糸口

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 船が孤島に向かう。かつてレムレスと呼ばれていた、海砦の廃墟に。

「あんなところへ用があるのは、テレビの取材か、肝試しする若者か、兄ちゃんみたいな学者さんくらいだね」

 金で雇った漁師が操縦室から顔を出して煙草を吹かす。きっと今までに何人もの人間を島へ運んできたのだろう。呆れ顔だ。

 この悪天候に無理矢理船を出させた「融通の利かない地質学者」に対する不満もあるのかも知れない。

 港で声を掛けたとき「今日中には迎えに行けないかも知れないから」と断り文句に続きそうな漁師の言葉を断ち切って俺は言った。

「そのときは野営します。砦の内部は分かっているので、海がいだら迎えを頼みます」


 

「あなたの大事なものを、盗んだのは私よ」

 俺は拳を握りしめた。ちょっとでも気を抜くと、ユークに掴みかかってしまいそうだった。

 冷静さを失わないように努めながら尋ねる。

「それは、脅迫か?」

「そうよ」

 ユークの答えは簡潔だった。俺が立ち上がる前に彼女は立ち上がった。先を越された。ユークの手には柄の曲がった小さなピストルが握られていて、その銃口は俺の額に向いていた。


 銃を突きつけられたことは今までに二回ある。決まって女ばかりだ。


「私の言う通りに、あなたは動かなければならない」

「分かったよ、ユーク」

 ユークの頬がわずかに緩む、その隙をついて手を伸ばしたが、彼女が微笑んだのはどうやら見間違いだったようだ。

「言い忘れていたけれど――」

 宙を掴んだ格好で固まっている俺を見下しながら、彼女は銃を上下に振る。

「――何かの拍子に形成が逆転したとしても、あなたの大事なものは私の手の内。そのことを忘れないように」

「すっかり忘れていたよ、ユーク」

「間違いは誰にだってあるわ」人工皮膚がもたらす、天使のような微笑み。

「さあ、あなたの武器を出して」

「探偵は武器を持たないんだよ。明晰な頭脳と鋭い観察力で事件を解――」

「窓際の百科事典の上。カーテンの裏に隠してある日本刀を取ってきて」

 具体的に指示されてはとぼけようがない。


 ユークは窓を見ていなかった。部屋を見回している数十秒のうちにどこに何があるかをすっかり覚えてしまったらしい。

 瞬間記憶能力カメラ・アイ――作り物の眼球に特別な細工があるのかと疑ったが、どうやらそれは彼女が生まれながらに持っていた天賦てんぷの才能らしかった。

 日本刀とユークは言ったが、俺の得物は旧日本海軍が使っていた軍刀サーベルだ。

 彼女はサーベルを手に取ると、様々な角度から検分し始めた。青い刀身をなぞって冷たい質感を確かめたりもした。


「覚えたわ」

 独りごちながら少女の手には重いそれをゴトリと机の上に置く。

「次はあなたの番よ」

 指示に従って彼女の前に立つと、絹糸のような白髪のつむじが見えた。柑橘の匂いがする。シャンプーにしては強い、香水にしては弱い、その微妙な夏の香りが近づく。

 白い手が頬に触れて、ユークの顔が間近に迫る。キスの距離だ。するのか? この状況で? なんで?

「鼓動が速くなってる。変なこと、考えてるでしょ」

 熱可塑性エラストマーがこの上なくリアルなウンザリ顔を作り出す。


 これだから男って嫌なのよ。頭は悪いし、声はでかいし、考えることと言ったら……ぶつぶつ小言を言いながら、それでも彼女は俺をぎゅっと抱きしめる。胸に顔を押し当ててにおいを嗅ぐ。色々な部分を触る。頭の先から、つま先まで。かなりヤバいところまで。


 な、何なんだこの娘は……脅しの他に変な趣味があるわけじゃないだろうな。


「また鼓動が速くなった……いやらしい」

「それはこっちの台詞だよ。お前はなんだ? ヘンタイか? 痴漢……じゃなくて痴女か? そうなのか?」

「私はあなたのことを覚えようとしているだけ。こうやってにおいや色や形を記憶に留めているの。生まれて五年しか経っていない上に人形の身体からだである私にドキドキしているあなたと一緒にしないで」

 くっ……辛辣だ。セツナはこんな皮肉を吐かない。確かにユークは別人だ。例え同じ器官を共有していようとも。


 ユークは俺の身体から離れると、一仕事終えたみたいに疲れた溜息を吐いた。

 すぐさまスタンダードな無表情に戻って、

「これでいいわ」

帰り支度を始める。


 なんで俺を覚える必要があるんだ? っていうか、「覚える」ってなんなんだ?


 俺の質問を右から左へ受け流し、レインコートを被り直すと彼女はくるりと背を向けた。こんなに清々しく無視されたのは久しぶりだ。

 さよならの挨拶代わりに一言。

「明日の午後十二時。海砦レムレスで待ってるから」


 残された手掛かりはそれだけだった。


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