ふつうの日常(証明)


 実験と観察と発明と大好きと大好きと大好きに彩られた日常が過ぎてゆく。何もない。楽しいことなど滅多に起きない。でも、そんな毎日が楽しい。

 友達、勉強、片思い、試験、部活動、お昼ごはん、嘘、冗談、本気、邪推、徹夜、長電話……それらを手に取ってつぶさに眺める。

 楽しい。冷静さを失うほど楽しくなるときもある。往々にして、それはある。

 この状態が好きだ。曖昧で、不正確で、おおよそ科学的なところが一つもない。それでもボクはどんな発明品より偉大なこの時間を発明している。もっとたくさん、創りたい。

 高校生の状態を維持するマシーンを発明できないものか……。



「ネムルさん」

 そんな考え事をしていたせいで、声を掛けられたことに気づかなかった。肩を叩かれ、振り返る。セツナがハンカチを差し向けていた。

 ウサギさんの形をした、ボクの大事なハンカチだ。

「トイレに立ち寄った際にうっかり落としてしまったようだ。セツナよ、ご苦労。褒めてつかわす」

「こらっ、偉そうにするな!」と頭に落ちる空手チョップを予想してさっと身構える。ところがどんな攻撃も仕掛けてこない。

 にっこり微笑んでいるところが、かえって恐ろしい。

「セツナ、熱でもあるのか?」

「いいえ」

「なぜ叱らない? 短気な君なら激怒して然るべき事案だぞ」

「私はネムルさんを叱りません。どんなことでも許しちゃいます」

 えへへへへ、と恥ずかしそうに笑う。

「ネムルさんが幸せそうで、私も嬉しいです」

「な、何を言っているんだ!?」

 思わずセツナを凝視する。毎日見ているお馴染みの顔……だが、今日は雰囲気が違う。ショートカットの片側を細かく編み込んでいる。きらきらしたアクセサリーと、着崩した制服は不良っぽい。

 クールでスパイスの効いた、ちょっと近寄りがたい存在。


 熱でもないとすると……変なものでも食べたのか?


 セツナはくるりと背を向けると廊下の角を曲がってしまった。跡を追いかけ、角を曲がる。と、誰かに衝突した。

 跳ね返されて尻もちをつく。

「痛ったああぁぁぁい!」

 ぶつかった相手はモモコだったようだ。出席簿を抱えながら、尻をさすっている。

「楠木さん、廊下を走ったらいけません! 二人ともお尻が痛くなっちゃったでしょ!」

「モモコ、ボクの前に誰か廊下を曲がらなかったか?」

「えっ、楠木さんの前に? 先生、こっちから歩いてきましたけれど、楠木さんの他には誰も通りませんでしたよ」

「……ということは、オバケだな」

「オバケ?」

「モモコ、この学校はオバケが出るぞ。人の姿を借りて歩き回っている」

「そ、そそそそんな、幽霊だなんて! せ、先生は、おおおお大人ですから、そんなもの信じませんよっ!」

「信じるも信じないも関係ない。消去法で推測したら科学的に説明がつかなかったまでだ。オバケでないとしたら、亜空からやってきた何か……未確認物体であることに変わりない」

「やっ、やめてください楠木さん! 先生、学校に泊まらなきゃいけないこともあるのに!」

「でも、優しかったぞ。ハンカチを拾ってくれたし」

「優しくても、オバケはいやぁっ!」

 涙目になっているモモコを残し、先を行く。

 白衣のポケットからウサギさんハンカチを取り出して眺める。


 オバケにも指紋はあるのだろうか。好奇心がみるみる沸いてくる。ハンカチを分析すれば何か分かるかも知れない。霊魂の存在を認められたならば、エジソンもびっくりの大発見になるだろう。

 教室の扉を開ける。窓際の席でホンモノのセツナがナギとお喋りしている。ハンカチをポケットにしまって、彼らの元へ歩み寄る。

 今起こったできごとを、話すべきか話さぬべきか、逡巡した挙句心に秘めておくことにした。


 謎を謎のままに残しておくのも、それはそれで楽しいことだ。

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