ボクの大切な友達


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 毎晩、同じ夢を見るの

 ふふふっ、君の夢だよ

 夢の中の君は、ぜんぜん君らしくないんだなあ

 いつもにこにこ笑っていてね

 ボクのことちっとも叱らないの

 きっと、思い出せなくなっているんだね

 ボクは君の笑顔しか、思い出せなくなっているんだ



 目を開けた。突き刺すような光の洪水。視界がぼやけたり定まったりを繰り返している。役に立たない視覚に代わって、嗅覚が薬のにおいを嗅ぎ取った。

 ここは病院? いや、違う。

 ここは「MARK-S」の研究所。

 身体を拘束されている。四肢と銅とを太いベルトで締めつけられ、身動きが取れない。

 焦点の定まった目が傍らに男を捉えた。彼は歪んだ好奇心でボクが目覚めてから五感を取り戻すまでをじっくり観察していたらしい。

「サ……サキ……」

 掠れた声で上司の名前を呼ぶ。

 四十歳そこそこの佐々木の顔は血の気が失せて土気色だ。いかにも神経質そうな尖った鼻に薄い唇、目だけがたかのように鋭い。部下が起こした暴力騒ぎに失望している様子はない。それどころか耐え難いほどの喜びを隠し切れずにポーカーフェイスが崩れかけている。

「機械工学の天才が、鉄パイプでコンピューターを殴りつけるとはちたものだな……君はもう終りだよ。上層部も見切りをつけた」

 ふふんと得意げに鼻を鳴らした。


 彼は、形だけの上司だった。チームの主導権イニシアチブはボクが握っていた。彼の仕事はボクが起こす子供染みた問題の後片付けと尻拭い。そのために上司という役職を与えられていたに過ぎない。

 彼は配下にあるものをことごとくひざまずかせなければ気の済まない人間だった。彼は憎んだ、上層部の寵愛ちょうあいをほしいままにしているボクを。腹の底で熟成された憎悪はいつしか危険な征服欲に変わっていた。

 ボクは必死で働いた。上層部の評価を得ている限り、佐々木の力はボクに及ばない。問題を解く子供のように与えられた命令を従順にこなした。

 機械工学、電子工学、生物工学……身に着けたありとあらゆる知識をフル動員し、無から有を作り出した。


 そのほとんどが、人殺しの道具だった。


「MARK-S」はボクの作った人殺しの道具を世界中に売りさばいた。部下たちは紛争地域に赴き、無抵抗の人々を殺して道具の性能を試した。身を守れば守るほど罪のない人々が死ぬ。他人の生命をらってボクは生き永らえている。その事実が日ごとに重さを増して心を責め苛んだ。


 ついに「星屑の病」をもとに化学兵器を作れと言われてボクの中で何かが切れた。途切れ途切れの記憶の中でボクは大声をあげていた。鉄パイプを振り回し、目に付いたものを片っ端から壊しまくった。そして気づくと、隔離部屋かくりべやに拘束されていた。

 同じことがいやというほど繰り返された。

 それでも、作らなければならなかった。自分の生命と引き換えに、大好きな人を殺した病を再びこの世に復活させる。

 創造と破壊の間で壊れゆくのが分かった。ボクは暴れた。発作的にその衝動は起こった。見境なくすべてのものを粉々にしたあとで、怯えながら壊した箇所を修復した。

「星屑の病」の兵器化は一進一退だった。この病気を扱えるのは「MARK-S」の中でも治療薬の開発に携わった数人程度。そしてその数人もボクには及ばない貧弱な知識しか持ち合わせていない。

 この計画を生かすも殺すもボク次第。

 ……ボクは、殺すことに決めた。


 真夜中に研究室へ忍び込み、開発装置、メインコンピューターを再起不能になるまで破壊しつくした。部屋にガソリンを撒き、薬品サンプル、実験データごと火をつけて燃やした。燃える炎を見ながら、ボクは父の言葉を思い出していた。


 ――ネムル、天賦てんぷの知性は先の道でお前を助ける武器になる。だからこそ使い方に気をつけろ。鋭い剣を持つ者は、剣によって己を亡ぼす危険を常に孕んでいるのだ。


 ……それならば、父上。

 ボクは天賦の知性など欲しくありませんでした。


 自分を斬らなければ他人を斬るしかない諸刃もろはつるぎなんていらない。

 ボクが心の底から望んでいたもの――それは「ふつう」です。ふつうの頭脳、ふつうの身体、ふつうの人生。そしてふつうに大切なものを大切にしていきたかった。

 ボクの望みは、みんなの願いは、大それたことだったのでしょうか?



「後ろ盾を失った君は、ただ美しいだけの無力な女だ」

 骨張った手が頬に触れた。しみついた煙草の灰のにおい。

 全身に鳥肌が立った。

「ボクに……ボクに、触るなっ! その汚い手をどけろっ! 触るなっ! 触るなっ! 触るなぁっ!」

 あらん限りの声を張り上げて暴れた。騒ぎを聞きつけて、研究員たちがやってきた。佐々木は手を引っ込め、冷静な声で告げる。

「正気を失っている。看護の経験がある者、彼女に鎮静剤ちんせいざいを打ってくれ」

 左腕に痛みが走った。怒りが、恐怖が、嫌悪が、足元から抜け落ちていく。暴れたあとで投与される馴染み深い鎮静の感覚がやってきた。

 ただし、意識を失うほどではなかった。量が少なかったのか、度重なる使用に身体が慣れてしまったのか、佐々木を含む研究員たちの話を理解するだけの思考力は残っていた。

「駄目でした。どれも徹底的に破壊しつくされていて復元できません。研究記録も焼却されては、成す術がない」この声はボクの部下の一人だ。

「上層部もひどくお怒りで……」

「話は聞いている。彼女は私の手に委ねられた」

「そうですか……やはり……」

「さすがに僕たちも今回の件はかばいきれません。後始末だけでも大変な労を要しましたから」別の研究員が小さな声で弁解をする。

「……稀代きだいの才能が、精神異常のためについえるとは勿体もったいない話です」

「才能。ふむ、才能か」とつぶやいたのは佐々木だ。低い声で続ける。

「彼女の父親の、楠木ツムグ博士を知っている。彼は多大な才能に恵まれた科学者だった。その先代もまた様々な分野で功績を収めた学者だったと聞いている。彼女は恵まれた血統に生まれついた優良種サラブレッドだ。どんな名馬より価値がある……」

「佐々木主任?」

「……ああいや、何でもない。君たちは職務に戻りたまえ。私は上層部から言い遣った任務を遂行せねばならん」

 落伍者らくごしゃを始末するのだ、と察した研究員たちは神妙に一礼すると部屋を出ていった……声にならないボクの叫びに気づかないまま。

 佐々木はボクを殺さない。彼の心中におぞましい計画が芽吹いたのを知ってしまった。佐々木はボクの考えを――つまり自分の考えが余すところなくボクに伝わったのを――察したらしい。

「そろそろ気づくべきだな……君がいるのはとても無慈悲な大人の世界だ」

 肩に触れる大きな手。叫びを発することのできない身体が、叫ぶ気持ちさえ失った。



 ボクは生きる。人間とはかけ離れた生物として。

 この男に生かされる。

 死よりもむごい。むごい、屈辱くつじょく



 全身がこおりつくほどの冷たい静寂せいじゃくを、壊したのはノックだった。

「失礼します」

 軽やかな音を立てて扉が開いた。やってきたのは女の子だ。肩口で切り揃えられた真っ白な髪の毛、ぱっちり開いた青い瞳、透き通るような白い肌。

 涼やかな色彩を放つ彼女が不思議と温かな陽だまりに見えた。

「せ……ッ……な……」

 記憶の底に焼きついた、大好きな人の名前を呼ぶ。少女はボクを一瞥いちべつしたあと、にこやかに佐々木に向き直った。

「楠木博士のお召し替えをお持ちしました」

「誰が入って良いと言った」

「すみません。病衣のままでは風邪を引くと思いましたので」

「風邪?」

 頭の中で組み立てていた奸計かんけいとかけ離れた日常世界の言葉を聞いて何を言われたのか分からないようだった。状況を把握するように、佐々木はその言葉を繰り返した。

「風邪、風邪、風邪か……ははっ、君に風邪の心配をされてはたまらないな」

「この身に宿すことはなくとも、概念がいねんは分かりますのよ」

 嘲笑に合わせて、少女もにっこり微笑む。それが彼の気に食わなかったようだ。神経質な笑いを閉じると、佐々木は鋭い目で真っ向から少女を睨みつけた。

「楠木ネムルは私の配下にある。お前はもう用済みだ。直々に処分してやるから覚悟しておけ」

「それでは別れを告げるそのときまで、博士にお仕えすることをお許しください」

 深々と頭を下げる。驚きも恐怖も一瞬の隙さえ見せない。その態度に佐々木も面食らったらしい。さらに脅迫まがいの言葉を口にしようと試みたが、しおらしげな彼女に戦意を失い、ちっと言う舌打ちで幕を閉じた。

「用が済んだら私の研究室に連れてこい」

 捨て台詞のように言い放つと、上司は部屋を出ていった。

 すぐさま少女は顔を上げる。余所行きの笑顔を消し、ベッドの傍らにやってきた。

 病衣の袖をめくられる。

「何回打たれれば気が済むんですか。注射嫌いのくせに」

「セ、ッ、な」

「まだ寝ぼけてる……今から脱走するっていうのに、困った人ね」

 慣れた手つきで拘束具こうそくぐの留め金を外していく。身体にまきついたすべてのベルトを外し終えると、少女はボクを抱き起して服を着替えさせてくれた。着替えが済んだあとで、彼女も身にまとっていた給仕服を脱ぐ。と、その下から黒地のシャツとショートパンツが現れた。細身のベルトにくくりつけられているのは、小型拳銃。


 ……銃。銃だ。


 渾身の力を込めて腕を持ち上げる。

 方向の定まらない指で、差し示す。

「セ、ツ、な……ぼ、くを、ころ、して」

 痺れた舌で、必死に説明する。佐々木はボクを殺さない。ボクは死よりもむごい屈辱を受ける。どうか彼の部屋に連れていかないで。

 今すぐここで、ボクを殺して。

「……」

 少女はボクの顔を見た。

 それから自分の腰についた拳銃を見た。

 ゆっくり手を伸ばす。五本の指がつややかな銃の柄に触れて――その下のポケットをまさぐった。

 彼女はハンカチを取り出した。

 ウサギ型の可愛いハンカチで、優しく涙を拭いてくれる。

「私は、あなたに生きてほしいです」

 微笑む少女の青い瞳。

 

 その瞳は澄んでいた。

 故郷の海のように、どこまでも青く、澄んでいた


「生きてください。生きる理由が見つからなければ、私を理由にしてください。一人ぼっちでこの世に生まれ、あなたを愛することしか知らない私のために生きてください。私もあなたのために生きます。あなたの罪も悲しみも、全て受け止めてあげますから……」


 だから、生きて。

 生きてください。

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