鶴来空 +14日(5)



「僕は、姉さんが憎かったんですよ」


 姉さんは、暴力的な人だった。喧嘩は昔から強いし、すぐに手が出る人間だった。でも姉さんは綺麗で、人気者だったから。暴力的だの言われても、周囲からは肯定的に見られていたんだ。暴力と言っても軽いものだと、ちょっと叩くとか、そんな程度だと思われていただろう。

 でも違う。


「うちは親が両方とも不在がちでしたからね。僕はサンドバッグ代わりに、よく殴られていましたよ」


 寝る前に、姉さんは僕をベッドに誘う。

 そしてベッドの上で、姉さんは馬乗りになって僕を殴っていた。

 殴って蹴って踏んで叩いて嬲って。それが僕と姉さんの日常だった。


「『』って、そう言いながら暴力をふるっていたんですよ。姉さんは」

「……」

「そんな風に言われたって、受け入れられるはずないでしょう」


 その言葉が、姉さんにとってどんな意味合いだったのかは分からない。でも、だからなんだと言うのだろう。

 袖をめくった右手を、僕はじっと見つめる。姉さんは、僕の傷をどう思っていたんだろうか。弟が、自分の暴力によってできた傷を、季節外れの長袖で必死に隠しているその姿を。

 ……何とも、思っていなかったんだろうな。

 あるいは愛していたのかもしれないけど。なんにせよ、姉さんは僕を傷つけた。それだけだ。


「だけど、君はずっと耐えていたんだねえ。お姉さんからの暴力に」

「そうですね。ずっと、我慢してきました」

「とは言っても、やっぱり君は、誰かに言うべきだったと思うよ。『天は自らを助けるものを助ける』。自分から動かなくちゃ、誰も助けてくれない」

「でも、無理だったんですよ。姉さんに支配されている僕にはね。それに、僕の言葉より、姉さんの言葉の方が、重かったですから」


 傍観者の僕の言葉なんて、世間には大して響かない。だけど姉さんは違う。姉さんが自らの無実を叫べば、周りはそれを信じるだろう。


「だから僕は、何も言わずに、ずっと姉さんの事を憎んでた。死んでしまえばいいのにって、そう思ってました」

「……だから、今回の事件を引き起こしたと」

「……僕だって、こんなことになるとは思ってませんでしたよ。最初はただ、樹村先輩の死について、疑問に思っただけだったんだ。調べていくうちに、姉さんがその死に関わってるって気づいて、それで」

「それで?」

「それで、姉さんに問いただしたんですよ。そしたら、姉さんなんて言ったと思いますか?」

「……」

「『』。笑っちゃいますよね、別に僕は姉さんのものでもなんでもないのに。あの人は、僕を所有物か何かだと思っていたんですよ」


 めくった袖を元に戻して、僕は自分の紅茶を飲み干す。

 

「――『表紙だけでは、本の中身を判断できない』」

「え?」

「そんな言葉があるんだよ。あの部室で眠っている鶴来さんは、とてもそんな人間には見えなかった。他人に暴力をふるうような、そんな人間には」

「あの人は、取り繕う事にかけては最強でしたから」

「でも君だって、見た目を取り繕っていただろう。長袖を着て、姉の暴力を隠していた。それじゃあ、気付いてもらう事は出来ない。『忍耐が成功をもたらす』とは言っても、誰かに言った方が良かったと思うんだけどねえ」


 過馬さんのいう事は最もだ。結局僕は、姉の暴力の証拠を隠していた。体育の授業だって、何かと理由をつけて休んでいた。それは、服を脱ぎたくなかったから。

 僕は、どうして隠していたんだろう。姉さんを庇っていたのだろうか。

 そんなことを考察していると、過馬さんが話を変えた。


「君を奪おうとしたって事は、君は樹村さんと面識があったのかい?」


 飲み干した紅茶のカップを手で遊びながら、過馬さんが聞いてきた。


「僕はすっかり忘れていたんですけどね」


 写真に写る樹村先輩の姿を見て、僕はなんとなく見覚えがあった気がした。

 それがずっと疑問だったけど、蓋を開けてみれば何てことは無い、僕が忘れていただけだった。


「去年の始めとかに、樹村先輩と姉さんが歩いている時に、たまたま僕と出会ったらしいです」


 姉さんが死んだ前日。僕は姉さんに真相を問いただした。ベッドの上で、僕の上で、恍惚の表情を浮かべている時だった。

 その表情は、僕の質問を聞いた途端に青ざめた物に変貌した。不安定な状態のまま姉さんは僕の上から退いて、椅子に座り直した。

 最初はショックを受けていて、話が進むたびに落ち着きを無くしていき、最後には開き直った。恋歌が悪いんだと、姉さんはそうしきりに言っていた。


「……なんでも、樹村先輩は、僕に色目を使ってきたらしいですよ。僕の事が気に入ったとかなんとかで、姉さん経由で僕と深い関係になろうとしていた。そう姉さんは言ってました」

「俺も、人づてに聞いたよ。樹村さんは生前、だれか気になる男の子がいるらしいとね。それがまさか君だとは」

「……姉さん曰く、樹村先輩は誰かれ構わず手を出す汚い女らしいです。姉さんはずっと内心気に入らなくて、挙句の果てに僕に手を出されそうになったから、それでつい」

「つい、殺したと」

「ええ」


 そんな事を聞かされた時の僕の心境は、やはり恐怖でしかなかった。本当に、理解できなかった。


「今までは、それでも多少は姉さんに対して家族の情があったんだと思います。でもそれは、その話を聞いて綺麗さっぱり無くなった。家族に対する歪んだ嫉妬で、友達を簡単に殺してしまう、そんな姉さんの事が本当に理解できなくなって、それで僕は姉さんを姉さんだと――家族だと思えなくなった。ただ、憎いだけになった」

「……それで、君は兎川さんにその事を伝えたんだね。兎川さんに、自分の姉を殺してもらおうと思った」

「いや、それとこれとは話が別です。兎川先輩には、姉さんと話す前に、その事を伝えてありましたから。ただ僕は、姉さんの事が憎かったから、兎川先輩を庇おうと思ったんです。って、そう思ったから庇ったんです」


 だから兎川先輩を庇おうと思った。結局西園寺先輩に見透かされて、あんな結末になったけれど。

 僕があの時庇ってなければ兎川先輩も皆月先輩も死ななかっただろう。でもまあ、そこまで僕の責任してもらっても困る話だけど。あくまでも悪いのは西園寺先輩であって、僕じゃない。


「これで、大体の事は言いました。何か言いたい事はありますか?」

「……いや、特に無いよ。大まかな話は分かったし、それで十分だ」

「そうですか。てっきり僕は、過馬さんはもっと僕に対して恨み事を言うかと思ったんですけど。特に、兎川先輩の事について」

「……どういう意味だい?」


 過馬さんのカップが、音を立てて転がる。過馬さんはそのカップを見る事もなく、こちらを凝視してくる。

 始めてみる、動揺した表情。

 きっと過馬さんは、僕がそんな事を言うとは思っていなかったんだろう。僕だって、ついさっき気づいた事実だ。


「おかしいと思ってました。過馬さんの推理はこの事件の裏側、僕や兎川先輩がやった事について事細かに述べていて、それらは見事に正鵠を射ていました。けど、

「……」

「大した証拠もないのに、そこまで推理するのは、不可能とは言わないですけど、かなり難しいと思います。西園寺先輩が、僕からのヒント無しには兎川先輩の犯行には気づかなかった事と同じように。つまりですよ、あなたも西園寺先輩と同じように、誰かにヒントを貰っていたんじゃないですか?」

「……」

「そしてそのヒントは、この事件の当事者からもたらされるべきだ。あなたと『超研部』を結ぶ、裏のつながりが何かあったんじゃないか。そう思って色々と思い出してみると、兎川先輩がこんなことを言っていました」

「……」

「『』。その言葉を念頭に置くと、あなたと兎川さんの繋がりは一目瞭然です」

「……」

「あなたのその綺麗な瞳、それは海外の血が混じっているからですよね。それにさっきから言っていることわざは、全てのものだ。よく聞けば、あなたの語尾を伸ばすしゃべり方は、

「……つまり、何が言いたいんだい?」

「簡単な話ですよ」


 ここまでくれば、あまりにも簡単な事だった。

 過馬さんがこの事件の真相についてあまりにも詳しい事。そしてそれを警察に報告していないであろう事。

 過馬さんも、僕も一緒だった。誰かを庇っていたんだ。




「あなたは、。だからあなたは、




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