鶴来空 +14日(7)



「でもどちらでもいい事だ。今となっては、どっちでも」


 どっちでもいい。何せ、兎川先輩はもういないのだから。

 死んだ皆月先輩が、たとえ冤罪を被せらせたとしても何も文句が言えないように。死んだ人間の気持ちを考えたり、あるいは死んだ人間に何を想おうと、何も変わりはしない。

 死んだという事は、もういないという事なのだから。


「……僕はずっと、自分の事を脇役だと思ってました。人生の主役にはなれない、傍観者だと」


 気が付けば、僕はそう切り出していた。今までずっとため込んでいた感情が、爆発するみたいに。

 なんでこんな事を言い出したのか、後から考えても分からなかった。強いて挙げるなら、きっとそれは懺悔のようなものだろう。


「透明な存在なんだって、思ってたんです」

「……」

「でも、僕の行動の結果、姉さんは死んだ」


 僕の力で。僕の所為で。僕が動いたから。

 姉さんは死んだ。死んでくれた。

 殺す事が出来た。


「だから、なんていうか。僕は、決して傍観者じゃないんだって、そう思えたんです」

「……」

「でも、なんでですかね」


 あんなにも、死んでほしいと思っていたのに。

 どうして。


「どうして、こんなにも悲しいんですかね」


 この一週間余り。僕は、そんな事をずっと考えていた。

 主を失った姉さんの部屋で。時計塔のすぐそばで。『超研部』の部室で。

 死んでしまった皆の事を考えていた。

 樹村先輩、兎川先輩、皆月先輩、そして姉さん。あるいは西園寺先輩もそうだ。

 決して透明ではない、彼女たちの事を。


「……知ってるかい? ガラスってのは、不純物を入れているから、あんなにも綺麗らしいよ」


 僕の話を黙って聞いていた過馬さんは、突然そんな事を言い出した。


「あんなにも透明なのに、余計な物が入っているらしい。その余計な物がガラス――石英と化学反応をして、良く目にするガラスに変わるらしい」

「はあ。あの、それが?」

「つまりさ。例え君が透明だったとしても、純粋って訳じゃないって事だよ」


 過馬さんは、冷めた紅茶をグイっと飲み干した。


「……俺はさ。傍観者ってのは、すごくずるい立ち位置だと思うんだよ」


 そして冷たい口調で話し始める。

 

「何らかの課題――あるいは物語とでもいうべきかな。それに対して、外側から見てるだけってのは、つまり責任を取らなくていいって事だからね」

「責任、ですか」

「お姉さんの事を誰にも言わなかったのは、それによるお姉さんの不利益を自分の所為にしたくなかったからだ。あるいは、報復で自分が傷つく事に対し、自分の所為だと思いたくなかったからだ」


 責任。

 思えば僕は、責任からいっつも逃げていたんだ。『超研部』の、文化祭の出し物を決める時だってそうだ。二対二で、あとは僕がどこに投票するかで決まるって時に、僕は票を投じなかった。多数決の結果を決める役から逃げていたんだ。

 僕は、責任を取りたくなかったんだ。


「君は、透明じゃない」


 過馬さんは、強めの口調で。僕を睨んで。そう断言した。

 それは慰めじゃなく、むしろ僕の罪を裁くようだった。


「君の所為で、多くの人が亡くなったんだ」

「……そんなの、僕の所為じゃないですよ」


 そうだ、僕の所為じゃない。

 姉さんが樹村先輩を殺したのは、姉さんの執着が異常だったからだ。

 兎川先輩が姉さんを殺したのは、人殺しの姉さんが悪かったからだ。

 西園寺先輩が皆月先輩を殺したのは、姉さんの復讐のためだからだ。

 西園寺先輩が兎川先輩を殺したのは、兎川先輩が人を殺したからだ。


「――人を殺したのは、殺す方が悪いでしょう」

「確かに彼女たちが悪い事は間違いないよ。人を殺すのは、いけない事だ。でもさ、やっぱり原因は君にあるんだよ。あるいは、俺にあるんだ。『自分で用意したベッドには、自分が横になるべき』なんだからさあ。責任をとって、自分で始末をつけるんだ」


 『自分で用意したベッドには、自分が横になるべき』。

 その言葉は知らなかったけど、きっと『身から出たさび』とか、『自業自得』とか、そんな意味だろう。

 ベッドの上で僕を殴った姉さんは、その責任を果たすかのように殺された。それは迂遠な道のりを経由してだったけど、確かに自業自得と呼べるものだった。

 きっと僕も、姉さんや他の皆を殺した責任をどこかでとる必要がある。


「俺たちは、責任を取らなくてはいけない。それが償いってもんだろう」


 償い。

 僕は、向き合わなくてはいけないのか。姉さんたちの死を。


「――じゃあ僕は、どうすればいいんですか。どうすれば、罪を償う事ができるんですか」

「……君はまだ、子供だから。罪を償うとは言っても、それは非常に難しい」


 うなだれる僕に、過馬さんは優しく語り掛ける。


「君のやった事は、誰かの秘密を他の誰かに伝えた、それくらいなものだしねえ。いくら君の軽率で迂闊な発言が、誰かを殺す事になったとしても、それを司法が裁くのは難しい。強いて挙げるなら殺人教唆かもしれないけど、あれは殺人を指示したり洗脳した場合の罪だ。君の場合だと、あくまでも殺人をしたのは鶴来さんであり雨鷺ちゃんなのだから、殺人教唆は難しいねえ」

「……」

「あとは、証拠隠滅罪や、犯人隠避罪とかかねえ。凶器のナイフを隠した事、雨鷺ちゃんの罪を隠した事。これらは立派な犯罪だ」

「……その罪で、僕を逮捕するんですか」

「とは言っても、未成年だしねえ。しかも知り合いを庇ったんだから、情状酌量の余地がある。そうだね、保護観察処分って所だろう。けどそれは、俺が君の罪を暴いた時の話だ」

「――え?」


 驚いて顔を上げると、過馬さんの冷たい表情が目に入る。

 過馬さんは、僕の罪を黙るつもりなのか? じゃあどうして、そんな冷たい表情を浮かべているいるんだ?


「俺は、君の罪を黙る気だよ」

「……僕の事を、許すって事ですか」

「まさか。これが君への罰だ」


 過馬さんはそう言うと、立ち上がって僕を見下ろす。百九十センチはある過馬さんに見下ろされると、あまりにも威圧感が大きすぎる。


「君は誰にも裁かれない。だから君自身が、自分を裁くんだ」

「……」

「一生背負うんだよ。そのつらさを、悲しさを。自分の姉を殺した十字架をねえ。『遅くてもやらないよりはまし』だ。君は今ここから、自分の人生を生きるんだよ」


 それ以上は何も言わず、過馬さんは扉に手をかけた。


「――あの!」


 部室を去ろうとする過馬さんの背中に、僕は声をかける。過馬さんは肩を震わして、動きを止めた。


「過馬さんは、どう償うんですか。あなたは、あなたの罪に、どう向き合うんですか」

「……俺はもう、立派な大人だからねえ。大人には大人の、責任の取り方ってもんがある」


 過馬さんは振り返る。くしゃりとした、どこか寂し気な笑顔で。


「氷上ちゃんっているだろ。君に事情聴取をした刑事さん」

「ああ、あの女の人ですか」


 この間会った、氷上さんの顔を思い出す。綺麗な人だった。そして何より、責任感の強そうな人だと思った。


「氷上ちゃんは、俺が雨鷺ちゃんを庇っていた事を、絶対に気づく。たとえ今じゃなくても、いつかね。彼女は優秀だから」

「……氷上さんに断罪されるのを、待っているってことですか」

「まあね。それに俺は言ったからさ」


 扉が開けられる。もう別れの時という事だろう。


「氷上ちゃんに捕まるなら本望だってさ」

「……」

「それじゃあ、俺はそろそろ行くよ」


 過馬さんは部室を出て、扉を閉めようとする。その直前、過馬さんは思いついたかのように言った。


「あ、そうだ空君。最後に一つだけ」

「なんですか」

「自分の事を透明だなんて言うのは、もうやめた方がいい。君は決して、透明人間なんかじゃないんだから」


 透明人間。

 その言葉が、どうしようもない程に、僕の心に残る。


「君の手は、もう血の色で染まっているんだからさ」




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