死のプログラム

 ――灯台へ。


 湿った前髪の間から灯台が見えた。ニセモノの灯台。先の見えない豪雨の中で、ニセモノの灯台が頼りない光を放っている。

 それは、ボクだけに送られた秘密の合図のように見える。


 ――灯台へ、おいで。


 ニセモノの灯台が役立たずのボクを呼んでいる。

 ……行かなければ。

 何かを始めるために。何かを終わらせるために。

 ボクは、行かなければならない。

 理屈では説明できない衝動に動かされて、ボクは走った。

 船着き場へ向かい、セツナの水上自転車を拝借する。ぎ手になるのは久しぶりだ。振り落とされないようハンドルにしがみつく。ぐんぐんと波に乗る。

 自転車が進む、運命の向こう側へ。


 灯台に着いた……というより、波によって押し流される形で自転車が灯台の島に激突した。勢い良く投げ出され、硬い岸辺で腕を打つ。あまりの痛みに数秒息ができなかった。

 力を振り絞って立ち上がり、来た道を振り返る。

 自力でここまで漕ぎつけたことが信じられないくらい、海はひどい荒れようだった。自転車どころか船さえ転覆しそうなほどの波が生まれては死んでいた。

 雨が止まないことには帰れない……いや、もう同じ場所へ帰ることなんてできやしない。

 退屈で愛おしい夏の思い出に背を向け、灯台の中へ入る。


 入って、目を疑った。


「な、なんだこれは……! 灯台では、ないではないか!」

 灯台はニセモノだった。図鑑や専門書で見たものと明らかに違う内部構造。一言でいえば宇宙船のような、機械の細かな操作ボタンが天井まで張り巡らされている。

 痛みも寒さも忘れて見入る。見たことがない部品、用途不明な装置、スイッチ……一体、何に使うのだろう。下手に触れてはいけないと思いながらも、触れずにはいられない。

 幸か不幸かいくら機械をいじっても作動する様子はなかった。

 安易にデータが書き換わらぬよう、ロックが掛かっているのだろう。

 そこまでしてこの灯台が守っているものは、なんだ?

 入り口に設置されたモニターの周りを調べていると、鍵盤のようなキーボードの下に見慣れた差込口ポートを発見した。正円の両側に楕円が二つついた――ウサギの顔の形をしたインターフェース・ポート。

 プラグにしろケーブルにしろ「曼荼羅ガレージ」で製造した電化製品はみんなこの形をしている。遊び半分に作ったオリジナル規格きかくの差込口が、入ったこともない灯台の中に存在している。


 ということは、この灯台もどきの巨大なコンピューターは「曼荼羅ガレージ」製だ。つまりボクが作ったのだ。

 まったく記憶にないけれど、そう考えなければ筋が通らない。

 ……アクセス、できるかもしれない。

 背負っていた鞄を下ろし、ふやけた宿題の束をかき分ける。

 防水に防水を重ねた絶対防壁ぜったいぼうへきのフィルムに保護されたボクのノートパソコンは電源を入れると速やかに起動した。同じくウサギの形をした通信ケーブルでパソコンと灯台とを繋ぐ。冷たい床にひざまずき、祈る思いで画面を見つめる。

 文字、文字、文字の羅列られつ。目で追うのも困難なほど、複雑なプログラミング言語が流れていく。言葉の端を掴むばかりのボクでも分かる。このシステムは完璧を通り越して芸術的、ほとんど魔術的に完成されている。

 ところが、ある部分で唐突に魔法の言葉が途切れる。長い長い文章の行き止まりに、Ⅰの形をした入力カーソルが現れる。


 ――打て。


 声が聞こえる。


 ――続きを打て。


 ボクの声だ。

 この途方もないシステムを構築した創造主――ボクの知らないボクの声だ。


 ――さあ、打つんだ。

 ――終りの始まりを、この手で。


 ごくり。

 唾を飲みこんでキーボードに手を伸ばす。

 灯台の内部に光が宿った。天井まで伸びたコードに脈打つように光が流れる。キーに触れる指先が軽やかに未知の言語を叩きだす。次はどの文字を打つのか、自分でも分からないままに次々と文字が打たれていく。意味が分からない。

 それでも書ける。

 書けてしまう。

 これは……、このプログラムは……。


 ――〝死のプログラム・・・・・・・〟。


 入り口に人の気配を感じた。キーボードから指を離して振り返る。

 セツナがいた。

 ナギの家にいたときとは違う、制服姿のセツナが立っていた。

「博士……」

 セツナは呆然ぼうぜんとつぶやいた。

「どうしてここに……」

 彼女は灯台に繋がれたパソコンを見て悲鳴を上げた。ボクを押しのけ、画面に見入る。唇を震わせながら文字を追うその顔がブルーライトでぼんやり光った。

「博士……何をしたんですか……」

 焼けつく閃光せんこうが外を真っ白に染め上げた。

 そのとき、奇妙なことが起こった。雨音、さざなみ、風の音、雷鳴、自然界のあらゆる雑音が響き渡り、そしてそのまま止まったのだ。壊れた電子機器のようにすべての音は途切れることなく、また別の音に変わることもなく、何十秒も同じ音程のまま響き続けた。

 時間が止まってしまった。光も闇もそのままの状態で、果てしなく引き伸ばされた一瞬が過ぎる。


 そして――終りが始まった。


 セツナは恐怖に震えながら、がむしゃらにボクを抱きしめた。

「やめて、やめて、やめて、やめて……」

 耳元で囁きとも祈りともつかない声が聞こえる。

 彼女の腕の隙間すきまから外の景色が見えた。雲一つない晴天。一分前の土砂降りが嘘のように、空は晴れ渡り、海は美しくいでいる。まぶしい砂浜の先の、きらきら光る水面の上にボクの故郷が浮いている。鮮やかな居住区の家々、賑やかな商業区の人工看板――それらを覆い尽くすように赤い霧が吹きだした。

 まるで病める人々をその内にはらんだ海砦が空に向かって大量の血を噴き出したかのようだった。ギザギザの軌跡を描いて現れた霧は、あっという間にレムレスを覆い尽くしみるみる灯台へ迫ってきた。


「あ、悪夢だわ……っ!」セツナは叫んだ。

「そうよ、あれは博士の悪夢なんだわ!」

 ボクを押しのけると、ディスプレイが盾であるかのように身をかがめ、キーボードを叩き始める。

「ここはもうみんなの記憶で構成された世界じゃない。私の目を盗んで、別のプログラムを組み込んだのね。何をするつもりか知らないけれど、とにかく元に戻さないと……でも、こんなに複雑な構文こうぶん、どうやって?」

 灯台まで届いた霧はいつの間にか内部に侵入していた。細くうねりながらくるりとボクを取り巻く。

 あっ、と声を上げてセツナはボクの手を掴んだ。片方の手で辺りに充満する赤い霧を払い去ろうとする。しかし霧は止むことなく、むしろ勢いを増して灯台の入り口から怒涛どとうのごとく流れくる。

 ボクを掴んでいた手は、赤い霧にかき消された。

「博士っ! 行かないで! ダメよ! その中へ、入って、は……」

 彼女の声とともに姿が霞む。霧はまゆのようにボクを覆い、連れてゆく。

 海を渡って、レムレスへ――終りへ向かう日常の中へと。


 ――〝死のプログラム〟が動き出した。


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