仮想
差すような日差しがグラウンドに照りつける。乾いた砂の懐かしいにおい。
ここは俺がかつて通っていた高校。
玄関の扉が閉まっていたので、来客者専用の入り口を通る。窓口に警備員が座っていたが、身をかがめて難なく通過した。
夏休みの校舎はひんやりしていて静かだった。生徒がいないせいだろう。外で鳴くセミの声がますます静寂に拍車をかける。七年経っても母校の内部は覚えているものだ。すんなりと開かずの扉にたどり着く。
ペンキが剥がれた木作りの観音扉。取っ手に南京錠が掛かっている。南京錠は横に長いタイプのもので、閂を掛けるように取っ手をくぐらせて前後に開かないようにしてある……が、俺の手に掛かれば五分後には開錠の音とともに地面に転がっていることだろう。
ここから先は企業秘密なので詳しく言えないが、俺はコートの内ポケットからアレとアレとアレを取り出す。最後の仕上げにアレをアレしておくのも忘れない。
そんなこんなで錠が落ちたが……ものすごーく嫌な予感。というか、におい。扉の向こうから、ものすごーく嫌なにおいがしていることに十分前から気づいている。
これ、開けずに帰った方がいいんじゃね? って、俺の第六感が告げているが、それより先に俺の中のすべての器官がやめろやめろと騒がしい。
絶対に灯台守とは関係ないし、触れないで済むなら触れない方が良いタイプの秘密が扉の向こうで眠っているのは間違いない……けど!
謎を謎のままにしておくのはっ!
探偵としてのっ!
プライドがっ!
ぐっ……やめろっ! どうせロクなもんじゃないんだ! 放置だ! 無視だ! スルーしろ!
くそっ、指が勝手に……!
「う、うわー……」
思わず残念な声が漏れた。視界に飛び込んできたのはパステルカラーの大洪水。
その部屋は足の踏み場がないほどのお菓子で溢れ返っていた。チョコレート、キャンディ、グミ、クッキーにケーキ……ロココ調の皿に盛られ、今にもお茶会が始まりそうな雰囲気だ。
しかし、どのお菓子も腐っていて、腐臭を放っている。
恐ぇ……狂気の世界だ。
思わず後ずさった俺の背中に誰かがぶつかった。脇から腕がにゅっと出てきて、強い力で羽交い絞めにされる。
「見ぃ~たぁ~なぁぁぁぁ~!」
「う、うわあああああああっ!」
「きゃああああっ!」
身体を捻って全力で謎の人物を吹っ飛ばした。間違いなくヤバイ人は部屋の中へ飛んでいき、べちゃっ! と甘い山の中へ埋まる。
「ぶっ、武器! 武器! 武器! 出てこい、刀っ!」
ユークのときと同じようにサーベルを呼ぶが、出てこない。代わりにお菓子の山からどろどろの女が出てきた。カールさせたふわふわの黒髪にも、ピンク色のスーツにも、丸眼鏡の黒い縁にもチョコレートやクリームがべったりついている。
中学生にも見える童顔のこの女性に見覚えがある。
「あんたは、モモちゃん先生?」
……思いがけなく、俺の中で推理の糸が繋がってしまった。
開かずの間はモモちゃん先生の秘密の貯蔵庫だ。いつも鍵が掛かっていたのは、お菓子の隠し場所だったから。
この夏も、モモちゃん先生は大量のお菓子を買い込んだ。仕事の合間に食べようと、開かずの間にお菓子を隠した。鍵を掛けた。猛暑でお菓子が腐り始めた。モモちゃん先生は両手にスコップを抱えている。大方、人の目を盗んで校舎裏にでも埋める気でいたのだろう。
またつまらない謎を解いてしまった……。
「悪い子はお仕置きですっ!」
ぽかっ!
自分のことは棚に上げて、モモちゃん先生は俺の頭を叩く。
でも、全然痛くない。
「先生に暴力を振るうとは何事ですか!」
「す、すみません……」
「ごめんで済んだら学校の先生は必要ないのよ、水上くん!」
「それは意味が分からないけれど……って、あれ? モモちゃん先生、俺のこと分かるんですか?」
モモちゃん先生はきょとんとしている。何を言われたのか分からないといった表情。すぐさま我に帰ると、俺を頭のてっぺんからつま先まで見回して悲鳴を上げた。
「まーっ、水上くん! 夏休みだからって、髪の毛なんて染めちゃって! その格好は何ですか! 髑髏の指輪なんて、先生は許しませんよ!」
信じられない……。俺の変装は昔の面影を一切消しているんだぞ。バカみたいに頭の良いネムルですら一目では気づかなかったんだ。
それなのに、どうして見破られたんだ?
モモちゃん先生、ひょっとしてすごい人なのか?
もーっ、もーっ、と牛のような悲鳴を上げながら俺のファッションにケチをつけまくるモモちゃん先生から身を引く。開かずの間の件も含めて、謎だらけの思考回路は俺の手に負えない。逃げよう。この事件は迷宮入りで良し。
窓を指差して、
「あっ! マカロンのUFOだっ!」
「えっ!? どこどこ?」
モモちゃん先生が目を光らせて、窓を見上げる。
……やっぱこの人、大物だわ。
とにかく俺は駆け出した。
「あっ、嘘ついたな!」
モモちゃん先生も小動物的な素早さで後を追ってくる。
「不良生徒は、お仕置きですっ!」
廊下を曲がって、階段を下り、また廊下を走る。うーん、しつこい。中々振り切れない。
一階まで下りてゆくと「保健室」の看板が見えた。中に人がいないことを祈って滑り込む。後ろのドアから入ってしまったようだ。目の前にパーテーションに区切られたベッドが並んでいる。その一番端っこに、三百六十五日見慣れた顔が寝ている。いや、起きている。
ぼんやり天井を見上げて、物思いに耽っている。
こんなときに嫌なやつに会っちまったが、仕方ない。
仏頂面の上にいつもの笑顔を貼りつけて俺は言った。
「また会ったな、少年!」
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