


 兎川先輩はホワイトボードの前で力説し、それに反し姉さんは呆れた顔でため息を吐く。

 たった今、喧々諤々の姦しく五月蠅い言い争いをしているのが、僕の姉である鶴来れいと、部長である兎川うかわ雨鷺うさぎ先輩である。


 子供っぽく駄々をこねる兎川先輩だけど、それはこの部室の中だけの話。一歩部屋を出たら、頼れる生徒会長として生徒から頼りにされている。いや、生徒だけでは無く、先生からも頼られている。

 それだけ兎川先輩はカリスマに溢れているのだ。

 何せ文武両道な上にハーフだからスタイルも見た目もいい。日本人離れした顔立ちは歩いているだけで人の目を引くし、気さくで明るい性格は人を引き付けてやまない。一年生の時から生徒会長に任命されているのも当然と言える。

 生徒会長であり誰からも好かれる彼女は、まさに学校の『権力』を握っているのである。


「玲は固いなー、そんなキャラじゃないじゃん。もっとめぐって感じで人をなぎ倒す感じじゃん」

「私の格闘技は文化祭と関係ないでしょうが」


 兎川先輩に対するは我が姉、鶴来玲。彼女は兎川先輩とは真逆の存在である。

 幼い頃からアウトドアや体を動かすのが好きで、加えて格闘技を習っていた姉は、とにかく腕っぷしが強い。今でこそ大人しく猫を被っているものの、中学の時は不良どもを徹底的にボコボコにして、学校中どころか地域中から恐れられていた。

 弟の僕はとても肩身が狭かったのを覚えている。

 その話は高校でも噂になり、結果として姉に手を出そうなんて不良はこの学校にはいない。兎川先輩が生徒会長として表から学校を支配してるなら、姉は『暴力』で裏から支配する、そんな超危険人物なのである。

 いや危険人物というよりは怪物とか魔王とかそんな呼称が――。


「――!!」


 急に訪れた脛の痛みに思わず悶絶する。反動のように頭が思いっきり真下に落ちて、机と一緒に鈍い音を奏でる。


「だ、大丈夫ですか!?」

「あら、どうしたの? 座りながら転んだの?」


 心配した表情を浮かべながら、西園寺さいおんじ先輩は身を乗り出して僕の事を案じてくれる。一方、僕の脛を蹴った犯人――つまり姉さんは、素知らぬ顔で白々しくも心配するフリをした。


「だ、大丈夫です、先輩。持病のしゃくが脛に来ただけで……」

「そ、空君は一体何の病気に罹っているのですか?」


 なお心配してくれる西園寺先輩に応対しつつ、僕は姉さんの方を見る。当然恨めし気な表情で。

 お前がやったのかと、恨めし気な表情で。

 しかし僕の無言の抗議などは意にも介さない様子で、姉さんは小声で言う。


「私の悪口を思い浮かべてたでしょ」


 エスパーなのかこの人は。

 というか、思い浮かべるだけで刑罰執行アウトかよ。

 抗議の言葉が頭の中にめまぐるしく思い浮かぶが、しかし思い浮かべているだけでもいつ蹴りが飛んでくるのか分からない。僕は黙秘する事にした。

 姉さんも自分のやった事を誤魔化すように、議論の続きを促す。


「それで結局、来年の文化祭は展示だけって事でいいのね?」

「へ、いや、まだ話は終わってないって、玲」

「じゃあ多数決でも取りましょうか。ねえ、舞花まいかはどっちがいい?」

「私ですか!?」


 急に話を振られて、西園寺先輩はあたふたと動揺する。

 西園寺舞花先輩は、我が弱く自分の意思を全面に押し出さないので、こういう議論の場で発言することはほとんどない。なので今回も、「わ、私は別にどっちでもいいのですが……」と流れに任せるように言った。

 結果、「じゃあ私の意見に賛成って事ね」と、自分勝手な姉さんに押し切られる形になってしまう。


 西園寺先輩の実家は資産家で、ゆえに西園寺先輩はお嬢様という事になる。実際この部室に置いてある、高そうな調度品とか生活雑貨とか生活必需品とか、挙句の果てにはドアや窓の鍵まで、全て西園寺先輩が買ってきたものである。

 お金持ちな筈だけど、それで威張ったり自慢したりという事は無く、謙虚で人の事を立てる、俗に言ういい人だ。そこもまた本物のお嬢様らしいというかなんというか。決して『財力』だけが西園寺先輩の魅力という訳じゃない、という訳だ。

 だからこそ僕はお節介ながらも不安になっているのだけど。


「これで二対一ね、雨鷺」


 味方を手に入れた姉さんは、したり顔で兎川先輩に向き合う。


「むー、じゃあようはどうなの?」


 味方を増やそうと、兎川先輩は皆月みなづき先輩に話を振る。しかし皆月先輩は手元の参考書を解くのに夢中なのか、こちらの話を完全にスルーしている。


「ねえ曜? 聞いてる?」

「……ごめん、聞いてなかった」

「来年の文化祭の出し物、UFO焼きなんてどう?」

「……それでいい」


 僕達の事を他人とでも思っているんじゃないか。それくらい素っ気ない返事をして、皆月先輩は机に戻る。

 小動物のように小さい体躯をしている皆月先輩だけど。しかしその中身は、知識という意味においては膨大だ。学年トップの成績を誇る皆月先輩は、わが校のみならず全国模試でもトップクラスの成績を誇る。

 その分という訳でもないが、性格は寡黙で口数もかなり少ないし人見知りもする。それはある意味で、彼女が天才である証明なのだ。兎に角、そんな天才的な『学力』を誇るのが皆月先輩なのである。


「じゃあ曜が賛成してくれたから、これで二対二だねー。玲、これはすっぽりと諦めてUFO焼きを焼くしかないんじゃない?」

「そうね、あとはあとはもう一人が何て言うかだけど。ねえ空?」

「えっと……」


 三人(皆月先輩を除いて)が一斉に僕の方を見る。

 部員は五人。そして今、文化祭の出し物投票は二対二で割れている。つまり僕の意見によって来年の文化祭の出し物が決定してしまう訳だけど。


「……」


 僕は短くため息をついてから切り出した。


「そもそも、こんな時期にする話ですか? 来年って、半年以上先の話じゃないですか。今する話はもっと別の話でしょう。というか、来年この部活って存在してるんですか? 普段、ろくに活動してないじゃないですか」

「それじゃあ、空は展示派って事で」

「おい」


 僕の陳情はあっさり無視され、しかも何も言っていないのに姉さんに賛同した事になってしまった。

 くそう、これが姉の権力か。


「さて雨鷺。これで来年の出し物は展示にする事が決まった訳だけど」

「ずるいよー、そんなの。空君、何も言ってないじゃん」

「弟の意見は私の物。弟の全ては私の物」


 ジャイアンもびっくりだ。どうやら、僕に人権は無いようだ。

 兎川先輩は納得しておらず、頬を膨らませて恨めし気に姉さんの方を見ていた。しかしすぐに表情をやわらかくさせた。


「ま、来年の話をしてもしょうがないしねー。じゃあ次は、もっと身近な話をしようか」

「身近な話というのはなんでしょうか」

「そんなの決まってるじゃん!」


 大きく叫ぶと、兎川先輩はホワイトボードに大きくこんな文字を書いた。


『UFO降臨の儀』


「じゃあ早速明日にでも、UFO降臨の儀を執り行いたいと思うんだけど」

「却下」

「なんでよ!」


 兎川先輩のUFO(というかオカルト)好きには付き合っていられないとばかりに、姉さんはその案を却下する。


「いいじゃんちょっとくらいー! 人数が多い方がUFO呼び出せるんだってー! みしゃって現れるUFOが見れるかもしれないんだよー?」

「みしゃって現れるUFOに興味ないわ。それに人数が欲しいんだったら、生徒会の人間を呼べばいいじゃない」

「何のための『超研部』なのさ!!」

「ま、まあまあ二人とも落ち着いて……」

「「舞花はちょっと黙ってて!!」」

「ひ、ひどい……!」


 こうしていつもの光景が僕の目の前で繰り広げられる。

 姉さんと兎川先輩が喧嘩して、西園寺先輩がオロオロしながら仲裁して、皆月先輩は我関せずで勉強をしている。

 そしてそれをただ眺める、傍観者の僕。

 これが日常。これが『超研部』。

 こんな日々がいつまでも続いたら、きっと面白いんだろうなと、月並みな事を考えた。




 こんな日常はこれが最後なのだという事を、僕はまだ知らない。



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