8


 小さな明かりが灯ったおかげで、自分の姿が見えるようになった。

 その光は白衣のポケットから泉のように沸き出した。

 手を入れて、光源を探す。

 見つけた。

 ボクの大事な、ウサギさんハンカチ。

 背伸びして、さっきまでそこにいたはずの大切な人に手を伸ばす。

 光に照らされてセツナの顔が見えた。涙が落ちるその頬に、ハンカチを押し当てる。

「泣いて良いよ。たくさん、たくさん、泣いて良いんだ」

 何度でもその涙をいてあげる。

 ボクは、セツナよりお姉さんだから。

 先に生まれたのは君だったけど、今ではボクの方がいくつも年上になってしまった。生命が続く限りその差は開き続ける。どうあがいても、埋まらない。


 だけど……。


「君が遺した愛情を、分けてあげることならできる。傷つかないように、悲しまないように、大切な人たちをその愛で守ることができる。ボクは有り余るほどに持っているんだ……惜しみなく、君が注いでくれたおかげで」


 だから、セツナ。

 もう少しだけ、待っていてくれないかな。

 そしてボクが追いついたとき、あの頃みたいにたくさん叱って。

 最期まで、遅刻魔だった、このボクを……。


「……」

 涙が、止んだ。

 セツナは闇に消え、見えなくなった。

 ハンカチをポケットにしまい、立ち上がる。

 一筋の光が数メートルほどの道を照らし出していた。

 ボクは歩き出す。前へ進むたびに、その先の道ができ上がる。

 コツコツとヒール靴を鳴らしながら、やがて人工海岸に辿り着いた。

 船着き場に一台の水上自転車が停車している。

 乗り込んで、前へ漕ぎだす。

 波が生まれた。

 波が生まれたあとに海が生まれた。

 水底がきらきら輝いているのは、星でいっぱいの夜空ができたから。

 夜空ができると雲間から月が顔を見せた。自転車の行く手を照らしてくれる。

 どんどんどんどん漕ぎ進む。

 やがて灯台の島が見えてきた。

 自転車を停め、陸に上がる。

 靴を脱いで、柔らかな砂の上を裸足で歩く。

 灯台の入り口に赤い髪の男が倒れていた。

 男の腕に守られるように、亜麻色あまいろの髪の女の子も横たわっている。

「渚……、さりゅ……」

 二人ともすやすやと眠っている。

 彼らの傍を通り過ぎ、灯台の中へ入る。

 ボクの作った「夢見る機械」が微かな光を点滅させている。

 死に際のホタルのように心もとない。

 灰色の床の上に小さな背中が横たわっている。

 懐かしい高校時代の制服を彼女は着ている。

「ユーク……」

 名前を呼ぶと、その肩が微かに震えた。

 腕を掴んで抱き起す。

 冷えた身体をぎゅっと抱きしめ、ボクは言った。

「〝死のプログラム〟を解除する」

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