記憶

 海砦レムレスは塩と土に覆われた廃墟だ。

 人の手が入らなくなった道路は苔むし、建物は風化が始まっている。政府によってスラム化しつつあった商業区は解体され、居住区の住民たちは街へと強制移住させられた。

「星屑の病」が消滅してすぐのことだ。


 臨床試験に漕ぎつけるまで十年は掛かると言われた治療薬をたった七年で「MARK-S」は開発した。それは生涯をかけて「星屑の病」の研究に尽力した楠木ツムグ博士の功績によるところが大きい。

 病原菌を取り入れていた人間は発症の可能性が限りなくゼロに近くなり、病に掛かっていた人間は進行が止まった。


 レムレスは罹患者たちにとって愛着と憎悪が混ざりあった複雑な場所だった。レムレスによって守られ、レムレスによって差別される。罹患者でなくなった住民たちがレムレスを捨て、街と同化する道を受け入れたのも当然の成り行きだった。


 かく言う俺も、その一人だ。


 だが、俺は忘れない。

 いや――「星屑の病」にかっていた人間なら誰も忘れはしないだろう。

 五年前、父親の遺志を継ぐように「奇跡の新薬」を開発してしまった楠木ネムルの名前を。


 ……それにしても。

 ここは、どこだ?


 砦出身者の俺でも分からなくなるくらい、内部は様変わりしていた。おそらく居住区側だと思うが、土まみれの家々ばかりで自分がどこにいるのか検討もつかない。

 白色の髪の毛を探しながら周辺を歩き回っていると、何かがぴょんぴょん跳んできた。ウサギの形をしたロボットだ。卵型の胴体に長い耳がついている。

 ウサギはくるりと向きを変えると、ゆっくりと坂を上り始めた。

 こいつが使者か。

 俺もウサギの後に続いて坂道を上る。

 着いたのは居住区の頂上にある四角い建物。かつて「空中図書館」と呼ばれていた場所だ。


 入口の前でウサギが跳ねると、土まみれの建物がみるみる鮮やかなメタルブルーに変わり始める。「空中図書館」は再構築されていたらしい。周囲に紛れ込ませるために、四方に隠した映写機からくたびれた壁の映像を投射していたのだ。

 建物の中は肌色の照明が飛び交うとても広い空間だった。歩くたびにきゅっきゅと鳴る床は体育館を思わせた。

 暑くもないし寒くもない。どこか安心する照明の中を、俺とウサギは歩いていく。


 しばらく進むと滑らかな螺旋階段が現れた。

 飛び跳ねていたウサギが止まった。


「むかしばなしをします」とウサギが言った。

 鈴を転がしたような少女の声。この声はユークだ。

「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんはいませんでした」

 昨日の彼女からは想像がつかないコミカルな口調。歌うように語りかけてくる。

 ウサギが先へ進まないところを見ると、おとなしく話を聞けということだろう。

 俺は壁にもたれて、誰もいない場所に向かって跳ね続けるウサギの声に耳を傾ける。


 むかしばなしをします。


 むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんはいませんでした。


 アダムとイブもいませんでした。


 そこにはネムルとセツナがいました。


 ネムルはセツナのことが大好きでした。


 セツナもネムルのことが大好きでした。


 二人一緒の毎日はどんな不幸も適いません。


 ところがそんな幸せも永くは続きませんでした。


 セツナが「星屑の病」に罹ってしまったのです。


 ネムルは「MARK-S」とともに「星屑の病」の研究を始めました。


 しかし、その甲斐もむなしくセツナは死んでしまいました。


「MARK-S」は、そっとネムルに囁きました。


「研究を続けて。セツナを蘇らせてあげる」


 長い研究の末に治療薬が開発されると、ネムルの元に一体の人形が届きました。


 その人形はセツナの脳を宿していましたが、心はまったくの別人でした。


 一度死んだセツナの脳は、二度と同じようには戻らなかったのです。



「グロテスクだ」

 思わずつぶやいた。床に唾を吐いて、こみ上げる吐き気を紛らわす。

 ウサギは飛び跳ねるのを止めた。声に反応したのか、向きを変えてこちらをじっと見つめる。

 両目についたカメラレンズで俺を撮影しているのか?


 胸糞が、悪い。


「さっさと案内しろ。お前の連れていきたいところへ」

 承知したと言わんばかりにウサギは螺旋階段を登っていく。

「ネムルは……」

「なんだよ、まだあるのか?」

「たいそう嘆き悲しみ……」

 まだ、あるのかよ。



 ネムルはたいそう嘆き悲しみ、「ユーク」と名付けた人形を使って或る研究を始めました。


「MARK-S」の目を盗んで、その研究はひそやかに続けられました。



「研究?」

 なんだ、それは。ユークの他にまだ何かあるって言うのか。

 ……ネムル。

 悲しみが大きすぎて、壊れちゃったのか?



 ネムルが作り上げたのは、全知全能の仮想世界。


 ユークの脳の奥底の、セツナの記憶に訴えかける。


 優しさに満ちた、眠りの世界。


「夢見る機械」を作ったネムルは、その夢の中で幸せに暮らしましたとさ。


 ……つづく。



 螺旋階段の先は上下開きのドアになっていた。薄暗いが広い部屋。配線コードが植物のツタのように壁を伝って、その中を電流が走り抜ける。

 嫌な予感がした。

 俺が走るとウサギも同じように駆け出した。中央へ向かうごとにコードの数は多くなる。守るように光の出る場所を覆っている。コードをかき分け部屋の中央へ入る。と、大きな箱にぶつかった。

 あちこちにメーターやつまみがついている。見慣れないメカだ。


 これが「夢見る機械」?

 そんなバカな。


 メカから伸びたひときわ太いコードがガラスケースに繋がっている。

 その中に見える人影は……

「サユリ!」

 駆け寄ってケースを覗く。サユリがいた。

 行方不明になった日に着ていた服装のまま、サユリが横たわっている。

「サユリ! おい、サユリっ!」

 呼び掛けても反応がない。目はしっかり閉じられていて、呼吸をするたびにガラスの内側が白くくもる。押しても引いても蓋は開かない。


 何かケースを割るものはないか?


 辺りを見回すと、他にも同じように太いコードが地面を這っていることに気がついた。ある地点で二股に分かれ、その先に二つの扉が見える。

 腰の鞘からサーベルを抜いて、一方の部屋に入る。敵襲に備えたが人の気配はしなかった。前の部屋に置いてあったメカと同じ機械が低いうなりを立てているだけだ。

 中央にガラスケースが置いてある。そっと近づいて中を覗く。

 ユークが眠っていた。サユリと同じく、呼びかけても反応がない。

 

 ……あのウサギの話が本当なら。

 もう一方の部屋にいるのは、きっと。


 果たして予想は当たった。三番目のガラスケースに海色の長い髪の、ものすごい美貌の女性がすやすやと眠っていた。目をやって、ぎょっとした。女は裸だった。

 足先に脱ぎ捨てられた洋服がぐしゃぐしゃに丸まっている。

 みるみる全身から力が抜けて、その場に膝をついた。

「ははっ、ははははは……」

 意味不明な笑いが漏れて、慌てて手で口をふさぐ。

 気を取り直してウサギを呼ぶ。

「ユーク、聞こえるか?」

「聞こえない」ウサギが答える。

「思いきり、聞こえてんじゃねぇか」

「聞こえない。これ、録音だから。あなたの台詞を予測して喋ってる……当たってる?」

 大当たりだよ。ちくしょう。

「ネムルのこと、どうやったら助けられる?」

「予備のケースを用意しておいたわ。詳しい話は中でしましょう」

「じょ、冗談じゃない! そんなわけの分からないものの中に入れるか!」

「あなたの大事なものを、取り戻したくないの?」

「……っ」

 言葉に詰まって入り口へ引き返す。


 俺の大事なサユリは閉じられたガラスの中で昏々こんこんと眠り続けている。

 その寝顔をしばらく眺めたあとで、「夢見る機械」に近づいた。数あるメーターの一つに触れようとしたところ、

「ダメっ!」

 ウサギの制止の声に驚く。

「無理に起こしちゃダメ。意識だけが夢の中に閉じ込められて、二度と目覚めなくなるわ」


 くそっ、どこかで聞いたようなセオリーを持ち出しやがって……。


 ……仕方ない。

 ちょうど楠木ネムルにも会いたかったところだ。

 現実世界でご対面とはいかなかったが、良いだろう。


 久しぶりに、遊んでやるよ。


 予備のケースへ案内しながら、ウサギのユークは呪文のようにつぶやいた。

 Down下へ down下へdown下へ……

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