それは夢だが現実なんだ
2
モノレールの最終便も通り過ぎ、店じまいの時刻だ。ヤナと別れて外へ出る。
「星屑ストア」は街とレムレスと沖合にある海軍基地の三ヶ所を結ぶモノレール駅に設置されている。線路を支えるために商業区の外れに立てられた、太い支柱が目印だ。
展望台のような駅からは地区全体が見渡せる。店じまいした真っ暗な商店街の区画に一つだけ、四角い明かりを放つ背高のビルが見える。
楠木ネムルが経営する「曼荼羅ガレージ」。
あいつ、夏休みだからって夜更かししてるな……。
幼馴染のネムルは天才的な頭脳を持つ、発明家の女の子だ。彼女の発明品はオレみたいな一般人には理解できないものばかりだが、たまにオレたちの生活に役立つ品を作ってくれることもある。
例えばこのトランシーバー。携帯電話の繋がらない海砦では無線機器を重宝する。持ち歩くには少し重いが、オレとセツナとネムルとを繋ぐ大事な連絡手段だ。
商業区の船着き場から
これもネムルの発明品。日中、一人でいることの多い妹の身を心配して作ってくれた。顔認証を受けていない人物がドアを開けようとした瞬間、強烈なビームを放つらしい(幸いなことにまだ見ていない)。
確認が取れたあとで自動ロックが解除される。
キッチンテーブルに、売れ残った弁当を並べる。働き始めてから食事に困らなくなったが、三食コンビニ飯っていうのもな……さりゅは育ち盛りだし、明日は自炊するか。
そんなことを考えながら、妹の大好きな牛乳プリンを冷蔵庫の中にしまう。
寝室からは眠りの気配。扉を開けると、パステルカラーの大洪水。馬車にお姫様にお城に花にハートマークに鳥とウサギ……とにかく女の子の好きそうな形が白くくり抜かれて部屋中を舞っている。
「子供に優しいミラーボール」はさりゅの六歳の誕生日にネムルがプレゼントしてくれた。可愛いだけでなく安眠効果もあるらしい。
こうしてつぶさに日常を眺めていくと、オレたちめちゃくちゃネムルの世話になってるな。
今度、卵焼きでも作ってやるか。
睡魔の忍び寄ってきた頭でそんなことを考えていると、泣き声が聞こえた。ふえぇん、ふえぇん、とまるで赤ちゃんが泣くように妹が泣いている。
起こしていいものか躊躇したのは一瞬で、すぐに小さな体を抱き起こした。名前を呼んで、パニック状態のさりゅをなだめる。
「おにい、ちゃん……?」
「さりゅ、大丈夫か?」
「おにいちゃん!」
細い腕でぎゅっと抱きつかれる。ウサギとニンジンの絵がついたさりゅのパジャマは汗でびっしょり濡れていた。よしよしと背中を撫でながら、替えのパジャマあったかな、と考える。
去年買ったのは丈が短くなってるし……。
「おにいちゃん、ケガしてない?」
「えっ、オレ?」
「おにいちゃん、転んだ。さりゅをおんぶしてて、転んだ」
ああ、夢の中の話か。
「さりゅはオレが超強いの、知らないな?」
「知ってるよ! おにいちゃんがちょう、ちょう、ちょう強いことくらい知ってる!」
むきになるさりゅを見て、オレは少しだけ笑う。
「転ぶくらいなんともないよ。さりゅはケガしなかったか?」
「さりゅはへいき! でも、でも……」
さりゅは一気にまくしたてた。
「おにいちゃん、泣いてたんだよ。星さんが追いかけてきてね、たくさん怒っててね、それでさりゅたちは逃げてたの。おにいちゃんが泣いてるとさりゅもすっごく悲しくて、それでちょっぴり泣いちゃったの」
「……」
「おにいちゃん?」
「夢だよ」
「え?」
「それは夢だ」
「ゆめ?」
「全部、嘘のできごとなんだ」
「ほんとうにほんとう? ほんとうに、嘘のできごと?」
本当なのか嘘なのか、分からない聞き方で尋ねてくるものだから、オレは軽く混乱して、つい真実を打ち明けてしまいそうになる。
これが原初の記憶でないと良い。
君が初めて見た世界は、美しいものであってほしい。
「本当に本当の、嘘なんだ」
さりゅの身体をぎゅっと抱いて、自分の震えをごまかした。
未知の病原菌を乗せて、空から星が落ちてきた。
胸騒ぎを感じて目を覚ますと、窓の向こうが紫色に輝いていた。
起き上がって、背を向けた。本能的に見てはいけない光だと感じたから。
隣で親父が眠っていたが眠るように作られた人形みたいに何度揺すっても起きなかった。
オレは、親父は死んでいるんだと思った。何の根拠もなく、漠然と。
部屋の隅で妹が泣いていた。
さりゅ、と名前を呼んで光から妹の身を隠すように抱きしめる。階段を下って外へ出た。ちょうど頑丈な運動靴を買ってもらったばかりだった。抱っこしたままでは走れないので、妹を背中におぶり、その上から毛布を掛けた。少しでも紫色の光に当たらないように。
さりゅの身体は意外に重くて、背負い始めはよろよろしていた。だが何回も背負い直しているうちに重さが気にならなくなった。
よし。
掛け声とともに、オレは駆け出した。しくしく泣くさりゅの声が背中で揺れて途切れ途切れになっていた。
レムレスに来る前、オレたちは川べりに住んでいた。
走り始めてすぐ、両側を土手に挟まれた一本の細い道に出た。身を隠す場所のないその道をいち早く通過するために、オレはただがむしゃらに駆けた。自分がこんなに速く走れるなんて知らなかった。汗が滴り、息が上がった。それでも走るのを止めなかった。
背後の光はどんどん小さくなっていった。
懐かしい暗闇に包まれて足を止めた。妹を背中から下ろし、いきなり痛み出した足をさすった。妹の手前、うめき声を上げないように唇を噛んだ。噛んだ唇からは血の味がした。
痛みをこらえて振り返ると、家のある方角に山が見えた。無我夢中で走っているうちに一山超えてしまったらしい。昔話みたいだな、と思った。子供を抱えるおじいさんや、濁流を泳ぐ大男の切り絵が頭に浮かんだ。
全部作りごとなら良かったのに、大きな星が落ちてきたのは変えようのない事実だった。
ひときわ眩い光を発して、星は空中で消滅した。あれが隕石になっていたら、オレたちはレムレスに辿り着くことなく死んでいただろう。
それでもオレたちは光を浴びた。「星屑の病」の病原菌を体内に取り入れていた。
星が散った場所にいた人間はすぐさま「星屑の病」に侵されて死んだ。オレたちが逃げ出したときはまだ生きていたのかも分からないが、次に親父に再会したのは病院の霊安室だった。
いや、今でも〝砦出身〟というだけで奇異の目で見られたり、眉を顰められたりする。
オレたちは普通の人間じゃない。
何処にいても、何をしていても「星屑の病」がつきまとう。
普通の人間として生きられないなら、普通とは違ったやり方で生き延びるしかない。
オレにとって走ることは生きることだ。
誰にも負けない。
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