鶴来空 +14日(6)
「あなたは、兎川先輩の血縁者ですよね。だからあなたは、兎川先輩の罪を黙っているんだ」
僕がそれを言った瞬間、過馬さんから表情が消えた。
さっきまでの軽薄な笑みは消え、眼を見開いて驚愕している。大きくて綺麗な青い瞳が、露わになる。
髪は流石に黒く染めているけれど、日本人離れした顔立ちと綺麗な瞳は隠しきれていない。こうして見ると、本当に兎川先輩にそっくりだと思う。
「……この瞳は、母親の遺伝なんだよねえ。雨鷺ちゃんと俺の母親は姉妹でね。二人とも日本人に嫁いだんだ、おかしいだろう?」
過馬さんはため息を一つ吐くとそう言った。顔には笑顔が戻っているけれど、さっきまでのとは違うように感じた。
力なく、乾いた笑いを浮かべていて、まるで泣きそうだった。
「……兎川先輩とは、親戚だったんですか」
「……雨鷺ちゃんにとって俺は、いざって時に口利きができる知り合いのお兄さんって感じだったよ。樹村さんの事件の時も、俺経由で色々と聞き出そうとしていた。その時はあんまり事件について教えられなかったけどさあ」
「でも今になってほとぼりが冷めると、樹村さんの事件について教える事ができた、と」
「機密漏洩は重大な違反行為だけど、雨鷺ちゃんの頼みは断れなかった。彼女は事件の当事者でもあった訳だしさあ。今思えば、そんなもの渡さなければよかった」
樹村先輩の遺体を写した写真。いくら警察にコネがあったからと言って、あんなのを女子高生が入手できるのは不自然だ。ただ、警察官と家族みたいな繋がりがあるんだったら、話は別だろう。
「俺が殺したんだ」
過馬さんは下を向いて、小さな声でそう漏らした。机の上で、両手を固く握りしめている。
「俺があんな物を渡したから、雨鷺ちゃんは余計な事に首を突っ込んでしまった。余計な事を知ってしまった。余計な事をしてしまった」
「……」
「君だって、雨鷺ちゃんの持っていた写真があったからこそ、お姉さんの真実にたどり着いた。だから、雨鷺ちゃんを殺したのは、俺の所為かもしれない」
過馬さんは、机を力なく叩いた。それは、無力感の表れだろう。兎川先輩を助ける事も出来ず、むざむざと殺してしまった事への後悔。
「正直、後悔しているんだよねえ。俺は」
「……それは、兎川先輩を庇った事も、ですか」
「そうじゃない。俺が後悔しているのは、彼女が殺されるのを助けてあげられなかった事だよ。西園寺さんの凶行を止められる事が出来なかった、そんな後悔だ」
「……」
「実はね、雨鷺ちゃんは俺に相談をしていたんだよ。雨鷺ちゃんが鶴来さんを殺した、次の日だったかな」
「人を殺した事についてですか」
「雨鷺ちゃんが、電話で相談してきたんだ。俺は、雨鷺ちゃんが犯人にならないようにしたかった」
過馬さんは椅子の背もたれに体を預けて、天井を見上げる。その体勢のまま、目を閉じた。
「俺はね、『超研部』に疑いが向かないようにしたかったんだ。事件を長引かせて、有耶無耶にしたかった。西園寺家が、隠してくれるかもしれないと思ったしね。現に樹村さんが死んだときは、西園寺家の介入が入った」
「西園寺先輩は、樹村先輩の死の真相を隠したかったって事ですか」
「きっとそうなんだろう」
だとしたらそれは、『超研部』だから庇ったんじゃない。きっと、姉さんが樹村先輩を殺したから、事件を隠したかったんだ。
西園寺先輩は、姉さんのやった事を知っていたのかもしれない。僕が教える、ずっと前から。
「今更だけどね、結局俺は失敗したんだから」
「西園寺先輩、ですね」
「彼女が人を殺すなんてね。思いもしなかったよ。まさか君が――共犯者が自分の犯行を伝えているとは思わなかったけど」
「でも、あなたはそれを利用したんだ。西園寺先輩の犯行を、チャンスに変えた」
過馬さんは肩をピクリと動かして、天井に向けた視線を僕の方に戻した。そして僕と過馬さんは、再び向かい合う。お互いの罪を、攻め合う。
「あなたは皆月先輩に、罪を被ってもらったんだ」
皆月先輩が死んだという事は、彼女の口は塞がれたという事だ。つまりそれは、彼女に罪を被せる事ができるという訳だ。
姉さんの死を、皆月先輩の所為にできる。
「……最悪ですよ。死者に対する冒涜だ」
「死んだ以上、罪には問われない。だったら生きている人間の罪を軽くする方がいいだろ」
「何でですか。なんであなたはそんな事をしたんですか」
そう、僕はそれが納得できていなかった。
皆月先輩に罪を被せても、結局兎川先輩は共犯者になってしまう。それでは、犯罪者という事に変わりないではないか。
「結局、兎川先輩は犯罪者だ。それに、ばれた時のリスクだって大きい。なのになんで」
「――殺人の実行犯と、犯人をかばった人間じゃあ罪の大きさが違うんだよ」
過馬さんは、眉を顰める。僕の無知を、窘めるように。
「『共犯』と言っても、罪が一緒な訳じゃないんだよねえ。雨鷺ちゃんは、皆月さんの犯行をかばっただけだ。裁判でそれを言ったのなら偽証罪だけど、取り調べ段階だったら記憶のねつ造でいくらでもごまかせる」
「……でも、罪は罪だ」
「少なくとも、共同正犯という一緒の罪を被る犯人にはならない。あるいは殺人幇助を行った従犯という可能性もあるけれど、いずれにしても殺人よりは罪が軽い」
あの時は、それがベストだと思った。
過馬さんは、力強く断言した。そこに後悔は感じさせない。
「最初は、なんで皆月さんが殺されたのかと思ったよ。でも俺は、雨鷺ちゃんが樹村さんの仇討ちのために犯行に及んだ事を知っていたから、誰かが手当たりしだいに仇討ちをしようとしているんじゃないかって気づいた。だから多少の罪を負う可能性があったとしても、事件の幕引きをした方がいいんじゃないかと思ったんだよねえ」
「それを、兎川先輩は受け入れたんですか」
「……受け入れなかったよ。電話で説得しても、受け入れてはくれなかった。言うなれば自首するようなものだから、すんなり『はい』とは言えなかったんだろうねえ」
「メモアプリに残っていた犯行の流れは、あなたの書いた筋書きだったんですか」
「ああ、スマホにメモしてもらってね。結果として、予期せぬ証拠になってしまったけれどねえ」
過馬さんがそう言って、沈黙が僕達を包んだ。きっとこれ以上語る事はないという事だろう。僕にとっても、過馬さんにとっても。
「あ、紅茶のお替りでも淹れましょうか」
過馬さんのティーカップには、もう紅茶が入っていなかった。
「じゃあ頼むよ」
と過馬さんが言ったので、僕は彼のティーカップを回収して、新たに紅茶を淹れなおした。
「……君は、人の顔色を窺いすぎているように思えるよ」
僕の背中から、過馬さんが話しかけてきた。続けて過馬さんは言う。
「だからこそ君は、お姉さんの暴力に耐えていたのかもしれないけどさあ」
「……弱かっただけですよ」
弱かったから、何も言えなかったから。僕はただ耐える事を選んだ。それだけだ。
「それは弱いとは言えないよ」
過馬さんは優し気な口調で、慰めの言葉をかけてくれる。
「強い、ってのとは違うと思うけどねえ」
「強いとは、口が裂けても言えませんよ」
『暴力』の象徴みたいな人が、身内にいた身としては。
「どうぞ」
「どうも」
そんな短い言葉を交わして。僕は過馬さんに紅茶を提供する。一口だけ飲んで、ティーカップを置き。過馬さんはゆっくり話し始めた。
「……雨鷺ちゃんが小さい頃は、俺がよく世話を焼いていたんだ。母親同士が仲違いをして以来会う事はめっきり少なくなっていたけど、樹村さんの事件でたまたま再会して、そこから再び親交を深めてね」
「……」
「だから電話がかかってきて、殺人の事を告白された時は、その真実を隠す事を誓った。なんとしてでも、誰を犠牲にしてでもさあ。でも、雨鷺ちゃんは死んでしまった。俺の所為で」
「……」
「俺は雨鷺ちゃんの事をどう思っていたのだろうか。それは今でも分からない。家族愛だったのか、あるいは一人の女性として愛していたのか」
もう一度紅茶を飲んで、過馬さんは呟く。
「でもどちらでもいい事だ。今となっては、どっちでも」
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