第四章 青春ノスタルジック

ふつうの日常(仮定)


          1


 今日もレムレスは晴天。

 ただし、セツナ注意報。



 とんとんとん。身軽な足音。

 こんこんこん。三度のノック。

 ギイィィ。音を立てて開くドア。

 そして……。


「こらーっ、いつまで寝てる気だぁっ! ……って、あれ?」


 力強く押し開けて入ってきた彼女は、拍子抜けした顔でボクを見た。ごしごしと目をこすり、再びこちらを凝視する。

 まるで目に映るものが、蜃気楼であるかの如く。

 ……失敬な。

「ボクだって早起きはする」

 言いながら、喉がぐえっとなる。しまった。胸のリボンを強く結び過ぎた。苦しい。久々に制服を着るとこれだ。

 飽きもせずこんなものを着古して、世の学生たちは毎朝ご苦労なことだな。

 セツナは部屋の窓から身を乗り出して空を見上げる。理由を訊けば、槍が降ってこないか心配だと言う。冗談とも本気ともつかない顔だ。

 しっかりしているようでいて、セツナは抜けている。彼女に言わせると抜けているのはボクの方らしい。もしかすると、ボクの抜けている部分とセツナの抜けている部分は絶妙に食い違っているのかも知れない。だから互いが互いを抜けていると思うのだ。

 ある意味、それは凹凸の関係にある。ボクたちが何年も一緒にいて飽きないのは、そのせいだろうと考える。

 それは、素敵なことだ……きっと。


「あんたね、早起きっていうけれどこれが高校生の標準よ。あたしが起こしにいったとき、制服に着替えていたのは褒めてあげるけどさ」


 セツナに褒められた。嬉しい。


「もっと褒めてくれ。朝飯も食べたぞ。歯も磨いた。洗顔は水が冷たいから止めた。体操服は忘れた。教科書は重たいから置いてきた」

「叱る部分が多いんですけど! もう、しっかりしなさいよ。あたしがいつまでも面倒を見てくれると思ったら大間違いよ」

「死ぬまで面倒を見てくれるんじゃなかったか?」

「友達に介護させる気か! あんたねー、そろそろ大人になりなさいよねー。来年は受験生なんだからさー」

「むむ、受験……」

「ま、あんたの場合、試験は心配なさそうだけど。ただ面接が……」


 ちらと腕時計に目をやってセツナは飛び上がる。

 始業まで時間がないことにボクは気づいていた。でも、わざと言わないでおいた。学校の授業より、二人で道を歩くことの方が大切だと思ったからだ。

 セツナはそうでないらしい。きゃあきゃあと取り乱しながら、些末な計算をしている。この道を何分で駆け抜けて海を何分で渡り切るとかそんなこと。


「走るわよ、ネムル!」

「いやだ、歩く。一緒に遅刻しよう」

「あんたもう遅刻できないでしょ! ほら、行くよっ!」


 猛スピードで坂道を駆け下りる。潮風が白い髪をすり抜け、ボクの頬に当たる。繋いだ手。初夏の日差しに汗ばんでいる。


 身体からだの弱いボクに夏の暑さはこたえる。強すぎる熱射を受けて通学途中に倒れてしまうかもしれない。そのことをセツナは知っている。だから気温の高い日は、わざわざ迎えに来てくれる。ボクはちゃんと心得ている。セツナは優しい。昔から。

 彼女の漕ぐ水上自転車に揺られる。息切れの合間に聞こえるお説教を、聞いているようで聞いていない。話の内容はどうでも良くて、その声に耳を澄ませている。頭の中はこの幸せを噛みしめることでいっぱい。



 ボクは生物学的に、心理学的に、物理的に、宇宙的に、

 セツナのことがだぁーい好き!


 セツナもボクを好きだと良いなあ……。



 学校前の心臓破りの坂を上って賑やかな教室へ入っていく。汗だくのボクらをからかうようにぬるい風が吹いてくる。

 我らの偉大な冷房様は、死にかけている。「曼荼羅ガレージ」に修理を依頼してほしいものだ。特別安く見積もってあげるのだが……。

 視線の合った生徒たちと挨拶を交わしながら席に着く。ボクとセツナの席は隣り合わせている。

 セツナの前は、ナギの席。

「お前ら、遅刻が賭かってると足速くなるよな。羨ましいよ」

 ナギが椅子を揺らしながら話しかけてくる。切れ長の目を細めて、面白がっているようだ。


 周囲から怒っていると誤解されがちなナギは、その実、滅多に怒らない。感情と表情が上手く結びついていないだけなのだ。

「ネムルはいつも眠そうだな」

 こんなことを言われる。すっきりと覚醒しているときも眠たげな顔に見えるらしいので、ボクも感情と表情が上手く結びついていないのだろう。

 ボクとナギは似ている。セツナとボクが凹凸おうとつの関係なら、こちらはへいこう関係だろうか。とてもよく似ているが、決して交わらない。反発を起こすこともなく一定の距離を保ちながら互いを分かり合っている。

 ボクは自身を愛すようにナギのことも好きでいる。

 けれどもそれは、ボクが自分を嫌いになったらナギをも嫌いになるということだ。

 とても不思議な関係だ。興味深い。


「ナギよ、ボクたちは似ているな。知力では圧倒的にボクが勝っているのに類似しているとは奇妙なことだな」

「お前はまた嫌味なことを……だいたい、オレたちはどこが似てるっていうんだよ?」

「表情が乏しいところ。他にも多々あるはずなのだが、名状しがたい」

「オレ、表情が乏しいのか……」

 怒った顔で落ち込むナギ。自覚がないとは悲劇的だ。

「ナギは男の子だから! あんたとは違うの!」

 セツナが慌てた様子で割り込んでくる。気を遣っているらしいが、益々ナギを落ち込ませる結果になっている。

「オレは表情が乏しい……」

「だ、大丈夫よ! ナギは足も速いし! 数学だって得意だし! ちょっとくらい表情が乏しかったって他に良いところがいっぱいあるじゃない」

 まるでフォローになっていない……はずが、ナギがみるみる元気になる。というより、火がついたように赤面する。普段は分かりにくいのにこういうときだけ分かりやすい。観察しがいのあるやつだ。


 あっ……、類似点。

 ボクもナギも、セツナのことが大好きだ。

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