君は特別な女の子だから



も、無茶苦茶なことをしやがる」


 頭上で誰かがつぶやいた。冷たい香水のにおい。抱き留められて、地面に膝をつく。甘い眠りの余韻から徐々に目が覚める……と、眩しい光が目を刺した。

 海の上に真っ赤な朝日が顔を出している。

 ……朝、だ。

 眩んだ目が徐々に色彩を取り戻す。ぼんやりと顔を上げると目と鼻の先に見知った顔が。


「おはよう、セツナちゃ……ぶべっ!」


 パン! と響きの良い平手打ちの音と一緒に、探偵さんのにこにこ顔が右を向く。

その隙に、えいっと身体を突き飛ばして安全確保。きょろきょろと辺りを見回す。

 ここは人工海岸。

あたしは、パジャマ姿で裸足。

 昨夜、眠りに就いた格好のまま、砂浜に座り込んでいる。


 どうして海岸にいるの……?


「夏休みが待ちきれなかったんだよ」

 赤く腫れた頬をさすりながら探偵さんが笑う。

「フライング海水浴。若いうちは良くあることさ」


 そんな話、聞いたことないんですけど……。


 立ち上がって、お尻についた砂を払い落とす。眠ったまま出歩くなんて何かの病気かしら……とにかく家に帰らなくちゃ。

 貝殻の破片に痛がりながら砂浜を歩いていると、探偵さんが横からひょいっと顔を覗かせた。

 サングラスの奥の瞳が嬉しさいっぱいに輝いている。

「また変なこと考えてるでしょ」

「考えてないよ。お姫様抱っこするタイミングを伺っているだけだよ」

「思いきり考えてるじゃない! 結構です!」

「えー、しないの? 女子の憧れじゃん」

「探偵さんが憧れてるだけでしょー!」

 釣れないなあ、とぼやきながら探偵さんは履いていた靴を貸してくれた。



「……で、どうしたんですか。こんなに朝早く」

 家に帰り着いてすぐシャワーを浴びて服を着替えた。

 リビングに戻って、探偵さんの向かいに座る。

 聞くところによると、探偵さんはあたしの家に向かう途中、海岸でふらふらしていたあたしを見つけたらしい。

 助けてくれたのはありがたいけれど、一体何の用かしら?

「夏休みも始まったことだし、セツナちゃんとデートしようと思って」


 ……はい?


「デートって何ですか」

「好き合う男女が会って食事をしたり遊んだりすることだよ」


 ……いやいや、語意を聞いているんじゃなくて。


「どうしてあたしが探偵さんとデートしなくちゃいけないの」

「セツナちゃんのことが気になってしょうがないからだよ」

 茶色の目を細めて、探偵さんはにっこり笑う。

「君は特別な女の子だから、周りのやつらが放っておかない。誰かが抜け駆けする前に俺が連れ去っちまおうと思ってね」


 うわっ、また変なこと言ってる!

 この人、家に入れない方が良かったかな……。


「ネムルはなんて言ってるの?」

「あいつは自分の部屋に閉じこもったまま出てこないんだ。鍵がかかって入れないし、名前を呼んでも返事がない」

「あの子、研究に没頭すると寝食忘れちゃうから……」

 溜息を吐くあたしの顔を、探偵さんは覗き込む。

「心配か?」

「まあ、それなりに……」

「それじゃ、俺と一緒にネムルの様子を見にいこう。〝宇宙プラザ〟で昼飯でも買ってさ」

「やれやれ。世話が焼けるわね……って、んんん?」

「宇宙プラザ」は商業区のてっぺんにあるショッピングモールだ。

 老舗の高級グルメから、海外のブランド品まで何百という専門店が軒を連ね、屋外プールと遊園地が併設へいせつされた、超巨大な娯楽施設でもあって……。

「それって結局、デートじゃないの!」

「はははははは」

「ははは、じゃなくて!」

「まあまあ、文句なら後で聞くから」

 探偵さんに背中を押されて、渋々出掛ける準備をする。

 なんだか上手く誘導されているみたいで納得がいかないわ。念のためショルダーバッグに「折り畳み式金属バッド」を忍ばせておく。

 ネムルの発明品が、こんなところで役立たないように祈っておかなくちゃ。



 こうして辿り着いた「宇宙プラザ」はたくさんの人で賑わっていた。

 夏休みに加えて、今日は日曜日。家族連れも多く見かける。

「宇宙」と名前がつくだけあって、店内のあちこちに、銀河をモチーフにした小川がきらきらと輝いている。

ガラス張りの天井は屋外プールと表裏一体。足下で水影が揺れ、ときどき遊泳者の影が鳥のように空を飛ぶ。


 人工的な白い光で統一された「宇宙プラザ」は海の物とも山の物ともつかないカオスを極めた商業区で唯一、秩序的コスミックな空間だ。

 お買い物に来ている人もきちんとした身なりの人が多いような気がする

(ま、あたしたちは例外だけど)。


「見渡す限り高そうな洋服ばかりだな……おっ?」

 底の厚い靴をガポガポ言わせながら探偵さんがショーウィンドウへ駆けていく。

 一着の洋服を手にとると、まだ遠くにいるあたしに向けて、じっと考えこんでいる様子。

 彼が手にしていたのは袖と裾に複雑なレースがあしらわれた白いワンピース。デザインが凝っていて、生地も縫製ほうせいも良い感じ。


 あたしにワンピースを合わせながら、

「かっ、かわいい……!」

 ぶるぶる震え出す。

「よし、お兄さんが買ってあげよう」

「それ、高いと思いますよ」

「セツナちゃんは知らないな? 大人の財力がどれほどのものかを……」

 値札のついたラベルに目をやって、カチーンと凍りつく探偵さん。

「なにこれ、印刷ミス? ゼロが三個くらい多いんだけど。っていうか、俺の事務所の半年分の家賃とほぼ同額なんだけど」

「だから言ったでしょ。〝宇宙プラザ〟はセレブ向けのお店ばかりなんだってば」

「せやけど着るだけなら無料やねん! 何べん着ても無料やねん!」

「探偵さん、そんな、大阪のおばちゃんみたいな……」

 ぐいぐいと背中を押されて試着室に押し込まれた。

仕方なく着ていた洋服を脱ぐ。

 ……さすが高級ブランド品、うちのクローゼットにしまってある洋服にはない着心地の良さだ。姿見に合わせてにっこり笑う。


 なんだか、ちょっとだけ楽しくなってきたかも……。


 試着室から出てきたあたしを見て、探偵さんは「うっ」と撃たれたような声をあげた。

「超絶可愛い……可愛すぎる……」

 頭に乗っていたウサギが、カシャカシャとシャッターを切り始める。

「奇跡の一着をこの場所でしか見られないなんて、世の中は不条理に満ちているな」

「おおげさだなぁ……」

「脳裏に焼き付けて、夢の中で何回も見よう」


 うっ、それは気持ち悪い……。


 いつもの洋服に着替え直して店を出ると、案内板の前に探偵さんが立っていた。

 シルバーリングをつけた指が滑るように「現在地」と記された三角形の印をなぞる。

「この辺りは洋服屋ばかりだな」

「食べ物屋さんは西側にあったはずだけど」

「遊園地は?」

「それなら〝宇宙プラザ〟の屋上に……」

「よーし、れっつらごー!」

「ちょっと! ネムルのお昼ご飯は!?」

「遊んだあとで考えようか〜」

 にへらっ、と幸せな笑みを浮かべる探偵さん。


 やっぱり確信犯かいっ!


 スキップせん勢いでエスカレーターへ駆けて行く探偵さんの頭に乗ったウサギがくるりと背を向けてあたしを見た。

「おいでおいで」と言うようにぴょんぴょん跳ねている。

「もー、しょうがないなぁ……」

 溜息を吐くも、わくわくする心を抑えられない。


 お父さんとお母さんがいなくなってから、遊園地なんて行かなくなってしまっていたから。


 天井のプールのきらめきが、屋上へ続く道を明るく照らし出していた。

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