ねじれの位置


          6


 探偵は体調不良らしい。

 翌日、ふらつきながら階段を下りてくると、そのままガレージ一階のソファへばったり倒れてしまった。

「夏祭……浴衣の美女……恋の予感……それなのになぜ俺の身体は動かない……。この夏最後のビッグイベントが……くそっ、くそっ、くそっ……」

 ソファに額を打ちつけながら、恨みつらみをぶつぶつ言ってる。


 今日は八月三十一日。海砦レムレスの一大イベント「灯台祭」が開かれている。坂道が続くメインストリートは縁日風の出店が連なり、裏通りは専門品や骨董品などの売り品を並べた市場が続く。

 聞くところによると、居住区では自治会がバザーを開いているようだ。

 ボクも夕方からセツナたちと花火を見に行く予定でいる。

 そのことを探偵に伝えると、暗い目で睨まれた。

「リア充め……お前は俺の敵だ」

「お土産に綿あめを買ってきてあげるから」

「うるさい。敵の情けは受けん」

「金魚すくいでとれた金魚もつけてあげるから」

「しれっと世話を押しつけてんじゃねーよ!」


 外は賑やかさを増し、どこからか祭囃子まつりばやしも聞こえてきた。空花火が打ちあがると、外野はさらに活気づく。

 入眠するように好きなことを始めると時間を忘れてしまうのがボクの癖だ。機械をいじり倒しているうちに二時間が過ぎ、三時間が過ぎた。部屋の中がしんと静まり返っていることに違和を感じて顔を上げる。


 探偵がいなくなっていた。


 初めから探偵なんて存在しなかったかのように、ソファはもぬけの殻だった。

「探偵?」

 近寄って、柔らかな皮生地に触れる。その手に血のように赤い光が差した。

 窓の外を見る。家の前を大学生くらいの女の子が通り過ぎる。向かいの店では顔見知りの同業者が電化製品を売っている。店の前に佇んでいるのは自慢の審美眼しんびがんを持つ初老男性。こういった男性たちがどの軒先のきさきにも一人いて、熱心に商品を物色している。

 手を繋いだカップル、駆け抜ける小学生、幼い子供を肩車したお父さん。

 真っ赤な空に、注意を払う者はいない。


「ネムル」

 名前を呼ばれて飛び上がる。

 ソファを見ると、いなくなったと思っていた探偵がいた。

 腕を組んで何やら考え込んでいる。

「……灯台」

 名もなき彼は、独り言のようにつぶやいた。

「灯台に、女の子がいる」

「何を言っているんだ?」

「夢を見たんだ。夢の中で俺とその女の子は探し物をしていた。でも、今は違う。灯台で、その子はお前の名前を呼んでいる。助けを求めているみたいだ」

 彼の目は真っ直ぐにボクを向いていた。シルバーリングの光る手を差し出される。

「ネムル、俺と一緒に灯台に行かないか?」

「君の夢が正夢かどうか確かめに行くのか? 正気しょうき沙汰さたとは思えないな」

「無茶なことを言っているのは自分でも分かってる。俺の思い過ごしなら、それで良いんだ」

「君が一人で行けば良いだろ。ボクはここでセツナを待たなきゃいけないんだから」

「お前じゃなきゃダメなんだよ。その子はお前を呼んでいるんだ」

「……嫌だ」

「頼むよ、ネムル」

「嫌だ!」

 ボクの手を取ろうとする、探偵の手を振り払う。


 瞬間、ボクたちの間に赤い霧が溢れ出した。力なくくずおれる探偵の周りを霧が取り巻く。じわりと侵食するように、赤い霧は足を消し、肩先を消した。

 探偵は自分の身体へ目を走らせ、それから苦々しく笑った。

「おいおい、なんだよこの発明品。全然面白くないぜ……」

 はっとしてボクは顔を上げた。どこからか下駄の音が聞こえてきた。何百何千という人の足音を掻き消し、まっすぐにこの部屋へ向かってくる。もう誰にも止められない。


 これは運命だ。

 ボクが選んだ、運命なんだ。


「邪魔を、しないでくれ」

 部屋に満ちた霧が晴れると、探偵は跡形もなく消失していた。


 下駄の音が裏口の前でぴたりと止まった。

 ボクはその扉を開けた。




 扉を開けると、慌ただしくセツナが飛び込んできた。

 ぜいぜいと肩で息をつき、こめかみに浮いた汗を拭う。

 白地に紫陽花模様あじさいもようの浴衣を着たセツナは、腕に四角い風呂敷包ふろしきづつみを抱いていた。

「疲れた……徹夜からの全力ダッシュでもう死にそう」

 よろよろと作業台にもたれかかる。肩が小刻みに震えている。

 気分が悪くなったかと心配していたら、伏せた顔からくぐもった笑いが聞こえてきた。

「ふっふっふっ……できたわよ、最高傑作が!」

 風呂敷をほどくと、中から綿絽めんろ紺地こんちの浴衣が出てきた。至る所に朝顔の大輪が咲いている。レトロ調、というよりも生地自体に年季が入っているようだ。柄も色味も渋いが、新品にはないインパクトがある。

「昭和初期の掘り出し物よ。街中の古生地屋さんを探し回ってようやく見つけたの。お小遣いで買える範囲まで、値切って、値切って、値切りまくったわ……」

「お、おおお……」

「サイズもぴったりね。さすが、あたし!」

 ボクの肩に浴衣を当てて、セツナはこの上なく幸せそうだ。徹夜のテンションも手伝って、夢見る乙女の瞳は火花が散ってギラギラしている。

 逆らったら殺されそう。

「それじゃ、とっとと着替えましょ!」

 軍の指揮官が命令を下すように階上を指差されては従うしかない。


 セツナは迅速じんそくに着付けした。水平に手を突き出して、ボクは立っているだけで良かった。あっという間に着せ替えられて、用意された下駄を履かせられた。頭の上で束ねた髪にはとんぼ玉のかんざしが挿してある。

 家の外へ歩き出し、早くも転びかけた。

「浴衣!」と悲鳴を上げて、セツナに支えられる。

「ボクの心配をしてほしかった……」

「ご、ごめん……ほら、手を握っていいから。バランスとってみて」

 両手を引かれ、庭先でバランスを取る練習をするうちに、なんとか歩けるようになった。歩けるようになると下駄は涼しげな音を鳴らした。人の切れたすきを狙って、通りへ出てみる。

 再び転びかけたボクを、

「ゆかっ……ネムル!」

 セツナが支えてくれる。

 ありがたい。ちょっと引っかかる部分があったけど見逃してやろう。

「ところで水上兄妹は来ないのか?」

「さりゅの体調が悪いらしくて。今日は家で大人しくしてるって」

「……そうか。それは残念だな」

「お土産にりんご飴を買いたいわ」

「それなら縁日の方へ移動するか」

 セツナの手を引いて、複雑に入り組んだ裏道を抜ける。両側に屋台が並んだ坂道は人でごった返していた。自然と繋ぎ合わせた手に力が入る。

 坂道を下りながら、目に付いた屋台を巡る。甘党のボクたちは飛んで火に入る夏の虫。甘いにおいのする軒先に引き寄せられる運命だ。りんご飴にチョコバナナ、綿あめ、アイスクリーム、かき氷……祭の定番を次々に食い尽くしていく。


「ネムル、ああいうの得意じゃない?」

 冷やしパインをかじりながらセツナが指さす方向を見ると、小学生の子供たちが群がって銃を構えていた。「射的」と書かれたのれんの向こうに四角い景品が並んでいる。

 コルク弾の威力に比べて銃声ばかりがやたらに大きい。どの弾も狙いから遠く外れている。景品を落とすどころか、かすりもしない。

 ちっとも当たらない! と苛立ち気味の小学生と入れ替わりに子供用の台座に立つ。

 セツナが隣に立って銃を覗き込む。

空気抵抗くうきていこうとか発射角度はっしゃかくどとか、計算して当てられないかな」

「ずいぶん使い込まれた銃だし、コルク弾もボロボロだ。弾道を予測するのは不可能だろうね……銃を観察してみよう。銃身じゅうしんは鉄でできていて少し歪んでいる。銃床じゅうしょうは木製か。玩具がんぐにしては本格的だが、子供が持つには重たいな。それにスプリング式の空気銃は発射時の反動が強いんだ。弾道も読めなければ性能も頼りない。さて、この条件下で最善の結果を出すには、自分を銃座じゅうざにするしかない」

 身をかがめる。脇をしめて、標的へできるだけ銃身を近づけた。銃床を肩につけ、身体にかかる反動を意識しながら引き金を引く。


 ぱん、と破裂音がしてコルク弾が飛んだ。

 景品のジッポライターが少し動いた。


「当たった!」セツナが嬉しそうな声をあげる。

「努力できる範囲はここまでだ。あとは地道に角を狙って、景品が倒れることを願うしかない」

 周りにいた小学生たちが一斉にボクを真似し始めた。お菓子の箱が後ずさりするように動き始め、そのうちのいくつかが倒れた。先に比べて格段に命中率が上がっている。「お嬢ちゃん、余計なアドバイスをしないでくれよ」と射的屋の親父が苦笑している。

 標的をお菓子に変えて、再び弾を込める。身を固め、反動を意識しながら引き金を引く。最後の一発でようやくお菓子の箱が倒れた。


 受け取った景品をセツナに渡し、射的屋を後にする。

 あたしたち食べてばかりねー、と言いながらもセツナが丸いチョコレート玉を口に含む。

「金のエンゼル、出たか?」

「んー……残念」

「出ないもんだな」

「銀色しか見たことないなあ」

「そんで、すぐどっか行く」

「そうそう、集めきれないのよね」

 お菓子を回しっこしながら、長い坂道を下る。

 人工海岸は花火の見物客でにぎわっていた。あちこちにブルーシートが敷かれ、足の踏み場もない。石垣いしがきまで広がった人波を縫うように進み、往復便の乗り場へたどり着く。

 折よくやってきた船に乗り込み居住区へ向かう。

 

 琥珀色こはくいろの満月が街を前景にゆっくりと昇り始めていた。

 月光に照らされて街の中心部に位置する高層ビルが黒い影になっていた。中でもひときわ大きく、独特な形をした建物の影は魔女が住む塔のようだ。

「あの建物は……」

 何だろう、と言いかけて口をつぐむ。鋭い痛みがこめかみを突いた。


 あの建物……ボク、知ってる。


「〝MARK-S〟」

「マー……クス」

「地域誌に出てた。今年の灯台祭はあの会社が主催してるんだって」

 ほら、とセツナは煙突に続く船の支柱しちゅうを指差した。灯台祭のポスターが貼ってある。


 灯台を大きく映した写真の下に、

〈主催・MARK-S〉

 書いてある文字はこれだけだった。


 開催日付も、「灯台祭」の文字すら載っていない。

「花火、そろそろ始まるわね」

 楽しそうなセツナの声で我に返った。

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