生命を持たぬ者


           9


 水上自転車が海の上を走る。灯台へ行くのは初めてだったし、時にはその場所に灯台があることすら忘れていた。

 近くで見ると灯台の島は歩いて一周出来るほどのほんの小さな土地だった。

 自転車を係船柱にくくりつけ、岸に上がる。

 灯台の入り口に女の子が立っていた。

 こちらに向かってゆっくり歩いてくる。

 あたしも彼女の元へ歩きだす。

 島のちょうど真ん中で、あたしたちは向かい合う。

まったく同じ、顔かたち。


 ユーク……。

 てっきり夢の中だけの存在だと思っていたのに。


「会いたかったわ、セツナ」

 差し出された手を握って、ドキッとした。その手は氷のように冷たかった。

 まるで、生きていないみたい……。

 手を握ってすぐ、ユークの片眉がぴくりと動いた。

「……きゃっ!」

 強い力で突き飛ばされて尻もちをつく。右足首に芯から熱い痛みが走る。おかしな転び方をしたせいで足を挫いてしまったみたい。

 痛みをこらえて彼女を見上げると、彼女もあたしを見下ろしていた。

「……当てが外れた」

 苛立ちの溜息が降ってくる。

「あなたは、灯台守じゃないわ」

「と、灯台守?」

「いよいよ役立たずね」


 ユークが天に向かって手をかざす。みるみる雲が渦巻き、雨が降り始めた。島はすさまじい嵐に見舞われた。

 真っ黒な波が、襲いかかるように島の縁へ押し掛ける。

 

 ……こんなの、人間業にんげんわざじゃない。


「ユーク。あなたは、神様なの?」

「神様?」

 あたしの言葉に、ふふん、とユークは鼻で笑う。


「神様……そうね、確かにあなたの目から見ると私は神様に見えるかも知れないわね。私の目から見たあなたが、悪夢、追憶、幻想、死者に見えるように」


 振り上げた手が白い光を帯びる。ユークの手は輪郭も分からないほど強い光を放った。

指先へ真っ直ぐに伸びた光が固まって、白い氷柱の剣に変わる。


 そんな……まさか、嘘でしょ?


 剣に変わった手を振るうユーク。鋭い切っ先が地面に深い傷痕を残す。

 青い瞳には何の感情も浮かんでいなかった。

「お遊びは終わりにしましょう」

「や、やめて、ユーク……」

「生命を持たぬ者、虚像を結ぶ紛い物よ、私が真の眠りへ導いてあげるっ!」


 勢い良く振り下ろされる。反射的に手で顔を覆う。

 厳しい一撃を覚悟していると、


 キイィィィン……


 高い金属音が響いた。一閃の輝きが視界を真っ白に塗りつぶす。

 何も見えない光の中から低い声が、


「やめろ、ユーク!」


 目の前に見慣れたコートがひらめいた。

 燃えるような赤髪が光の中に浮かび上がる。


「た、探偵さん……!」


 探偵さんがいた。

 あたしとユークの間に入って、ユークの剣を受け止めている。

探偵さんの手には一本の刀が握られていた。持ち手の部分にガードのついた、軍隊が使うような大きな刀でユークの剣を受太刀うけたちしている。


「愚か者! 邪魔をするなと言ったはずよ!」

「お前は強引過ぎるんだよっ! ちょっとは俺を信用しろっての!」


 力任せに薙ぎ払う。弧を描く刃をかわしてユークは大きく飛び上がった。蝶のように長い飛翔。ひらりと一回転して、灯台の前に着地する。

 理由を訊く時間も、名前を呼ぶ暇すらなかった。剣を振りかざしたユークを迎え撃つために、探偵さんは駆け出してしまった。

二つの刀剣がぶつかり合うたびに激しい閃光が瞬く。

 息つく間もない攻防戦を目で追うのが精いっぱい。


 誰か説明して。

 謎めく二人が謎めく力で戦う理由を。


 押し合っていた力のわずかな噛み違いで、二人は反発し合う磁石のように後方へ弾かれた。あたしの前へ飛ばされてきた探偵さんは素早く態勢を立て直すと、刀で軽く宙を切った。


「……急展開」

 首を傾げてあたしを見る。

 雨に濡れた前髪からのぞく目が優しく細まった。

「混乱し過ぎて言葉も出ない?」

「え、えと……」

「悪いけど、謎解きは戦いの後でな」


 そして再び、ユークの元へ駆けていく。

 真っ白な灯台の入り口で、鍔ぜり合う二つの刀。


「あなた、どっちの味方なの?」

「俺は可愛い子の味方」

「裏切るのね」

「違うよ、二人の味方ってこと」

「ふざけないでっ!」


 今度はユークの一太刀が、探偵さんを振り払った。同時に、彼女の背後から吹きつける感情のような突風にあおられ、探偵さんが吹き飛ばされた。

いつの間に負ったのかその身体は傷だらけだ。皮のコートは白くすりむけ、両手のあちこちから血が出ている。

「まったく、女の子ってやつは手加減を知らないから困るな」

 痛がりながら立ちあがると、探偵さんは長い刀の切っ先をユークに突きつけた。

退けよ、ユーク。お前が望むものはここにはない」

「どうしてそこまでかばうのよ!」

 ユークの顔は怒りに燃えていた。あたしが本気で怒ったときと同じ顔、同じ声で探偵さんに喰ってかかる。


「セツナはもういないのよ! その子を助けたってどうにもならないのに!」


 ……え?

 あたしが、いない?


「それってどういう……」

「セツナちゃん」

 探偵さんがあたしの言葉を遮った。


 振り向いて、笑う――あたしを呆れされる、いつもの笑顔で。

「君の未来は、明るいぜ!」


 返す言葉が見つからず、走り出す彼の背中を無言で見送る。

 そんなあたしを、ユークはじっと見つめていた。彼女と視線がかち合うと、小さな唇が声もなく動いた。

 頭の中で思うことと同じように、直接心に響く声。


 ――セツナ。


 ――存在してはいけない存在。


 探偵さんが大きく身体をそらせて、一太刀振るう。

 と、ユークの身体が薄く伸びた。憂鬱な霧が晴れるように、ユークの身体は薄れて消えた。


「た、探偵さん……!」

 震える足で立ち上がる。覚束ない足取りで歩き出す。濡れた服が重い。靴は雨水でぐしゃぐしゃ。

 寒さに鳥肌立つ腕を抱きながら、それでも少しずつ近づいていく。


「探偵さん……」

 あなたに聞きたいことがあるの。

「宇宙プラザ」では逃げ出してしまったけれど、今度こそちゃんと向き合いたい。


 あたし、あなたのこと知ってる。


 あたしたちは、どこかで出会っているはずなの。

 あの夜の人工海岸より、もっと前に。


「……マサキ、さん」

 あなたの知っていることを、教えて。




 ……あらかじめ、それは影の重なりに見えた。

 空気の揺らぎが天候の薄暗さと相まって、一部分だけ濃い陰影を作り出しているのだと。

 でも、違った。

 周りの空気を吸い込んで、繭のような闇の塊からユークの青い目が覗いていた。

 白い手がにゅっと伸び、あたしのシャツを掴み上げる。

 逃げられなかった。


「マサキさ……」


 彼の名を呼ぶ声が水しぶきに掻き消された。口の中に塩辛い水が入ってくる。

 声が出ない。目が見えない。息が続かない。

 身体が芯から凍える、ここは海の中。

 荒れ狂う海の中へ突き落とされた。瞼の裏に、あたしに向かって手を伸ばすマサキさんの姿を焼き付けて。

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