焦燥


「この辺りは洋服屋ばかりだな」

青い瞳が、上を向いて一思案。


「食べ物屋さんは西側にあったはずだけど」

「遊園地は?」

「それなら〝宇宙プラザ〟の屋上に……」

「よーし、れっつらごー!」

「ちょっと! ネムルのお昼ご飯は!?」

「遊んだあとで考えようか~」


セツナは心配そうに後を振り返ったが、何も言わずについてきた。



間一髪のところだった。俺が居住区へたどり着いたとき、セツナは灯台へ向けて歩き出そうとしていた。どうやって海を渡す気でいたのか考えたくもない。

なんとか押し留めたが……まったく、ユークも無茶苦茶なことをしやがる。



どうにかセツナを説き伏せて、俺たちは商業区一の観光スポットと呼ばれる「宇宙プラザ」へやってきた。筋を通すなら灯台へ連れていくべきなんだろうが、人身御供を差し出すようで気が進まない。望み通りに動いたとして、パスワード探しに躍起なユークが何をしでかすか分からないからだ。


遊園地へ近づくごとにセツナの目が輝き始める。そわそわと屋上を見上げて落ち着かない様子だ。


驚いたな。

セツナは遊園地が好きだったのか。


 もっと早くに知っていたら、生きているうちに遊びにいくことができたのに。


 昔の俺は賑やかな場所が苦手だった。商業区の喧騒すら耳障りでアルバイトに行くとき以外、極力近づかないようにしていたくらいだ。セツナもそれを知っていたから、俺たちが遊ぶのは互いの家か、居住区の人工海岸と決まっていた。

現実の「宇宙プラザ」へは一度しか行ったことがない。セツナの死んだ年にさりゅのランドセルを買いにいったきりだ。

そのあと立ち退き命令が下って、俺たち兄妹はレムレスを出た。


――ここは夢の中なのよ! 嘘よ! 架空よ! フィクションよ!


 ユークの言葉が蘇る。分かってる。

隣ではしゃぐこの女の子は、俺たちの記憶の集合体。夢の中でしか生きられない。意思があるかも曖昧だ。


分かって、いるのに……。


「そんな簡単に、折り合いつけられるわけねぇだろ……」

セツナが不思議そうに俺を見上げる。

「探偵さん、何か言った?」

「いや、何でもないよ」

「ねぇ、もう一回ジェットコースターに乗らない?」

「えっ、まだ乗るの!?」


セツナは遊園地が好きだということにくわえて、もう一つ発見した新事実。


 セツナは、スピード狂だ。

それも「超」がつくほどの。


 空を見上げる。うねりまくった鉄の道を猛スピードで鉄の箱が駆け抜ける。あの地獄をもう一回……。


「あと三回だけ。お願い!」


 いや、もう三回……。


やめてくれ。上目遣いに片目を閉じて拝まないでくれ。そんな可愛い仕草でお願いされたら嫌って言えないじゃん。分かったよ。乗るよ。気が済むまで付き合いますよ。既に瀕死寸前だけども、君のためなら死んでやる!


 ……って、男気を見せたつもりだったんだけどな。


 気がついたとき、俺はベンチに転がっていた。二回目の中盤あたりから完全に記憶がない。

なんとか顔を上げて、隣に座る彼女に訊く。

「楽しかったか?」

「うん! とっても!」

セツナは弾けた笑顔を見せた。

「そいつは良かった」

心からそう思える。悩みごとも悲しみも、その笑顔を見たら吹っ飛ぶ。昔も今も君も俺も何も変わっていない。それなのに現実は何もかもを変えてしまった。


「星屑の病」。


彼女の発病が、もう二年、遅ければ。

新薬の開発が、もう二年、早ければ。


彼女は助かっていた。死ななかった。死の床の、どうしようもない無力感を俺たちは経験せずに済んだ。ネムルは深入りする前に「MARK-S」を抜け出せたかも知れないし、俺も私立探偵というケチな商売に手を染めようとは思わなかった。

セツナがいなくなって、俺たちの何かが狂ってしまった。


「砦はあたしたちを守ってくれる。だけど、同時に隔離もしている。自由にはなれないの……決して、自由にはなれない」

俺に苦痛を与える過去の記憶もセツナにとっては未知の出来事だ。ループする時間の繋ぎ目は高校二年生の夏休み。セツナが死ぬはずの来年の夏は永遠に来ない。だからこそ彼女は閉ざされた時間の中で永遠に苦しみ続ける。


「君の苦しむ顔を見たくない。苦しんで欲しくないんだ。〝星屑の病〟なんかで」


考えるより先に、口が勝手に喋っていた。


「〝星屑の病〟を――世界の秘密をこれから教える。とても大事な話だ。君にとっても、俺にとっても……」


セツナに夢の仕掛けを暴露し、「星屑の病」に罹患する心配のないことを知らせる。それは重大な逸脱行為。ネムルの言う「下手な真似」の中で最もド下手な愚行だろう。

それでも、言わずにはいられない。

彼女を助ける。今度こそその痛みから救い出す。


俺はもう、あの頃の「オレ」とは違うんだ。


「あなたのこと、知ってる……。とても良く知ってるの……」

セツナの目から涙が溢れ、俺は大人げなく狼狽うろたえた。

そんなつもりはなかったのに、彼女は傷つき、恐怖に怯えて、俺の前から逃げ出した。

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